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リア充と言うよりも

 うっかりして携帯を忘れてしまった。
 多くはないが年に数回こういうことはある。
   その度に感じることは、しばしば情報に対する飢えと不便さを感じるが、結局はなければないで過ごせてしまうのだ。

 そんな時はいつもなら画面を見ながらすごす余暇を、周りの風景を眺めたり、また何も見ずにぼぉ〜と考えたりする時間が生まれる。
 考えがまとまると、アウトプットしようと思う気力が生まれる。

 ブログの更新やTwitterのつぶやきが停滞すると、「リア充」だから暇がないと良く耳にするし自分がそのような時にもそう考えてしまう。

 しかし、リア充とは言っても、情報端末などで得られる過多な情報に流されていては後には何も残らないと思う。
 情報を咀嚼し自分なりの考えがまとまるまでに行かないと思考の栄養にもならず、まるで情報の暴飲暴食である。
 たとえ暇をもてあましていたとしても、多くの情報が得られなくても、心に引っかかる物事を深く考え、整理し自分なりの意見に昇華できる時間があるならば、それはそれで本当の意味でのリア充なのではないかと思える。
 現実生活の場で思想も持たずに回りに振り回されて忙しくしている事はリア充とは言わないと考える。

   

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