●著作権
漫画をネット送信で著作権違反初摘発、3人を逮捕
著作権者の承諾を受けないまま、漫画をインターネットで送信していたとして、福岡県警生活安全総務課などは14日、著作権法違反容疑で東京都大田区の漫画喫茶経営の男(52)ら3人を逮捕した。
コンピュータソフトウェア著作権協会によると、ネットを利用した漫画の著作権違反事件の摘発は全国で初めて。
県警は男が経営する大田区蒲田の「マンガネット喫茶いちご」「SSKインダストリーカンパニー」を家宅捜索し、パソコンや漫画本などを押収した。調べでは、男らは昨年7月以降、蒲田の事務所で「こちら葛飾区亀有公園前派出所」(秋本治さん作)などの人気漫画9作品を、無断でコンピューターに記録し、男が管理するホームページ「464(よむよ)・jp」にアクセスした利用者に送信した疑い。
会員の申し込みは約1000件、月平均で約330万件のアクセスがあったという。
このサイトは以前に友人から紹介されて訪れたことはある。
たしか登録もしたのだが、一度もまともに閲覧できなかった。
なにかコツでもあるのだろうが、目的にたどり着くまで非常に時間がかかる感じだ。
でも、当初から著作権問題は大丈夫なのだろうか?と心配していたが案の定、捕まった。
聞けば漫画喫茶の経営者だという。
そんな素人じゃないんだから著作権のことなど知らないわけでもないだろうに、無料だからと嘗めていたとしか思えない。
漫画や小説のコンテンツがネット経由で配布されることについては私は賛成である。
すでに音楽については店を介さず、好きな曲だけダウンロード販売も可能になっているし、小説は著作権の消滅した物などを扱う青空文庫 などよく利用している。
音楽でもクラッシックやジャズなどで著作フリーの演奏もあり、時々落として聴いている。
そういうすでに評価の決まっているスタンダードなものであらゆる知識の規範となる物は国や自治体で買い上げて広く配布しても良いと思っている。
図書館が一つの実現例だが、図書館に赴かなくてはならず、人気のある物はしばし貸し出し中になっている。
貧乏だから学習できないという環境ではなく、お金をかけなくても意欲さえあればいくらでも学ぶことが出来るそんな社会が理想的だと思う。
漫画や雑誌もiTunesのような管理の出来るViwerをまず作り、1冊100円程度でネット販売して欲しいくらいだ。
むしろ書籍の形を取らなければ印刷の必要もなく、地球の自然環境にも優しいので大いに歓迎したいところだ。
著作権云々に目くじらを立てるつもりはないが、個人での利用ならばいざ知らず、公の不特定多数が閲覧できる場所での他の著作物の無断公開はまずいと思う。
たとえ個人のサイトでももちろんだが、もしサイトにアフィリエイトプログラムバナーなど設置していたら「お前は他人のコンテンツを盗んで金儲けをしているのか!?」と、穏やかならぬ感情がわき起こってくる。
そりゃ、パクれば楽であろう。
他人が心血を注いで産み出した物をいとも簡単に我田引水で盗んできて、自分のサイトで「さぁ、コンテンツでござ~い」としたり顔で並べさえすればよいのだから。
何の創造性のないヤツでも盗んでくればそれなりに形になるし、(そりゃ他所ではお金を取れるくらいのコンテンツだから魅力的なのは当然だろう)
自分の才能の無さや創造性の無さに対する引け目も上手く隠してくれる。
逆に言えばそんなドーピングまがいの空虚な満足感に浸っているから、いつまで経ってもろくなデザインも文章も音楽も産み出すことが出来ないのだろうと思う。
創造性や才能がないという現実を真摯に受け止められれば、普通ならばそこから一歩でも踏み出そうできるはずだ。
ここまで辛辣に書くのも私自身の著作物に対しても無許可で使われていたり、劣化コピーされていたりすることがあるからだ。
私の場合は別にお金を要求するつもりはないし他人から見れば大したコンテンツでもないのだが、一生懸命作った自分のコンテンツが劣化コピーされて世に出回ることについては許せない気持ちになる。
使用するならば使用するで一言断ってもらえれば、それに合わせた加工もしないこともないのだが、たいがいは事後報告で、しばしば気が沈むほどの劣化がしっかりとなされている。
同じパクるにしても、オリジナルの思想やデザインの肝をちゃんと理解していないとその発展系やさらにはパロディも創り出すことは出来ない。
(パロディに関してはそもそもオリジナルの肝を理解していないと笑いとして成立が不可能なので、これはこれで創造だと認識している。)
しかし、たいがい他人の著作をパクッて平気な人間というのは自らのオリジナルのコンテンツを創造できないたぐいの人が多いように思える。
自分で創造する苦労も経験も無いため他人の作った物の大事な肝やそこに流れている思想も当然理解できず平気で劣化させるし、価値も解っていないから安易にパクって涼しい顔をしていられるのだろう。
ここ10年くらいでネットとPCの普及で沸いてきたこの手のナンチャッテクリエイターにはほとほと閉口させられる。
物の創作とツールの使い方の習得を混同しているため、それらのナンチャッテが吐き出す物を見ると「あぁこのツール(プラグイン)を学習したので使ってみたかったのね」という事がアリアリと見えすぎて、そこにはその必然性も思想のかけらも感じることができない。
それらはツールの能力に振り回された趣味の悪い見るに堪えない物でしかない。
結局はツールなどは物を作り出す道具でしかない。
いくら高性能な物でも、その使い方によっては美しくもなり、見るに堪えないしろものにもなりえる。
私の尊敬する田中一光さんというデザイナーは単純なグラフィックでも色で攻めるときに
「ギリギリまで彩度を上げいって、これ以上やると下品になってしまう、その寸止めで止める。この寸止めの見極めが大事なのである。」とおっしゃっている。
巨匠ですらここまで神経を使いながらギリギリの選択をされているのに、ナンチャッテはツールの爆走するまま、寸止めどころか遙か彼方まで逝ってしまって顧みることはない。
良い万年筆を使ったからといっても誰もが巨匠作家になれるわけでもないのである。
写真でも詞でもイラストでも文章でも何でも良い。
たとえ稚拙であっても自分が一生懸命に創り出した物だけを公開してそれに共感してくれる人がたとえ少数でもいればそれはそれで素晴らしいことだと思う。
そこで自分自身が果たしてどれだけのオリジナルのコンテンツを創り出せるかを客観的に見つつ、他人の著作権に対する敬意と感謝を忘れないことが大事だろう。
それが出来なければ単なる盗人以外の何者でもないと思う。