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宝くじ

 年末になると年末ジャンボ。夏にはグリーンジャンボ。ニュースで見るたびに「あぁ、今年もこの季節が来たなあ」と感慨深い。
 特に年末は出費が多く、金欠で気弱になる時期なので、もし1等に当選したら・・・などと想像力をたくましくすることは多いのだが、実は一度も買ったためしがない。
 これは宝くじに限らず、パチンコ・競輪・競馬など、およそギャンブルというものには縁がない。
 「他力本願が嫌い」などという高尚な思想を持ち合わせているわけではなく、むしろ「他力本願大好き」なのだが、ギャンブルだけは一切しない。
 「もしかしたら当たるかもしれない」という”淡い期待”より、「当たるわけがない」という”信念”の方が強いのである。

 私がこのような傍目から見れば夢も希望もない、ある意味冷め切った思想を持つに至った経緯には、実は幼少の頃に受けた深く哀しいトラウマがある。

 子供の頃、近所の公園の近くに駄菓子屋があった。
 そこは子供好きな老夫婦の経営している、ごく小さなありきたりの店であった。
 そこにボードに賞品がホッチキスで留められ、のり付けで袋とじされた紙製クジが置かれていた。
 1~5等には幼い私をい魅了してやまない、(今見たら実にちんけで安っぽい物だろうが)金属製のモデルガンが腕に巻き付けるホルスターベルトとセットになって輝いていた。
 その1~5等の賞品がど~しても欲しかった私は、1枚50円という当時の私としては身悶えするような大金を支払って、普段は1枚、時には2枚とドキドキしながら袋とじのクジを破き、そして挫折していた。
 1~5等の豪華な賞品と比べて、それ以下のハズレは悲惨な物だった。おそらく10円のコストもかかっていないだろう、紙テープの火薬で、本体無しにどうしろっていうような代物だった。

 その日、私はとても”お金持”ちだった。
 お正月にお年玉を貰って、その足で駄菓子屋にお大尽様気分で入ったのである。
 私はすぐにそのクジの前に立ち、1~5等がまだ当てられていないことを確認した上で残り23枚のクジを全部買うことにした。
 今の自分なら「全部のクジを購入したのだから賞品を吊り下げたボードごと頂いてゆくぜ!! 」ぐらいは言えるだろう。
 しかし、幼少の素直な私はそこのおばちゃんが「一応、クジを開けてごらん」という言葉にそのまま従った。
 23枚のクジは開けれども開けれどもスカばかりで、どうしたことか1~5等のクジはなかった。
 途方に暮れている私におばちゃんは「だれかのいたずらでクジがなくなっちゃたみたい」と言い訳した。
 しかし、いたずらでないことは明白であった。1~5等とあと中堅をいくつを残したままボードは綺麗になっていた。
 そうである、もともと「当たりくクジ」などという物は存在せず、私はスカのみを引かされていたのだ。
 不思議そうに立ちすくむ私に対して、少し気の毒になったのか、それとも口封じのためか、おばちゃんは中堅の賞品の一つを渡し、クジを作り直すよと言ってボードごとそそくさと奥へ持って行ってしまった。

 幼少の私はその日に悟ったのである。 およそギャンブルという物はそれを管理する者がルールを決め、たとえ小勝はあったとしても結局は必ず負けることが決定付けられているだということを。
 その日以来、ギャンブルというもの全般にどこか疑いの目を持つようになり、自ら進んでやることは全くといってない。

 その昔、伊丹十三監督の「マルサの女」という映画の一シーンで、山崎努扮する脱税をしているホテル経営者に怪しい男が(どーでもいい話だが、あれは宮本信子の変装のだと思っていた)1等1000万円の当たりクジを1500万円で売りつけるシーンがあった。

 当選クジは非課税なので隠し資産のマネーロンダリングとしては格好なアイテムなのだろう。
 実際にそのようなことがあるかどうかは判らないが、あるとしたら、そのような抜け道をみんなで提供している形になるのだろう。

 ギャンブルに冷ややかな私にクジを買う熱い友人は言う「そもそもクジを買わなければ当たるわけがない」と。
 確かにそうだろう。しかし、幼い私その日に得た悟りを裏付けるように現在も駅前の一等地にはパチンコ屋がそれこそ「お城」のような外観で日々繁盛し、増殖し、そして決して減少することはない。

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