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夜は眠るものである。

ここ数ヶ月、早寝早起きな生活を送っている。
夜中0:30~1:00には就寝するし、朝の5:30には目が覚めてしまう。
自然に時間が来れば眠くなり、時間とともに目が覚めてしまうといったもので特に意識しているわけではない。
まぁ年寄りになったって事なのだろうか?
意識することと言えば以前のエントリ「髀肉の嘆」で書いたとおり22時過ぎには食事を摂らないと言うことだけだろうか。
現実には19時に夕食を摂ってそれ以降は口にすることはないので20時以降は摂らないと言うことだろう。
反対に朝は起きてすぐにコーヒーを煎れて、1時間以内に朝食をしっかり摂る。

フリーで仕事をしていたので時間の割り振りが自己管理なのだが今まではどうも楽な方へと流れていたようだ。
せっかくフリーになったからと、渋滞の時間を避けるようにあえて一般とずらしていたところがあるが効率からいうと早寝早起きがよい。

フリーで仕事をしているから、夜に作業して生活リズムを崩してしまうのではなく、フリーだからこそ早朝に作業をして午前中に仕事を終わらせて、後は余裕を持って新しいことを学習に当てたりもできるというパラダイムの変換が必要だろう。
また、フリーだからこそ、余計な付き合いにも振り回されることがないのも有り難い。
勤め人時代でもそれほど付き合いの良かったわけではないのだけど、時々、夜遅くに飲みや食事に付き合ってリズムを崩すこともあった。
睡眠時間も以前より短くなったり、早朝から集中して仕事をしているので、さぞかし時間が余るだろうと思っていたが、実は以前よりも時間はない。
一日24時間という限られた時間から行うべきことに時間を割り振ってゆくとほとんど残らないのである。
なので優先順位の低いものを犠牲にするより仕方がない。

生活リズムを崩してダラダラ暮らしていた頃は実際にはプライオリティの高い事柄について、おざなりにしていたり、またはそもそもの存在そのものを忘れていたところがある。
それが年間を通してみてイマイチ進歩がないという事に繋がっているのだろう。
規則正しい生活を送るようになると、色々と現実的に行うべきことに気づかされる。
それにしても一日で達成できる進捗のなんと遅いことだろう。
だが、以前に一日に集中して詰め込んで行うことに比べて、日々着実に血肉になっているという実感がある。

早寝早起きは熱効率にも良い。
日光は有り難いことに無料である。
日の出とともに起きて働いて日が暮れたら休むというリズムは経済的にも喜ばしいだろう。

以前、渋谷に通勤していた頃、残業帰りの山手線の窓からに23時のスクランブル交差点のまるで昼間のような明るさと人の多さを実際に目にして改めて驚いた記憶がある。
「いったい、こんな夜中にあんなに多くの人たちが何をしているのだろう?」その時ながら疑問に思っていた。

便利な世の中になったものの、正月でも店が開いていたり、四季に関係なく色んな食べ物が手に入ったり、昼夜の違いがほとんどなくなったり、人間の自然なリズムを崩してはいまいか?

1977年のニューヨークでの29時間に及ぶ大停電で次の年の出生率が上がったという。
たいがいの娯楽は電力がないと出来ない。そんな中でやることと言えばだいたい決まってくるのだろう。
むしろ日本でも燈火規制でも行えば少子化対策と温暖化対策の問題が解決するのではなどとも考えてしまう。
それも現実味のない事なので要は一人一人の意識が大事なのだろう。

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