洗い物をしていてちょっと手を滑らせて備前焼の小皿の端を欠かしてしまった 。
傷はくさびのように鋭角に削がれていた。
滑らせたのは数ヶ月前に買った白磁の小皿だが、こちらの方は何ともない。
20年以上使ってきた物だけにこちらの不注意で傷を付けてしまったことにショックは大きく、後にも思い起こすたびに気が滅入る。
それはまるで靴下に紛れ込んだ異物のように折に触れチクチクと気になるあの違和感に似ている。
いっそ白磁の小皿の方が砕けてくれたほうがこんなに落ち込むことはなかっただろう。
それが重ねた年月の重さというものだ。
20数年身近に完きの形であった物が、ちょっとした気の緩みで傷物にしてしまう。
なかなか、悔やんでも割り切れるものではない。
欠かしたかけらを探したが、全部見つからないので見た目を元に戻すことはできない。
かといって多年の情が移っているので捨てるに忍びない。
そこで、時間がある時に欠けた部分をパテで埋めて金漆で仕上げようと思う。
昔住んでいた家の近くに、小さなフランス料理のレストランがあった。
家族で経営しているらしくテーブル数も少なく、値段も安いこともあっていつも満員だった。
こじんまりとしてはいたが、中の調度品は店主の趣味の良さを伺わせる物だった。
スッキリとしたアンティークの木製テーブルや椅子、BGMを奏でるロジャースのLS3/5Aという小型スピーカーでアンプもクォードの44と405のセパレートだった。
皿は温めてから料理をのせて運ばれてくる。
その皿を見ると物はよいのだが長く使ってきた物らしく端が所々欠けていてそこを金漆で繋いでいた。
客に出す物に修繕したとはいえ欠けた物を出すなんて、と考えようによってはケチくさいと思うが、その時私は大事に物を使っている店主にとても好感を持ったことを思い出した。
傷を過失ではなく新しく思い出が刻まれたものとして受け入れられればそれは素晴らしいことだが、傷つけて日が浅いだけに未だにそこまでは達観できない。