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子供の時間、大人の時間

 年始に向けてちょっとずらして我慢していた整髪をした。
 最近では、ちょっと伸びると気になって仕方がない。
 今でこそこうだが、子供の頃は床屋に連れて行かれるのがとても嫌だった。
 なんせ、1時間もあの床屋の椅子に縛り付けられて頭を動かさないなんて苦痛この上ないことだった。
 今なら1時間くらいはあっという間に過ぎてしまうが、子供の頃は、好きなテレビ番組が始まるまでの1時間などは今の1日くらいの感覚だったように思う。
 親からは「落ち着きのない子だねぇ。何で待てないの?」とよく注意された。
 そういえば、小学校の通信簿の先生の記入欄にも「もうすこし、おちつこう」と書かれていた。
 そのせいもあって「落ち着かなくちゃ」と中学・高校で物事に動じないよう心がけて、その甲斐あって、二十代になると実際の年齢よりも老けて見られるようになった。
 当時はそれはそれで嬉しかったのだが、今、振り返ってみると、だいぶ損をしたように思う。
 はじけて一生懸命何かに没頭するときは、そうすればよい。若いうちの恥はかいてナンボ、それを怖れてこそこそおとなしくしていれば、せっかくの伸びしろの機会を失うことになる。

 話がそれたが、子供の時間の感覚と大人の時間の感覚ではだいぶ違うと思う。

 いささか話しが大きくなるが、宇宙の話題でビックバーンの初期段階では非常に高温で高速で広がり、伸び切るにつれて温度が下がり広がるスピードが落ちると聞いたことがある。
 人間も同じような感じなのだろうと想像する。
 生まれたばかりの時の大きく伸びようとする時期は脈拍数も体温も高く、そのときの時間の感覚も密度の濃いものなのだろう。
 そういえば小動物の寿命は短いが、その時間の密度の感覚は我々とは比較にならないのだと思う。
 おそらく過去の数十年生きてきた感覚と、これから生きるであろう数十年の感覚では全然違うのだろう。 
 きっと10年くらいならあっという間にすぎてしまう気がする。
 これから40年くらい生きる目算が実際の感覚では15年いやもっと短いかもしれない。
 そう考えると、少し悲しくなる。
 もう、周りの目を気にして落ち着いた風を装わなくてもいいだろう。
 物事に変に慣れず、子供のような新鮮な感受性で真剣に充実した生活を送りたいと思う今日この頃だ。

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