昔、「見ること」について真剣に研鑽していた時期がある。
芸大受験時代に課題のデッサンに打ち込んでいたからだ。
その頃に読んでいた芸大出版会の「素描論」いう本があった。 現在は残念ながら絶版になってしまった。
私が持っていた本は人に貸して戻ってこなく、今は手元にない。 もう一度求めようと古本屋を覗くが、まず見つからない。
前置きが長くなってしまったが、その本に「見ること」の大切さを『名人傳』という書に書かれた中国の弓の名人の例を上げて書いてあったので、例によって思い出しながら書いてみる。
昔の中国の弓の名人が、弟子に弓を教えるときに、まずまばたきをしないことから教える。
まばたきをすると、その間に雑念が入り、弓の正確さを失うからである。
それで弟子は2年かけてけっしてまばたきしないよう目を鍛える。
次に師匠は虱(しらみ)1匹を自分の髪の毛で縛り、南向きの窓に吊るして終日、睨み過ごすことを命じた。
何日も睨む修行を続けているうちに虱はやがて大きく見えるようになり、3年も経つと馬のような大きさに見えるという。
そうして鍛えた目でいざ弓を取ると、すでに百発百中の名人になっていたという。
ここでは見ることの大切さが書かれている。
弓の名人と呼べる人が、実に5年もの長い間、まったく弓を取らなかったという。
見ることが大成すれば、後の技術は自ずから付いてくるのである。
これはデッサンも同じで、見ることはまず物を正確に認識する尺度を身につける訓練である。
それが過ぎると次は物の本質を見る目が養われる。
ものを見て理解し、自分が描いているイメージとどこが違うかを見抜くことによって、描くものをよりものの本質に近づけることが可能になる。
そうしてよく自然を観察することによって、摂理を理解しものを写し取ることが可能になる。
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