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2006年01月31日

●ナイト・ウォッチ

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ナイト・ウォッチ

ロシア製ダーク・ファンタジー3部作の第1作で、第2作は撮影済みでポスト・プロダクション中、第3作は製作準備中。原作はロシアの同名人気ダーク・ファンタジー小説。05年ブリュッセル国際ファンタジー映画祭で銀鷲賞を受賞。監督は61年カザフスタン生まれで、本作が劇場映画3作目。 舞台は現代のロシア。中世から続く光の勢力と闇の勢力の抗争が危うい均衡を保っているのは、非人間たち=アザーズがナイト・ウォッチ(夜警)として人類を守っていたからだった。が、この抗争に終結をもたらすといわれる伝説の存在が誕生して、この均衡が崩れていく。

ロシア映画で独特の斬新さと元気さが感じられた。
世界観の説明は冒頭のみ。後は観客の理解にはお構いなくストーリーは進んでゆく。
そのため、登場人物の動きや台詞から状況を判断してゆくしかない。
ただ、映像そのものが魅力的で斬新なためついつい引き込まれたまま、物語の進行ととものなんとなく状況は解ってゆくのでそれは安心である。
映像はCGを多用しているが最近見受けられるような嫌みなものではなく、この映像表現ならCGを使わなくては無理だと思えるようなミクロからマクロ、超高速から超スローまでの動きが次々と繋がり爽快感ですらある。
登場人物も格好いいんだか、悪いんだか、真面目にやっているんだか、笑いになっているんだか、ストーリー自体は極めて深刻な問題だけにそのギャップがまた際だってバランス的にも面白い。
見かけはチープだが、実は重要というギャップの楽しみ方が良い。
たとえばマトリックスでも偉大な予言者が、会ってみると、うらぶれたアパートのおばさんだったり、ああいうテイストがこちらは全面的に打ち出されている。

ロシアからこのような元気の良い映画が出るとは正直驚きだった。
マトリックスと同じように3部作の制作が決まっているとのこと、続編が楽しみだ。

●銀行の再統合

 銀行のオンラインバンキングを利用して、UFJが三菱東京UFJ銀行という長ったらしい名前になっていることに気づいた。
 ここ十年の間に次々統合されて元の銀行名にとまどう。
 最初口座を持っていたのが、三井銀行だったと記憶しているが、それが太陽神戸三井銀行という長ったらしい物に変わり、それからさくら銀行とあっさりして、今は三井住友銀行である。
 勤めていたときに定期預金口座を開いた富士銀行は今は何になってしまったのだろうか?
 こないだ書類の整理していて、ふと昔の通帳を見つけ、駅前のATMの集まっている場所でキョロキョロ探してみたが解らない。
 あまりキョロキョロしているとカメラの設置場所でも探している不振人物にも見られかねないので、意を決してこちらを見ている守衛さんに声をかけてみた。

 「えぇっと、富士銀行は何になったんでしょうかねぇ?」
 「えっ!? 富士銀行・・・う~ん、憶えていないなぁ」

 私と守衛さんの会話ですらこうである。

 これがもし、老い先の短い身寄りのない老人がタンスの引き出しから富士銀行の定期預金通帳を「発掘」したとしたらどうだろう?

 「あのぉ、富士銀行はどこですかのぉ?」
 「富士銀行は無くなりました。」
 「無くなっちゃったんじゃしょうがないねぇ・・・」
 と、トボトボと家路につくことになりはしないか?

 もしかしたら、それこそ銀行の思うつぼなのかも知れない。

2006年01月30日

●音楽その2

 音楽に素養がない原因の一つには家庭の環境があるだろう。
 幼い頃の実家にはステレオで音を再生する装置は存在せず、すべてモノラルのあまりにささやかな機器のみだった。
 両親とも楽器はもちろん、音楽にもあまり興味がなかったようである。
 ポータブルのレコードプレーヤーがあったが、そもそもレコードの数が少なかった。
 特に貧しい思いはしていなかったので、ステレオ装置やレコードが買えなかった訳じゃないだろう。
 音楽よりむしろ両親とも絵を描くことは好きだったし、カメラの方は父親はブローニーの中判(ゼンザブロニカEC)に日コールのレンズを、母親はコニカFPという一眼レフにヘキサノン52㎜/f1.8のレンズを付けてよく写真を撮っていた。
 そのため、自分自身の幼い頃の写真は他の家庭に比べて多いと思う。
 恐らく、左右から別々の音が出ることなどにあまり興味がなく、どちらかというと、レンズの描写とか、色乗りとか、どちらかというよビジュアル寄りの環境だったのだろう。
 そんな環境に育ったので、中学生になって初めてウォークマンで音楽を聴いたときには目から鱗が落ちるくらいの衝撃だった。
 左右から別の音が出るだけで、まるで頭の中で生き生きと音楽が奏でられるような錯覚を憶えた。
それで高校時代にバイトして自分でステレオ装置の購入して我が家にもようやく文明開化となったわけである。
この話は長くなるので今回は省く。

