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2006年09月17日

●リアルを手に入れろ

「リアルを手に入れろ」(by KAT-TUN)

最近は暇があれば昔のように絵を描いている。
ここ数年、絵筆を握ることは希になってしまっていたが、先日友人の暑中見舞いの返事にちょっと描いてみようかなと筆を執ってみたところ自分でも信じられないくらい下手になっていた。
ハガキの方な何とか形を整えて送ったが、この事実に自分は驚愕して滅入ってしまった。

ここ数年、アナログな作業を殆どしておらず、暇があればパソコンで何かをしているかネットで遊んでいるかであった。
で、結局何か現実に残ったかと言えば何も手に入れたものはない。(まぁデジタル作業のスキルは手に入れたと思うけど、何か手に取ることのできるリアルな物といえば皆無のような気がする。)
たとえばネットゲーでいくらゴールドを稼いでも、レアなアイテムを手に入れても、現実には何も残らない。
そんなことは実に解りきったことで、いまさら、どうこう言う事でもないのだが、アナログから離れていて実際に絵が恐ろしく下手になった事実を確認してみると、事態の深刻さを実感した次第である。

たとえデジタルでの作業が多くなった現在でも、その根っこの部分はやはりアナログ的な感覚が大切なのである。
このままではまずいと思い、まずは手軽な水彩画を描き始めた。
ただ描くだけでなく何か目的のような物が欲しいので、額に入れて部屋に飾る絵を描くことにした。

当初は錆び付いた感覚も基本に戻ってゆっくり丁寧に描いているうちに、過去の記憶と共に戻ってきた。
アナログは段階も踏まないといけないし結構めんどくさい作業なんだけど、それらをクリアして仕上がっていく物その物の存在感はデジタルとは大きく違う。

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2006年09月16日

●秋の空の下

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やっと晴れた週末、溜まった汚れ物をようやく洗濯することができた。
大物を洗濯機で洗うが、手洗い物やヴィンテージのジーパンなど気を遣う物は最近足洗に凝っている。
これは大型のバケツ(足湯に使う物)に洗濯物を入れて、バルコニーでバシャバシャと地団駄を踏むように洗うのである。

別に浴室で洗っても良いのだが、やはり青空の下、すがすがしい気分で洗濯に打ち込めるのは気持ちがよい物だ。
以前から足湯と足裏マッサージとエクスサイズが一緒にできないか考えていたが、これなら洗濯もできて一石四鳥である。
ジーパンの裾を膝の上までたくし上げて、勢いよく踏み込んでいると足裏の洗濯物がよい刺激になって、ツボを刺激しながら、また子供の頃に水たまりで遊んでいたような感覚で非常に楽しい。
結構な運動量でうっすらと汗までかいてしまう。

洗剤を入れた洗いも大事だが、実はすすぎこそが一番大事なのである。
洗濯機任せではないので水野濁り具合を目で確認しながら水を換えてゆく。
澄んだ水になって足踏みだけで脱水して物干しにかけるとまだ水がしたたり落ちてくる。
乾きが遅いが、こちらの方が叩いて形を整えたときに皺にならずにピンと仕上がる。
厚めのワークシャツなどもアイロンがけがいらないほどである。

昔ランドリーに通っていた頃は、洗濯機の脱水があまり強力でなかったのでこういう干し方ができていたのだが、洗濯機を購入後は凄まじい脱水で叩いても皺になったままだったことを思い出した。
(たぶん何処かで設定すれば良いのかもしれないが、初期のまま全自動でお任せなのがいけないのだろう。)
何にせよ、カラッと晴れ渡った秋の空に我が家の洗濯物がたなびいている。

2006年09月08日

●本当に必要な物は意外と少ない。

 先日のこと、友人とチャットで話していて
 「身の回りの物ってついついふえちゃうんだよねぇ、本当はトランク2つくらいに収まる物だけ持ってあちこちレスポンスよく動き回れれば理想的なんだけど」と話していた。
 その気持ちはよぉ~く判る。
 私自身、常々手帳と使い慣れた万年筆とスケッチブック水彩絵の具、カメラはローライ35(古いねぇ)だけ持って世界中あちこち飛び回れればこんなに幸せなことはないと思っている。

