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何かを学びに行くということは、そのための純粋な時間を確保するということ

 だいたいにおいて、お金を支払って何かを学びに行くこと自体には懐疑的であった。
  自分自身、自動車免許など ”いたしかたがないケース” を除いてお金を払って何かを学びに行くことは、ほぼ皆無である。
  信条として「情報が溢れている現在は学ぶ気さえあれば独学で何とかなる」と思っているし、関連本を購入して、疑問点はネットで調べべるなどして独学でまかなってきた。
 なのでお金を使って何かとセミナーにせっせと通う人をどちらかと言えば懐疑的な目で見ていた。

 ところが 、この歳になり家庭を持つようになって少し考え方が変わった。

 お金を出して得る物は安直なノウハウや楽な学習環境だけでなく、純粋にそれに向き合える時間の確保こそその主たる目的ではないか?そう思うようになった。

 家庭にいると何かと邪魔が入る。
 それは致し方がないことだ、広い住居ならまだしも狭い我が家では在宅の時には常に相手は目に入る。
 また、仕事やその他の時間を割いて、ようやく空けたまとまった時間も純粋に使うことはままならない現状がある。

 このような時にこそ、決まった時間に決まったことに打ち込める何とか教室は有意義な物であると考える最近である。

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