実は私にも一つだけ弾ける楽器がある。
高校時代に縁があってブラスバンドに入ったからだ。
楽譜が読めなくても一から教えてもらえるということで、とりあえずやってみることにした。
楽器を選ぶ段に吹奏楽からいくつか候補があったが、クラッシック音楽が好きだった私にはサックスはちょっと派手すぎるし、かといってフルートは女性の吹く物という印象があって、結局、無難なクラリネットに落ち着いた。
最初は音を出すだけでも一苦労だった。
練習の成果で何とか一番低い音から高い音まで出せるようにはなった。
いまでも唇にリードの感触は憶えている。

音は出たものの音譜が読めないのでもっぱら指で憶えるしかない。
憶えたところでリズム感がなく、周りにもだいぶ迷惑をかけたことだろうと思う。
それでも3年くらいは続いた。
おかげさまで今でもクラリネットなら何曲かはソロで吹ける(と思う。)

でも、クラリネットはお借りした物なので辞めるときに返して今は手元にない。
何か手元に置けて気軽に弾ける楽器が欲しいところだ。
そういえば、前に池袋の西口広場で、たしかドヴォルザークの新世界より「ラルゴ」をリコーダーで演奏していたのを聞いたことがある。
リコーダーと言っても小学校の時に使うような縦笛の高級版ことである。
見事な演奏でしばらく立ち止まって聞き惚れていた。
ああいうお手軽な物でも良いのだろう。

2006年01月29日

●音楽

 残念ながら、私には音楽の素養がない。
 楽器の一つも弾けたらどんなに良いかと考えるのだが、これと言った物も持たない。
 第一、楽譜が読めないのだ。
 その為、ごくごくたまにではあるが、自分なりにはすごく良いロメディーを浮かぶことがあっても、それを記録としてとどめておく手段がない。
マイクロテープはいつも手元にはないし、たいがいの場合は「あぁ、良いメロディだと思うのになぁ」と悶々としながら、やがて忘れ去られてゆく。
 夢の中で実際には存在しない新曲を聴いて「あぁ良い曲だな」と思うことがある。
 実は今朝も浜崎あゆみの存在しない"新曲"を聞いて「なかなか良いじゃん」と感心した夢を見た。
 べつに浜アユのファンでもないし何故、浜アユの夢を見るのかは正直解らない。
 曲自体は実際には存在しない物ということは理解しているし、良いメロディだったという実感はあるのだが、起きてみると曲のメロディはすっかり忘れている。
 別にライブで巧みに楽器を奏でられなくても良いから、自分の頭にふと浮かんだメロディをメモ書き程度でも保存しておく方法とそれをある程度の形に出来るツールが欲しいと思う。
 音を打ち込む37鍵のミニキーボードは手に入れているので、あとはじっくりとキーを打ち込んで、自分のイメージにあったメロディ作りをしてみたい。
 一つは私の持っているデジタルカメラがマイクを備えてあるので比較的、素早く浮かんだメロディなら口笛などでメモは出来た。
後はこれを一応人様に聞かせられる形に加工できる簡単なツールがあると良いんだけど。
 世に出ているいわゆるシーケンサーというソフトはどうも私のような素人には優しくない。
どれも過分な機能満載でそれを学習するだけでもとてつもない労力を要する。
OS9の頃はMIDIGraphyというとてもシンプルなMIDIシーケンサーソフトがあった。
これはQickTime音源を使用してインストールして直ぐに音が出る。
動作も速く、必要十分な機能、そして何よりも嬉しいことにレジストしなくても使えて2000円という低額で配布されていた。
 OSXになってからこの手のソフトはほとんど皆無になった。
唯一、Intuem と言うソフトが存在するが、これは英語版だけの有償でいささか高い。
 MIDIGraphyのカーボン版があればと切実に思うこの頃である。

