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主体性

 最近ふと実感し、何となく理解したことがあったので想像するまま書き綴る。
 少し前までの私は運命論者ではないが、どこか世間の時事に対して冷ややかなところがあった。
 自分自身のことはともかく、他人に対しては影響を及ぼすことはできず、結局はなるようにしかならないと、とかく諦めがちなところがあった。
 これは自分以外のことに関しては影響を及ぼせず、どのようなアクションを起こそうとも結果は同じなのだろうと思うことがあった。
 しかし、最近、勉強して自分以外の結果にも様々な可能性があるということを思いめぐらすに至った。
 
 それはこういうことである。自分の起こす一瞬の思いの選択にはおよそ3000種類の結果がある。 (この3000いう数字には根拠があるが難しくなるので省く)
 その3000種類には上は1から下は3000まで善し悪しの区別を付けることができる。
 理論的にはその一瞬で即、1番良い結果まで、たどり着くことができるが、過去の流れを引きずっているので、まずは無理である。
 ましては上1〜600位までは(3000を10で割って上2位)利己主義では得られない結果である。

 この一瞬の中で3000もの結果の世界を、自らの身を乗り物にたとえて、一瞬一瞬を上下を繰り返しながら移動しているのだろう。
 過去の選択によっては現在がもっと悪い結果にもなりえたし、もっと良い結果にもなりえたのだろう。
 過去にもそういう選択を繰り返したからこそ自分が今いるこの環境は、結局は自らが選んできた行き着いた結果に他ならないと改めて悟った。

 結果である過去は変えることはできないが、未来はこれからの意志でいくらでも変化できるだろう。
 まず、自らが主体的に動く。そしてその結果は様々な可能性に満ちあふれていて、決して運命論的な一つではない。
 少しでも良くしようと一瞬一瞬の思いの連続と行動が自らの置く環境を変えてゆく(より良い平行存在的な環境に移動する)ことだろうと実感し理解した。
 より良い人々は、すでにより良い環境に移動していて、結果は一つではない。

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