 本当に必要な物は意外と少ない。
 これは生命を維持していくために最低限度の物という意味ではなく、その人が人生を充実して過ごすために必要な物のことである。
 逆に多すぎると食事のカロリと同様かえって不都合が生ずるように思われる。
 実際に物はあればあっただけかえって雑音を発する。
 それはしばしば自分が本来やらなくてはならないことを雑音の中に押し込めてかえって見えにくくしてしまう物である。
 物を入手する時、たとえそれが無料(ただ)の物であったとしても、それが自分の成長のために本当に必要な物か、ただ単に一時的な気の紛らわしや外見などの見栄だけで必要と勘違いしている物かどうかは常に我が身を振り返りながら熟考することが大切だろう。

2006年09月04日

●テレビの功罪

先日までのしばらくの間、テレビのある生活をしていた。
もちろん私自身はテレビが嫌いだからわざわざ我が家へテレビを持ち込むようなことはしない。
元々ある環境で暮らしていたのだ。
しかし、テレビというもはあればあったでついついつけてしまう。不思議なものである。

まぁニュースとか趣味・美術・科学・歴史などの番組であれば、それなりに有意義だし、勉強にもなるのだが、大半を占めるワイドショーやらバラエティのたぐいがどうもよろしくない。
ワイドショーは一見ニュースのようにも見えるものの、特定の事件や物事に的を絞り、とにかくしつこく、何度も繰り返して朝から夕方まで延々と放送する。
取り上げるニュース自体に意義があるものならよいのだが、ある時は新潟の容疑者の生い立ちから現在に至るまで、それを同じ内容をしつこく延々と繰り返したり、ある時は19歳の餓鬼の拳闘試合の判定についてダラダラ言い合ったり、ようするにど~でもよいことなのである。
そんなことを延々と流すくらいなら例えば米国産の輸入牛肉がどの業者に輸入されてどのように加工されて、どういう商品で、どういう店舗に売り出されているかとか、それこそしつこく追求した方がずっと意義がある。
なんせこちらは現在進行中の、我々の生命の安全に関わることなのになぜか追求して取り上げない。

ど~でもいい、体制に影響のないニュースをまるで洗脳のように繰り返し流していることになにか意図的なものを感じる。

バラエティの方はもっとひどくなっている。
昔はそれでもトークの内容にひねりやテクニックがあって、こちらも「う~ん」と唸らせるものも少なからずあった。
ところが最近は意味のない1フレーズの繰り返し、加えてギャグというよりキレるだけという箸にも棒にもかからない手合いも居る。
それを身内の馴れ合いだけで盛り上がっているけど、テレビの前のこちらとしては首を傾げるばかりである。
以前も確かにひどかったと思うが、最近はまして酷くなっていやしまいか?
たぶん、毎日見ている人には徐々に質が落ちてきてもそれほど変化に気づかないのかもしれない。

そういうものを避けてそれ以外の映画とかも見ることもあるのだが、どうもPCやDVDで好きな時間に好きな区切りで長編映画などを見る癖がついてしまったので、一方的に時間を決められて、その時間に合わせてみるというスタンスではない。
そういう人の為にHDDビデオなどがあるのだが、いちいち時間を設定して録画するのもなんだか面倒くさい。

早く、テレビという箱がインタラクティブになって、時間にとらわれず好きなコンテンツをチョイスできる時代が来るのが待ちどうしい。

2006年09月03日

●ロバのウンコの罵り合い。

先日、調べごとがあってある大手の匿名掲示板を閲覧していて、そこで知り合い(リアルでは知らないし、それほど親しくはない)のサイトが晒されているのを見つけてしまった。

