昨日は友人の紹介でお茶の水にある新しい取引先の可能性のある会社を訪問した。
私よりも年下の社長さんで元気いっぱいである。
妻子持ちで自宅とは別にビルの一室に事務所か構えて一生懸命仕事をしている。
友人といい、その社長さんといい、仕事の人脈を丁寧にだどってゆくそのひたむきさには感服する。
だれもが生活するために一生懸命なんだなぁと自らの普段の姿勢を反省した。
ちゃんと質の良い仕事を丁寧にこなしていれば自然と仕事が舞い込むような甘い世界ではないのだ。
おかげで彼女も忙しそうである。
一生懸命になると他事にまったく関心が回らなくなるのは欠点ではあるが、だからこそクライアントに満足してもらえる仕事が出来るのだろうと容易に想像できる。
久しぶりに重い荷物を持ちながら冷たい雨の中を歩いたせいもあるが、これまでの自身の姿勢に対する反省と虚脱感から帰宅してからも、何とか最低限のことをやって力尽きて横になったまま眠ってしまった。
ブログの前置き文だけでも外出前に書いておいて良かった。
しかし、かろうじてまとめたため切れが悪いので表現したいことの1/10もでていないと思う。
読み返して修正しようかとも思ったが、自らの自戒としてそのままにしておこう。
風呂も沸かしながらも入らなかった。
おかげで今朝起きても疲れが抜けていない感じである。
ウダウダしていられないので、起きて身の回りのことを丁寧に時間をかけてこなしてゆく。
いくら身は疲れに打ちのめされても、心まで浸食されてはいけないのである。
掃除、洗濯を満足にこなしたら心が少し軽くなった。
そういえば、そろそろ「脱皮」の時期だと思い出し、次は身体の方のメンテナンスに取りかかる。
4時間入浴。
時間がかかるが、やはり「脱皮」は良い。
老廃物で塞がれていた毛穴が一気に開き、皮膚呼吸が活発になって全身の毛穴からオーラが溢れ出す感覚である。
浴槽の中でゆっくりお湯に浸かって軽くストレッチもするため、肩こりも解消された。
「おぉ!! これならまだまだ行けるじゃん!」って感覚も取り戻した。
思えばここ数日、現状の閉塞感の解決を他に求めていたようなフシがある。
突然の話が舞い込んだせいでその事について改めて考える時間が増えたせいもある。
弱っているときほどその利点ばかりが輝かしく魅力的に見えるものなのだろう。
しかし、あくまでも根本的な解決は自身で行うしかない。
欠点は欠点として自身認識しているのだからその解決に向けて何とか足掻きながらも前に進んで行かなくてはならない。
日々のことをきっちりとこなして、反省するところは直して、しっかりと自身の生活したその上で、将来的な不安に対する準備にあらゆる可能性を前向きに模索して行こうと思った。
しかし、逆に言ってしまえば自分のことは自分で出来てしまうため、なかなか必要性を感じられずのんびり構えて今日まで来てしまったともいえる。
若いうちに破綻していればきっと必要に迫られていただろう。
いや、実際問題で考えれば、もしかしたら私自身も破綻していたのかもしれないが、元来他人に相談するなどという習慣などは持ち合わせておらず、すべて自分の中で解決してしまっていたため、決して問題が表に現れないだけだったのかもしれない。
だから、もし、他人が知れば「スゲー問題だらけじゃん!」とその事実に驚愕していたかもしれない。
まぁそれでも怪我も病気もせずに、大した借金もせずに今日まで飄々と生きてこられたんだから感謝すべきだろう。
もともと私は楽観主義者なのである。
そして誰もが多かれ少なかれ問題を抱えていることは知っている。
いずれにしても早かれ遅かれ必要なことなのである。
結局は器用貧乏は損なのかもしれないとも思えてしまう、今日この頃である。