2006年01月28日

●主体性

 最近ふと実感し、何となく理解したことがあったので想像するまま書き綴る。
 少し前までの私は運命論者ではないが、どこか世間の時事に対して冷ややかなところがあった。
 自分自身のことはともかく、他人に対しては影響を及ぼすことはできず、結局はなるようにしかならないと、とかく諦めがちなところがあった。
 これは自分以外のことに関しては影響を及ぼせず、どのようなアクションを起こそうとも結果は同じなのだろうと思うことがあった。
 しかし、最近、勉強して自分以外の結果にも様々な可能性があるということを思いめぐらすに至った。
 
 それはこういうことである。自分の起こす一瞬の思いの選択にはおよそ3000種類の結果がある。 (この3000いう数字には根拠があるが難しくなるので省く)
 その3000種類には上は1から下は3000まで善し悪しの区別を付けることができる。
 理論的にはその一瞬で即、1番良い結果まで、たどり着くことができるが、過去の流れを引きずっているので、まずは無理である。
 ましては上1〜600位までは(3000を10で割って上2位)利己主義では得られない結果である。

 この一瞬の中で3000もの結果の世界を、自らの身を乗り物にたとえて、一瞬一瞬を上下を繰り返しながら移動しているのだろう。
 過去の選択によっては現在がもっと悪い結果にもなりえたし、もっと良い結果にもなりえたのだろう。
 過去にもそういう選択を繰り返したからこそ自分が今いるこの環境は、結局は自らが選んできた行き着いた結果に他ならないと改めて悟った。

 結果である過去は変えることはできないが、未来はこれからの意志でいくらでも変化できるだろう。
 まず、自らが主体的に動く。そしてその結果は様々な可能性に満ちあふれていて、決して運命論的な一つではない。
 少しでも良くしようと一瞬一瞬の思いの連続と行動が自らの置く環境を変えてゆく(より良い平行存在的な環境に移動する)ことだろうと実感し理解した。
 より良い人々は、すでにより良い環境に移動していて、結果は一つではない。

2006年01月27日

●ゼンマイ仕掛けのコンピュータ

 若い頃、貧乏をして電気代が支払えずに何度か電気を止められた苦い経験があるので、稼働に電力が必要な道具という物にはどこか懐疑的である。
 冷蔵庫も洗濯機もない生活をしていた頃、月の電気代は1200円くらいだったと思う。
 それが、世間並みに冷蔵庫を購入した後、月の電気代が3000円台にふくれあがった。
 なんだか理不尽な気がして「お前のために稼いでいるんじゃない!」と、冷蔵庫を恨めしく思った経験がある。
 そもそも、中に入れるべき食料などほとんど無く、ワインを冷やすくらいだった。

 今でこそ家電製品に囲まれて、便利な生活を送っているが、もし電力が止まったら、という不安感は今でも持っている。
 私のような苦い経験でなくても、趣味のキャンプであえて不便な環境に身を置いたりする人、停電などで不便を経験した人は共感してもらえるのではないか。
 そういう他エネルギーに依存する生活への不安から普段から余計な機能のないシンプルで故障が少なく、そしてあまり電力を消費しない物を選んで購入している。
 メーカー側は商品の差別化に付加価値を付けようと様々な機能を追加していて、これが基本機能にまで悪影響を及ぼす場合がある。
 どうせ使わない(使えない)要らない機能ならバッサリと捨てて、シンプルなものにしたほうが長く付き合えるのである。

 コンピュータに関して言えば、私がデスクトップ型ではなく、ノート型を好むのも蓄電が可能な事と無関係ではないだろう。
 そもそも省電力で動く設計になっているし、とりあえずどこかで電気をもらえば1時間くらいは動いてくれる。このとりあえずという安心感は嬉しい。

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 そこから、さらに考えて、機械式のコンピュータを夢想したことがある。
 時計のような精密機械で動き、ディスプレイはON/OFFのモノクロのみというものである。
 しかし、いくら精密でも機械部品だけでコンピュータを構成することは無理だろう。
 現実的には極小の消費電力で稼働するゼンマイ発電装置を備えたコンピュータとなるだろう。
 あり得ないような話だが、実際に昔、AppleがNewtonというPDAを作っていた頃、電力供給のままならない発展途上国の教育市場向けにこぶし大のゼンマイ発電装置もセットで売り出されていたそうである。
 そのPDAはeMate というキーボード装備のラップトップ型だったので、これこそまさにゼンマイ駆動のコンピュータと言える。

