旧盆だったので休みを取って菩提寺で法事を行った後渋谷まで足を伸ばしてBunkamuraで開催中の「ルドンの黒」展に行った。
きっと土日などには人が多すぎてゆっくり鑑賞もできない。
今の時期ならお盆休みで都心の方は比較的人も少ないし、ましてや平日なので空いていた。
絵を観るとき、表題やそれに付随する説明文を眺めてもただの流し観にすぎず、なんら心に入ることはない。
その絵の意図、意味、本質に入らしまないと現物に触れる意義はずっと薄まってしまう。
しかし感じ入るまで観るためにはそれなりに時間がかかるものである。
日常から持ち込まれた雑多な思念を廃して純粋な目で観られるようにするにはちょっとしたワンクッションが必要である。
私の場合展覧会の会場に入ってベンチやソファがあればしばらくその場の空気になじむよう間を置く。
ボォォォォっとしていてもいいし、日常の雑多なことをメモして吐き出しても良いし、とにかく体の方が観賞を受け入れられる状態になるまで時間をかける。
今回はソファに座りながら解説文をPalmに書いていた。
3.聖アントワーヌの誘惑
聖アントワーヌ(アントニウス)は3世紀から4世紀にかけて実在したキリスト教の聖人で、砂漠での禁欲生活のさなかで生々しい幻覚にとらわれて悪夢の一夜を過ごすという主題は、初期ルネッサンス時代から美術でしばしば取り上げられた。
フランスの小説家ギュスターブ・フローベルは、ヤン・ブリューゲルの絵画に着想を得、30年もの歳月をかけてこの主題と格闘し、1874年に最後の改訂版を出版した。
戯曲の体制をとる7章構成の幻想的小説である。フロベールの聖アントニウスは伝説的なこの聖人の物語とはまったく趣を異にしている。
自らの信仰に懐疑を抱き始めた聖人は、そこにつけ込んだ悪魔に数々の幻覚を仕掛けられ、苦しめられるが、悪魔とともに古代の異教を観て歩くことになる。
ルドンにとってこの小説は自身の怪物学を発展させるための絶好の素材であった。
すでに1896年、小説の造形化を勧められていたが,5年後にユイスマンスから再び勧められてようやく着手することになる。
1888年、89年の第一集、第二集、さらに1986年の第三集と総点数42点におよぶシリーズの始まりであった。
ルドンは学生の頃、一度展覧会を観て以来ずっと好きな作家で、今回の展覧会は体系的によくまとまっていて解りやすかった。
特にシャルル・ボードレールの詩集「悪の華」の挿絵など、詩を味わいながら観る絵は一層深く楽しめたように思う。
詩編48 香水瓶
どんな物質でも浸透する強い匂ひがあるものだ。
どうやら硝子にさへそれは滲み込むらしい。
錠前が錆びついて仲々開かないやうな、
昔、東邦から将来された小匣を無理に開けたり、
人の住まなくなつた古家に置き忘れられ、
煤けて、埃まみれの、
むせかへるやうな昔の匂ひで一ぱいな
箪笥を開けたりすると、
思い出顔の古びた香水瓶が時としてみつかるものだ、昔の人の心が生き生きとそこに甦って「悪の華」より
1点1点本当に楽しむにはそれなりの時間が必要だ。
3時間ほどかけて鑑賞したけど、もう一度朝からゆっくり見に行きたいと思った。
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