本を読むことが好きだが、本を大切にする方ではない。
写真集や貴重本ならばともかく、普通に読む本は買ってすぐに腰巻き(帯)をはずし、カバーをはずし、これ以上もうはずす物がないといった状態になってからやっと読み始める。
どうも日本の本は過剰包装の感があって読むときの気障りになって仕方がない。
店頭で表紙に汚れが付いて、出版社に返品になっても、カバーだけ換えればそのまま売りに戻せるというリスク回避の考え方なのだろう。
まぁそれだけ日本人は本の表紙のささいな汚れを気にする向きが多いのだろう。
洋書などはたいていカバーを付ける代わりにほんの表面にPP張り(ラミネート加工のようなビニール張り塗装)を施してある。
こちらの方が私のように読むときに気障りな人にとってはありがたい。
だから仕事で自分の作る本の体裁に係われるときは、「表紙PP張りの断ち落としでお願いします。」とお願いしている。
だいたい、本の内容が知識となって頭に入ればよいという考えなので本自体を大切にコレクションするという考え方はない。
高い本はさすがにやらないが、安い文庫本などは平気でお風呂に浸かりながら読んでしまう。
湯船に浸けはしないが、風呂釜の蓋の上で湯気に晒され、多少濡れた手でも平気でページをめくるので、もちろんシナシナになってしまう。
本は消耗品であると割り切って、入浴の時間を有意義に過ごす方を優先してしまう。
生来の貧乏性なのだろう、もし何も手にせずに入浴したら、ゆっくり風呂に浸かっておれず、他が気になってすぐに風呂場から出たくなる衝動に駆られる。
我ながらせっかちな性格だと思うのだけど仕方がない。
これがもし。草津の奥地の秘湯なんかに浸かっているときは、その場の雰囲気を十分に楽しんでリラックスできるとは思うのだけど。どうも私は日常においてはリラックスすることは不得意らしい。
本に話を戻すと、真新しい手の切れそうなものより、古びてボロボロのものの方に美しさを感じてしまう。
これが端なんかがボロボロになってポストイットなどがたくさん挟まっていて、あちこちに書き込みがしてあったりすると「あぁ、読み込んだなぁ」と我ながら惚れ惚れしてしまう。
ノートや手帳にして、新品よりも使い込んだ物の方が美しいと思う。
たとえば映画「インディー・ジョーンズー最後の聖戦」でショーン・コネリー扮するインディの父親の持っている聖杯手帳などを見ると「おぉ!! 美しいなぁ」と感動してしまう。
ここまで来るともう美術品の域である。
ただし、古本屋の中途半端に汚れた本は余り好きではない。
消耗品の場合は安いのを選んで割り切って買っている。
ごくごくたまに新刊の雑誌で気に入った特集があると積んである上から2冊目か3冊目を引きに抜いて買うのだから、我ながら身勝手だとは思う。
たぶん他人が汚した中途半端な汚れは嫌いなのだと思う。 やはり私にも日本人の血が流れていると言うことなのだろう。
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