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テレビの功罪

先日までのしばらくの間、テレビのある生活をしていた。
もちろん私自身はテレビが嫌いだからわざわざ我が家へテレビを持ち込むようなことはしない。
元々ある環境で暮らしていたのだ。
しかし、テレビというもはあればあったでついついつけてしまう。不思議なものである。

まぁニュースとか趣味・美術・科学・歴史などの番組であれば、それなりに有意義だし、勉強にもなるのだが、大半を占めるワイドショーやらバラエティのたぐいがどうもよろしくない。
ワイドショーは一見ニュースのようにも見えるものの、特定の事件や物事に的を絞り、とにかくしつこく、何度も繰り返して朝から夕方まで延々と放送する。
取り上げるニュース自体に意義があるものならよいのだが、ある時は新潟の容疑者の生い立ちから現在に至るまで、それを同じ内容をしつこく延々と繰り返したり、ある時は19歳の餓鬼の拳闘試合の判定についてダラダラ言い合ったり、ようするにど~でもよいことなのである。
そんなことを延々と流すくらいなら例えば米国産の輸入牛肉がどの業者に輸入されてどのように加工されて、どういう商品で、どういう店舗に売り出されているかとか、それこそしつこく追求した方がずっと意義がある。
なんせこちらは現在進行中の、我々の生命の安全に関わることなのになぜか追求して取り上げない。

ど~でもいい、体制に影響のないニュースをまるで洗脳のように繰り返し流していることになにか意図的なものを感じる。

バラエティの方はもっとひどくなっている。
昔はそれでもトークの内容にひねりやテクニックがあって、こちらも「う~ん」と唸らせるものも少なからずあった。
ところが最近は意味のない1フレーズの繰り返し、加えてギャグというよりキレるだけという箸にも棒にもかからない手合いも居る。
それを身内の馴れ合いだけで盛り上がっているけど、テレビの前のこちらとしては首を傾げるばかりである。
以前も確かにひどかったと思うが、最近はまして酷くなっていやしまいか?
たぶん、毎日見ている人には徐々に質が落ちてきてもそれほど変化に気づかないのかもしれない。

そういうものを避けてそれ以外の映画とかも見ることもあるのだが、どうもPCやDVDで好きな時間に好きな区切りで長編映画などを見る癖がついてしまったので、一方的に時間を決められて、その時間に合わせてみるというスタンスではない。
そういう人の為にHDDビデオなどがあるのだが、いちいち時間を設定して録画するのもなんだか面倒くさい。

早く、テレビという箱がインタラクティブになって、時間にとらわれず好きなコンテンツをチョイスできる時代が来るのが待ちどうしい。

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