 最近ではMITの Media Lab から教育用に100ドルPC が発表された。
 横のレバーのような物を最初マイク端子かと思っていたが、なんとこれがゼンマイ用のクランクなのである。さらに折りたたむと電子書籍リーダとしても利用できる。

「世界中の子供たちすべてにラップトップを」という壮大にして夢のあるプロジェクト。この取り組みにはとても共感できるし、これについて書きたいことは山のようにあるのだが、長くなりそうなので日を改めることにする。

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2006年01月26日

●イーオン・フラックス

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あらすじ

西暦2015年、品種改良による麦から発生したウィルスにより、人類の98%が死滅。人類は科学者トレバーの開発したワクチンにより、かろうじて滅亡の危機を回避できた。以降、人類は汚染された外界を壁で隔てた都市ブレーニャで、救世主の子孫トレバー8世を君主に、トレバーの弟と科学者達から成り立つ政府に厳しく律されながら暮らしていた。一方、主人公イーオン・フラックスは反政府組織“モニカン"に属する優秀な戦士であった。ある日、イーオンの妊娠中の妹ユナがモニカンの一員である事を理由に殺されてしまう。政府に対する激しい憎悪をもったイーオンに、いよいよ君主暗殺の指令が下る…。
アカデミー賞最優秀主演女優賞受賞のシャーリーズ・セロンが挑む、究極の近未来SFアクション超大作ついに登場!

監督
カリン・クサマ

出演
シャーリーズ・セロン
マートン・ソーカス
ジョニー・リー・ミラー

(作品資料より)

 ストーリー的にはそれほど斬新なところはなかったのだが、いくつか観るべきところがあったので記しておく。

 まず、映像がとても美しく、舞台装置も一つ一つ洗練されていて、ため息が出るほどである。
 服飾関係は誰のデザインだろう?
 中には現代に普通に着ても奇抜に見えずにかっこいいと思える物もある。
 「フィフスエレメント」も服飾に気を遣っていて、ゴルチエのデザインだったが、逆にそれが鼻につくアクに似た嫌みさがあった。
 しかし、こちらは作品に自然にとけ込んで、趣味の良い主張をしていた。
 舞台美術の洗練さがアメリカっぽくなかったので一瞬、フランス映画かと錯覚したくらいで、一部ジャポニズムっぽい箇所も見受けられた。
 アメリカ風とかヨーロッパ風などの区別はあくまでも感覚的な物なので、説明は難しい。
 一つ一つを分析的に捉えてみれば説明は可能だと思う。
 たとえば「マイノリティレポート」や「スターウォーズ」「スタートレック」のたぐいは極めてアメリカ的である。

 この作品に描かれる時代では装置一部にはナノ単位で作られ、ある物は目に見えないほどの物だったり、またDNA操作である物は植物に同化していたり、主人公の身体に装置が施されていたりと、今のテクノロジーとは次元の違いを見せる。
 そのため、私のようなメカニカルなギミック好きにはちょっと物足りないか、ナノ単位なら何でもありじゃんと思える箇所もある。

主演のシャーリーズ・セロン
シャーリーズ・セロン
フランス系の父とドイツ系の母の間に生まれる。南アフリカ郊外の農場で育ち、モデルとしてキャリアを積んで、ジェフリー・バレエ・スクールなどで12年間、クラシック・バレエを学び、ダンサーになることを夢見ていたが、膝の故障のために断念。ミラノやパリでトップモデルとして活躍した後、アメリカで女優を目指す。長編映画デビュー作は「トゥー・デイズ」でジェームズ・スペイダーの恋人役。美しいプロポーションもさることながら、役柄に合わせた演技力がある。
「ディアボロス」では、精神状態に次第に崩壊していくキアヌ・リーブスの妻役で衝撃的な演技を見せたかと思えば、「マイティ・ジョー」では、命がけで大ゴリラ・ジョーを守るヒロイン・ジルのような明るく元気な女性を演じている。
2003年「モンスター」でアカデミー主演女優賞受賞。

