20代に初めて家を出て、住んだところは、1DKのアパートだった。
1階がカウンターで呑める焼鳥屋で2階が我が家というちょっと変わった作りだった。
錆び付いたスチールの階段をトントンと上がるとうちの玄関。
立つのがやっとの玄関に入ると右手に台所左手に和式のトイレがあった。
その奥が6畳の和室で建坪率の関係か角の一角が削られていた。
引っ越した当時は本当に貧乏で何にもなかった。
冷蔵庫も洗濯機も電話もテレビもラジオもなかった。
お金がない生活というのは驚くくらいシンプルになる。
6畳の部屋にスチール製の事務机にMacintosh Plusが置いてあり、あとはステレオ装置とレコードが80枚くらい後は本が大量にあるだけだった。
引っ越した時は部屋全体の壁は汚く、かなり荒んだ印象があったので、まずはペンキを買ってきて塗り替えた。
和室の方は壁は極薄いグリーンに塗って、柱は大胆に黒に塗った。
写真ではまだそのままだが、天井は木製の板で雨漏りの染みが目立っていたため、塗ろうかとおもっが、ローラーで塗るには作業がしにくく家具にペンキが落ちる可能性が有ったので、シーツなどに使う天竺という木綿布を買ってきてそれをピンで留めていた。
トイレの扉の横にはピカソの「ゲルニカ」の絵を額に入れて飾っていた。
何もないので、出かけるときは現先の電気のブレーカーを上げて行く。
なので、外出時の電気の消費は全くなかった。
玄関の鍵は外からかけるタイプではなくて内側のノブのボタンを押して戸を閉めるとそのまま掛かるという極めてイージーな物だった。
そのためしばしば、部屋に鍵を忘れたまま玄関の扉を閉めてしまうこともあった。
そんなときは近くから脚立を借りて2階の窓から入り、玄関の鍵を開けた。
後日、玄関扉のガラスをずらす(説明が難しいがそもそもガムテープではり付けられているだけの物だったので)そこから手を入れてノブを回せば入れることが判明した。
まぁ、とても貧乏な家だったので取られるような物は特になくて(Macもその頃は型落ちであまり価値はなかった)その点本当に気楽だった。
その頃はまだ浪人生活だったので、昼間は小岩にある印刷制作会社で働き、夕方には新宿にある美術研究所で(芸大美大の予備校)に通っていた。
帰宅はだいたい10時くらいだった。
帰りに近くの酒屋で700ml入りのドイツワイン「カッツェ」(黒猫のラベルのヤツ)と大ぶりの柿の種を買って呑むのが楽しみだった。
冷蔵庫がないのでワインはその日のうちに空けていた。
テレビやラジオがなかったし、もちろん新聞も取っていなかったので娯楽はもっぱらMacと読書とレコード鑑賞である。
レコードは80枚くらいしかなかったので、同じ曲を繰り返し聞いていた。
電話がないためどうしても私に連絡が取りたい人はしばしば電報を打ってもらって、近くの公衆電話から連絡した。
風呂は歩いて10秒の所に銭湯がありそこを利用していた。
12時に閉まってしまうので、それ以前に駆け込まなくてはならない。
家の前を銭湯へ行き帰りの人が楽しそうに歩く笑い声が良く聞こえた。
何となく風呂上がりの石鹸のにおほいまで届いてきそうで良い思い出だ。
1階の焼鳥屋も賑やかで良く笑い声とか時々カラオケの声が響いた。
その時は不思議とそれほど騒がしいという気はしなかった。
何にもなかったけど、ああしたいこうしたいという夢や希望は沢山あった。
今思えば、あの時期も人生で最良の日々だったように思う。
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