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字(あざな)とHN

三国志などの古典を読んでいると「字(あざな)」と言う物を目にする。

普通の姓名では姓は一族を表し、名はその個人を表すのだが、ではこの「字」とはなにかというと、

『中国で、男子が成人後、実名のほかにつけた名。実名を知られることを忌む風習により生じ、字がつくと実名は諱(いみな)といってあまり使わなかった。日本でも漢学者などが用いた。』

[大辞林第二版]

とか

1.中国で、男子が成年後実名のほかにつける別名。わが国で、平安時代、成人男子が人との応答の際に名乗る名。

2.実名のほかの名。また、あだな。

3.町村内の小区画の名。あざ。

[広辞苑 第四版]

などと書かれている。

この『実名を知られることを忌む風習』とは、古代中国で信じられていたある呪いに関係しているらしい。

この呪いを実行するには相手の実名、つまり姓名を知る必要があった。

なので他人に実名を知られてしまうと呪いに使われる可能性があったので恐れられていたというわけだ。

そこで普段のコミュニケーションの円滑にするためために実名以外にこの「字」が用いられるようになったという。

この辺の事は川村教授の特別講座 に詳しく書いてあるので興味のある方はぜひ読んでみてください。

以上、ここまではその講座の引用を要約させてもらったにすぎない。

そういえば「千と千尋の神隠し 」にもこの「実名」に対しての呪いと言うことが描かれていた。

同時に「実名」の大切さと言うことも描かれていた。

現代ではさすがに呪いなどを本当に信じる人は少ないだろうが、それでも「実名」を知られることを恐れることは同様だと思う。

しかし、恐れるのは呪いではなく、「実名」からさまざまな個人情報から引き出され、色んな影響があることが容易に想像できるので、極力、明かすことは避けているのだろう。

リアルなつきあいならば「実名」が明かされることは避けようがない。しかし、そもそもそれほどの広範囲ではない。

それに対してネットでは世界規模での広がりがあり、また不特定多数の誰とも解らない人を相手にするため「実名」の公表は避けたいのである。

そこで現代はネット上でお互いにコミュニケーションを取るために「字」の代わりに「ハンドルネーム」が用いられているのだと思う。

つまり、単なる「あだな」や「ニックネーム」とは違い、この「字」と「HN」が「災いを未然に防ぎ回避する」という、本来の意味合いで同様の使われ方をしている点が非常に興味深い。

「あだな」や「ニックネーム」は多分に他人から付けられる「受動的」な物に対して、「字」や「HN」は自らが付けて名乗るという「能動的」な相違もある。

私のHNは「SKYNET」である。

これは91年に勤め先のソフト会社の社内ネットワークで自身のユーザアカウントを取得する際にふと頭に浮かんで登録してもらって以来、ネットでの名前として使っている。

もちろんこれは私の好きな映画「ターミネーター 」から取ったもので、解る人には解る。

主人公のサラ・コナーの「NO FATE(運命ではない)」というメッセージも今だからこそ非常に意味深く感じられる。

このHNは外人にもウケがよい。

和訳すると「天網」となって「天網恢々疎にして漏らさず」にも通じる。

また「SKY」とは「空(くう)」とも読め、仏教の「空・仮・中の三諦」の一番最初の「空」の思想にも繋がる。

何かに大きな壁にぶつかったときにこの「空(くう)」の思想をもっていれば不思議と腹が据わり、変にこだわらず気負いなく物事が進められる。

さらには私自身「空(そら)」が好きで、よく雲をモチーフに写真を撮る。

これほど意味合いにおいても因縁深く、気に入っているので、過去15年使っていて1度も替えたことはない。

ネット普及で距離を気にせずに色々な人と知り合う機会が出来たことは誠に喜ばしいことだ。

しかし、それでも実名を明かすことはまったくと言っていいほど無い。

というか、よほどのことがないと明かせない。

うっかり実名を明かしてしまって、それによる様々な危険性を考えるとやはりよほどでないと明かせないのである。

その上でごくごく一部の親しい信頼の置ける人にだけは実名を明かすことはある。

知り合ってから少なくとも数年経って、相手の人柄が解った上で、十分に信用できる人ならば、物品等のやり取り等で必要に迫られれば明かすことはある。

しかし、ごくごく希なケースで、これも一つの信頼関係の証だと思う。

「三国志」の時代では呪われる事を恐れていたので、これは生死に関わる大事と捉えられていたのだろう。

現在はさすがに生死までいかないが、猫が腹を見せて掻かせるくらいの覚悟は必要だろう。

もっとも、友人曰く、私は「石橋をたたいて壊す」タイプの人間で、猫以上に用心深いのだが。

「三国志」は遠い昔の中国の話だが、古典的な風習が現在にも通じる点がとても面白い。

印籠などの「根付け」が「ストラップ」と名を変えて生きているように、その種の共通性を探すと色々出てきそうだ。

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