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腕時計

060310

一番最初に、自分用の腕時計を手に入れたのは中学1年の頃だろう。
催事場で親にねだってカルチェのレプリカを買ってもらった。
確か5千円くらい。
当時はまだ時計などは高級品のたぐいだったから、まだ高く、今買えば露天のバッタ物で千円くらいのものだろう。
これは1年くらいでバンドが壊れて、修理もなされないまま、電池切れで何処かに行ってしまった。
次に記憶にあるのは、高校1年の時に初めてバイトした給料をつぎ込んで買った、SEIKO スピードマスターである。
定価が3万8千円で、新宿のさくらやで3万2千円にしてもらった。
あまり、値引きがなかったのは、当時まだ出たばかりだったからだ。
これはもう、自分が気に入って買った物なので良く憶えている。

私にはもともと、腕時計には「これっ!」と決まった理想像があった。
それは、小学生の時に親に連れられて池袋西武デパートの時計売り場で初めて見たオメガのスピードマスターだった。
ガラスケース越しに見たオメガのスピードマスターに衝撃を受けて釘付けになりしばらくその場を離れられないくらいだった。
衝撃を受けた理由の一つに、幼少の時に見た「ウルトラセブン 」でこのオメガのスピードマスターがウルトラ警備隊標準装備品として使われていたことも大きいだろう。
その時の格好良さに「腕時計と言えばこれしかないっ!」って感じで、完全に刷り込まれてしまったようである。
しかし当時の値段でも25万円。
とても、とても、小学生に手が出せる代物ではなかった。
もちろん、好きな時計を選べる高校生の当時でもバイトで稼ぐお金なんてたかがしれている。

そこで、本来ならばオメガを買いたいところだが、到底無理なのでデザインが似ているこのSEIKOのスピードマスターとなったわけである。
代理物とはいえ、バイトの給料をはたいて清水の舞台から飛び降りる気持ちで買った当時はとても嬉しくてずっと肌身離さずにいた。
風呂にはいるときも眠るときもずっと付けっぱなしだった。

後で解ったことだが、この時計はボディに3つのモータを内蔵 する、Cal.7A28をムーブメントに持つ、世界初のクォーツ式クロノグラフとして当時としては画期的な技術だったらしい。
今では同じ機能がもっと安価に出回っているが、その当時ではバイト先のお客から見せてくれと頼まれたほどだった。
これを付けていろんな所に行ったし、数多い傷の一つ一つに色んな思い出がある。
もう人生の半分以上は一緒に過ごしている感じだ。

とはいえ、厳密には、人生の半分以上をずっと一緒というわけではなかった。
25歳になったときに給料をはたいて、ついに念願のオメガのスピードマスターを入手したからだ。
それで、SEIKOの方はもう使うこともあるまいと、妹にあげてしまった。
それから何年か経って妹も自分好みの時計を選ぶようになり、実家の隅で寂しそうにしていた姿を見て、また引き取った。
その時はもう時計のバンドが金属疲労で折れていたので、外して、オブジェとして今でも身近で余生を過ごしている。思えば、高校1年のあの時に清水の舞台から飛び降りる気持ちで買った物だけど、それ以来は故障なく今に至っていて、本当に気に入った物は長く使えるんだなぁとしみじみ思う。

追記:
その後、バンドを以前にオメガに着けていたクロコ革の物に替えて無事に復活した。
オメガが重く感じるときなど時々気分を変えて付けている。
やはり、古女房のように長年肌に馴染んだ物だけに「やっぱり値段じゃないんだよなぁ」としみじみ思う。
おかげで今日も幸せそうに元気に時を刻んでいる。

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