中には晒された本人とおぼしき書き込みもあってスレの本筋を無視した形でかなり荒れていた。
こういうのを見ると煽る方にもまたそれに熱くなって反論する方に対しても「暇だなぁ」という感情しかわいてこない。
こういう人たちはとにもかくにも「真剣に生きていないのではないのか?」という気がする。

真剣に生きるとはいってもなにも四六時中、眉間に皺を寄せてテツガクしちゃっているというものではない。
たとえば真剣に顔を洗うとか、丁寧に歯を磨くとか、1日1回床掃除をするとかゴミをこまめに出すとか、月1回はカーテンを洗濯するとか友人への手紙を一生懸命書くとか、ごく当たり前のことだ。

でもこうやってののしり合っている人たちはこんなごく当たり前のこともろくにできていないんじゃないかとも思う。
もしかしたら、家事全部をメイドに仰せ付けて、自分はバスローブ姿でブランディグラス片手に他人の中傷を書き込んでいるのかもしれないが、それはそれでなんだかなぁと思う。

でも、たぶんそうじゃないから人のアラが気になったり、煽られる方もとかく人目を気にするあまりに反論に躍起になるのだろう。
こういう手合いはどっちもどっち「ロバのウンコ」だと思ってしまう。

まぁ、そういう「ロバのウンコ」の手合いを相手したくなくて自分のサイトはなるべく深く潜るようには心がけているのだけど・・・
ただ、自分のサイトがどこかで批判を浴びるようなことがあって大して気にならないともう。
それはこちらがいくら気をつけても不特定多数の中には気に入らない人間なんて必ず居るものだし、そんな手合いを相手に大立ち回りを演じてもむなしいだけである。
そんな暇があったら自分の生活を一生懸命、行いたいし、たとえそれで時間が余っても多分、ほかのことをするだろう。

結局はネットで他人を中傷したり、自ら非難されるようなことはなるべくさけて、自分の生活を丁寧に真剣に生きていくほかはないのだろうと思う。

で、肝心の調べごとといえば荒れた掲示板からは何にも得られず(しいていえば、上記のような教訓くらい)結局はマニュアルを丹念に調べて解決した。
まぁそんな荒れた土地では何も芽吹かないってことなのだろう。

2006年09月02日

●自転車のチューブ交換

先日、自転車の前輪がパンクした。
パンク修理キットは引っ越しの際にどこかへ行ったらしく見つからない。
思えばそんな頻度でしかパンクなどしないので、常設する必要もないくらいだ。
で、仕方なく自転車屋へ修理に向かった。
幸いパンクの穴は小さいらしく空気を入れて2時間くらいは楽に走れる。
店の人に見てもらうとバルブ付近の穴なので修理のしようがないという。
それで、チューブ交換となった。
ある程度の出費を覚悟して値段を聞いて「へっ?」と拍子抜けした。
780円だという。
パンク修理の代金は850円なので、自分で交換してしまえばこっちの方がずっとリーズナブルである。
チューブも新品になって気持ち的にすっきりする。
なんせ今までのチューブは自転車を買ったときのままなのでかれこれ4年くらいは使用しているだろう。
痛みもひどいはずだ。
しかし、その時は私の自転車のサイズに合うチューブの店頭在庫は仏式しかなく、普通の空気入れが通らなくなってしまう。
予約を入れて、ようやく届いたので晴れてチューブ交換となった。
交換そのものは大して難しい作業ではなかった。リムにタイヤをしっかりはめ込むのも注意して丁寧に作業すればすんなり終わる。
後輪だとギアの関係でもう少し面倒くさいことになりそうだが、それでも新品チューブそのものよりも交換の手数料の方が高いなんて、やはり日本は人件費が高いんだなぁとしみじみ思った次第である。

追記:
つ、100円ショップにパンク修理用のパッチとのりが売っているじゃないか・・・orz
両方合わせても200円、ほかの器具と紙ヤスリはある。
今は何でも揃うのね。