相性の定義は難しいが、私はまず「笑い」を基準に置いている。
「笑い」というのは実に奥が深い。
ちょっとしたジョークの一つにでも、様々なバックボーンがあり、それらをきちんと理解しないとなかなか笑えないものである。
私はよく、くだらない冗談を発することがあるが、反応は人それぞれである。
その内容が理解できない人、理解できても面白みを感じない人、理解が出来なくても笑っちゃう人、本当に理解して笑ってくれる人。
本当に理解してくれた人はその証にちゃんと他の譬喩表現を引用して切り返してくれる。
この瞬間、「あぁ自分のことを理解してくれて同じ物事におかしみを感じてくれる人なんだなぁ」と、安心感とともに幸福感も味わえる。
人間とは結局、他人に理解されることを強く望む生き物なのだろうと思う。
したがって、自分が自分の好きな部分をきちんと理解してくれて、その上で好意を抱いてくれることにはとても納得でき幸福な気持ちになれる。
ところが容姿だけで判断されると、これはこれで、褒められた程度に嬉しいのだが、なんだかデモンストレーションを中断されたような感じになる。
まだ理解してもらっていないし、まだこれから良いところをアピールするところなのに…と、ちょっと不満になり、不安になる。
「笑い」に話を戻すと、やはり笑いは大事だと思う。
四六時中一緒にいることになれば、良いときも悪いときもあるだろう。
同じ事におかしみを感じてくれる人ならば、一緒にやって行ける気がする。
ところが、片方が心の底から笑っていて、もう片方が冷めているという状態では長くは続かないと思う。
「笑い」とはその人の辿ってきた人生経験を反映していると思う。
何に対して面白みを感じるか、ツボにはまるかは人それぞれであろう。
相手が笑うからこちらも幸せな気持ちなることはあっても、その状態のままずっと行けるか?と言えば疑問なので、やはり同じツボを持った人の方がよいのだろう。
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