お外でのメモ取りには後でブログなどに使えるように紙ではなくデジタルデバイスに書いている。
ただし、キーボード搭載のポケットPC等ではなくてPalmというPDAを使用している。
このPalmはキーボード非搭載ながらもGraffiti(R)(グラフィティ)という独自の入力方法により、ペンでアルファベットや数字記号を認識できる。
Graffiti(R)(グラフィティ)
PDAの一種であるPalmで用いられる文字入力方法の一つ。例えば「A」を入力するのに「∧」のような形を、「B」を入力するのに「β」のような形を入力する。
これらは一筆で書けるようにアルファベットを簡略化したもので、これを用いることによってすばやく文字を入力することができる。一般的な文字認識に比べて処理が軽く、入力もしやすい。
グラフィティを入力するためのスタイラス画面は左右に分割されており、左側にアルファベットを、右側に数字を入力する。また「/」(左から右上への斜線)に続けて何らかのアルファベットを入力することでコマンド入力となる。
(英語版Wikipediaより)
独自とは言っても習得には30分もかからない。
購入して、30分ほど意識しながら文章を書いていれば違和感なく身に付いてしまう、それくらい自然に即した優れた方法だと思っている。
こういう事を書くと私が新しい物好きで色んなガジェットを弄りまくっているから、苦痛なく覚えられるのだろうという突っ込みを入れる人もいるがそれは間違いである。
私はたいていこう言った物に対しては保守的で気軽にチャレンジもしないし、使ってみて少しでも苦痛を感じる物はすぐに投げで出してしまう。
携帯電話のキーで文字を入力することですら未だに苦手である。
またGraffiti(R)はその後、特許の関係からGraffiti2というやや入力方法が変わった物に変化してしまった。
これですらとても我慢ならず、元のGraffitiの書き方に戻すように細工をしている。
こういう利権絡みで最も優れた方式を無理矢理ねじ曲げられて一番とまどい迷惑を被るのはエンドユーザなのである。
話が長くなってしまったが、これほどまでにGraffiti1が気に入ってもはや手放せない物だった。
だから現在使用のPalm機 PEG-TJ25 を購入したときにそこに付いてきていたDecumaにはまったく意にも介さなかった。
ちょっと起ち上げて認識率や入力スピードの遅さなどで早々に使うことを諦めてその機能を切ってしまったのである。
Palmの日本語入力にはATOK for Palmを使用している。
このパッケージ版にも手書き入力機能もあったのだが、使わない物と頭から決めつけて少ないメモリを節約するためにその機能部分の本体への転送すらしていなかった。
先日、仕事ではじめてお会いした人がPalmを使用しているのを見て、あまりの珍しさについつい話し込んでしまった。
その方曰く「Decumaって使いやすいですよねぇ」って同意を求められて、ちょっととまどってしまった。
さっそく帰宅して、ATOKの手書き機能をインストールして、PalmのDecuma機能を復活させてみる。
相変わらず入力は遅いのだが、使い込んでみて誤認識から選択肢を選べることや、そもそも誤認識は自分の書き順の間違いが元だったなど色々と気付かされた。
デジタル機器を使って文章を入力すると極端に漢字を忘れてしまう。
かといって、紙の手帳にペンで書いたのではそのコンテンツの使い道が限定されてしまう。
文章内容が後々で自分にも理解しやすくするために、他人に認識してもらえるようブログで公開の形を取っているが、
文字では綺麗な文字と正確な書き順で機械に認識してもらうという意識が働く。
文字の書き順とは筆をスムーズに運ぶために考え抜かれた物なので正確な方が効率的なことは言うまでもない。
たとえば「と」というひらがなについても、私の癖で下の「く」の字を書いて上の「、」を付けてしまうが、これだとDecumaには認識してくれない。
「出」の文字でも縦線をまず書いて、それから横横と書かないと認識してくれない。
つまり文章の内容を閲覧者の目を意識し、文字の書き順や正確さを機械の目を意識しながら書くので、まるで常に先生に見られながらみたいでなかなか頭を使ってよろしい。
長年間違えていた文字の書き順や悪筆も矯正される。
漢字が思い浮かばなくても、ひらがなでまず書いて変換して、漢字が解ったら再度漢字で記述することもやる。
漢字を忘れないためのアナログとコンテンツの使い回しのためのデジタルが上手く合わさってなかなか合理的で気に入ってしまった。
もっとも、急いでいるときには今まで通りGraffitiを使用する。
私の中での入力スピード順で並べると
キーボード入力>>>>>>Graffiti>手帳に手書き>>>Decuma なのである。
このように入力のスピードだけ追求するならばキーボード入力に敵うものはない。
ところがこれを漢字を忘却を防ぎ書き順を覚える訓練と合わせてブログのコンテンツの作成と考えるとだいぶ意味合いが変わって来る。
訓練と併用なので入力スピードの効率だけにとらわれる必要がないのである。
Graffitiはあくまでもメモ取りであるが、Decumaはというとこれが俳句を考えながら記述するのに似ている。
頭の体操のつもりで機械の目を気にしながら文字を書き、閲覧者の目を気にしながら文章を考える今日この頃なのである。
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