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行き場のない、にほい

 和室を開けると甘いリンゴの香りが漂う。
 年末に頂いたリンゴを仏前に供えているからだ。
 この時期、暖房効率を良くするためになるべく各部屋の戸は閉めておく。
 時々、部屋に入ると閉ざされて行き場のない香りが漂ってきて「あぁリンゴがあったんだなぁ」と気付かされる。

 果物という物はよい。
 見てよし、食べてよし、そして嗅いでよい。
 母が入院中はよく夏みかんを買ってくるように言われた。
 大分で生まれ育った母は柑橘系の果物が好きでよく食べていた。
 内蔵系の手術の後だったので、もちろん食べられないが、せめて香りを楽しみたかったらしい。
 買ってくると手に取り、鼻を近づけてにほいを嗅いで「良い香りだね」と嬉しそうにしていた。

 たばこを吸わないせいか、にほいには敏感である。
 忙しくて、洗い物がたまって、異臭を放つとそれだけで気が滅入る。
 かとおもえば洗い立ての洗濯物を身につけるとそれだけで晴れがましい気分になる。
 エレベーターに乗ったときにタバコのにほいが残っていると腹立たしくなる。
 にほいでその時の気分が左右されることも多い。

 食べ物は基本的に好き嫌いはないのだが、にほいで食べられないものがある。
 マトンの肉はなんだか脇の下のにほいのようで、たとえカレーでも鼻をつまんでしか食べられない。
 経験はないが、たぶんクサヤもドリアンもダメだろう。

 結局のところにほいとは、好き嫌いも含めて過去の思い出につながっている気がする。
 街ですれ違う人の香水のから、楽しい思い出がありありとよみがえることがあり、いつかその香水の名前を調べようとしているが未だにできていない。
 良いにほいだけでなく雨の後のアスファルトの湿ったにほいも思い出につながる。雨上がりの夜の公園のにほいもなぜか好きだ。
 ただし、季節によって微妙に臭いが違うらしく、「これだっ!!」と納得できるものは年に数回しか訪れない。
 似たような物とか好ましい物とかは身近に置くようにしているが、ダイレクトに思い出にアクセスする物はやはりその物でないとダメなのだろう。
 母にも夏みかんの香りでよみがえる何かの思い出があったのだろう。
 いまでも、仏前に柑橘系の果物は絶やさない。

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