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質の低下を憂う

 ここ数年、密かに憂いていることがある。
 一つは従来、品質の良かったの物の質の低下だ。
 安くて質の良い物を売り出していたメーカーが広告に力を入れてメジャーになり、人気が上がるとともに質が落ちるということはよくある。
 たとえば、知る人こそ知るという隠れ家的なお店が、雑誌などで取り上げられて一気に客が増えて、さばききれず、味や接客の質が落ちるということはよく聞く。

 身近な例だが、肌着のメーカーでHanesと言う物がある。
 高校時代に自分で着る物を自主的に選べるようになり、それ以来肌着はこれにしている。
 そこそこの値段で質がよいのが特徴だ。
 しかし最近、トランクスのゴムのヘタリ具合が早くなった気がする。
 それよりも以前に購入した物の方はまだまだ頑張っているのに、新しい物の方が緩くなるのである。
 ただただハズレを引いたと思いたいが、それ以外にも目に見える箇所で、たとえばボタンが隠しだったものが表に出ていたりと明らかに質か低下している。
 同社の看板商品であるTシャツの方はさすがに手を抜いてはいない。
 ちなみに綿100%の赤タグの方が好みだ。洗濯したての物を身につけたときの爽快感が今でも嬉しい。
 タグが縫い付けからコストダウンのプリントになったが、着心地は変わらない。

 もう一つ好きだったメーカーにGAPがある。
 昔は今ほど大々的に売り出されていたわけではなく、値段は他よりちょっと高めくらいの位置づけで、それでいて品質は良かった。
 今でも大事に着ている、ダンガリーシャツなどはきめ細かなデニムの布質と丁寧なステッチで着るたびに心弾む感覚だ。
 いささかほころびが目立ってきたので、近くのGAPで新しい物を買いに行った。
 しかし、これは昔の物とは似ても似つかぬ代物で、きめ細かな布質はどうやら同じらしいが、ステッチが二重から一重に手抜きされていたり、裏に予備のボタンが親切に付けられていたのが無くなっていたりと、全体から受ける趣や風情にスピリット(魂)が感じられない。

 ちょうど無名のボクサーがハングリー精神で頑張っていたのが、チャンピオンになりメジャーになって魂が抜けてしまった「ロッキー3(アイ・オブ・ザ・タイガー)」的な物を見てしまって、とても哀しくなる。
ロッキーはその後自らを戒めて立ち直るわけだが、メーカーという物は一度落ちていった質という物はなかなか元には戻せない。
第一、莫大な広告のおかげで以前より売り上げが上がっているのである。

だいたい盛んに広告を出しているメーカーという物に対してどこか懐疑的なところがある。
食品しかり、OSしかりである。
その高額な広告費用の何割かは購入者が被っているわけだし、そのぶん質の向上に努めてもらいたいと思うわけである。
大量のイメージアップの広告など商品の質とは本来は関係ないはずだ。
しかも、広告でイメージだけ押し売りしながら、実際は体に害を及ぼす素材が使われていたり、バグだらけでそのまま放置という実情が多く見受けられる。

嘘つきほど自己弁護のために多弁になると言うが、私は広告にそういう一面を見てしまう。
また、それに扇動される世間一般にまだまだ、かつて20世紀前半に巧みな宣伝で独裁国家を樹立させた大衆と同じ物を見てしまう。
いつになったら自分の目で判断して、善し悪しを決められるようになるのだろうか?
品質に自信のある物は控えめに慎ましく発言して、それでもちゃんと受け入れられる物である。
名前もあまり知られないけど、しっかりと良い仕事をしていて、それが口コミで広がってゆくような物を応援したいと思う。

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