 「モンスター」は観たが、ちょっと後味の悪い映画だった。
 しかし、まさか、こんな綺麗な人があの役をやっていたのかと後で知ってびっくりした憶えがある。
 モデル出身にありがちな大根ではなく、演技力のある良い女優さんだと思う。
 今回は持ち前のスタイルの良さに加えてマトリックス並みの超人的なアクションも見せてくれる。

 作品自体はマトリックスのような圧倒的な衝撃を受けることはなかったが、シーンの一つ一つにデザインの参考になる可能性があったのでライブラリとして保管するには良い映画だろう。

2006年01月25日

●見ること

 昔、「見ること」について真剣に研鑽していた時期がある。
 芸大受験時代に課題のデッサンに打ち込んでいたからだ。
 その頃に読んでいた芸大出版会の「素描論」いう本があった。 現在は残念ながら絶版になってしまった。
 私が持っていた本は人に貸して戻ってこなく、今は手元にない。 もう一度求めようと古本屋を覗くが、まず見つからない。

 前置きが長くなってしまったが、その本に「見ること」の大切さを『名人傳』という書に書かれた中国の弓の名人の例を上げて書いてあったので、例によって思い出しながら書いてみる。

 昔の中国の弓の名人が、弟子に弓を教えるときに、まずまばたきをしないことから教える。
 まばたきをすると、その間に雑念が入り、弓の正確さを失うからである。
 それで弟子は2年かけてけっしてまばたきしないよう目を鍛える。
 次に師匠は虱(しらみ)1匹を自分の髪の毛で縛り、南向きの窓に吊るして終日、睨み過ごすことを命じた。
 何日も睨む修行を続けているうちに虱はやがて大きく見えるようになり、3年も経つと馬のような大きさに見えるという。
 そうして鍛えた目でいざ弓を取ると、すでに百発百中の名人になっていたという。

 ここでは見ることの大切さが書かれている。
 弓の名人と呼べる人が、実に5年もの長い間、まったく弓を取らなかったという。
 見ることが大成すれば、後の技術は自ずから付いてくるのである。
 これはデッサンも同じで、見ることはまず物を正確に認識する尺度を身につける訓練である。
 それが過ぎると次は物の本質を見る目が養われる。
 ものを見て理解し、自分が描いているイメージとどこが違うかを見抜くことによって、描くものをよりものの本質に近づけることが可能になる。
 そうしてよく自然を観察することによって、摂理を理解しものを写し取ることが可能になる。

2006年01月24日

●万年筆は縁である。

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 昨年の暮れから本妻の姿が見えない。

 外出の時にどこかへ行ってしまったのか、どこかに隠れているのか、仕方がないのでこの間は二号さんで我慢することにする。
 といっても、これは万年筆の話である。

 我が家には計5本の万年筆がある。その中で特に書きやすい3本を、向田邦子さんの例にならって「本妻・二号・三号」と呼んでいる。
 紙にくっきりとインクが乗ることを好む私は昔から万年筆好きである。
 バイブルサイズの手帳にびっしり書き込むため、ペン先は細字のFFまたはFである。
 昔はもっと小さい字でびっしり書いていたのでロットリングなどのテクニカルペン、それも0.1mmなどを使っていた時期もある。
 しかし、ロットリングはあくまでも製図の線を引くための道具であるため、文字を書くには適していない。
 調子の良いときはいいのだが、しょっちゅう目詰まりを起こしていた。
 万年筆のペン先に種類があることを知ったのはその後である。

 モンブランは買い換えて現在は3本目である。
 No146 , 142 , 146 と、前の2本は無くしてしまって、現存するのは最後の1本のみだが、実はこれは本妻でも二号でも三号でもない。
 実はモンブランは書きやすかった経験はない。
 では、なぜ3本も買ったのかというと、万年筆と言えばモンブランという固定観念に加えて世間並みの評価を真に受けただけだ。
 (野球といえば巨人、ジーンズといえばリーバイス等々、世の中には実に様々な固定観念が存在する。)
 しかも万年筆には同じメーカでも当たりハズレがあると聞いたので、書きにくいのは自分にとってたまたまハズレを引いてしまったのだろうと買い換えてみたわけである。
 さすがに3本続けてハズレを引き続けたわけだから、さすがにもう諦めた。
 もっとも、左利きが左手で文字を書くという時点で世間の評価など当てにはできなかったわけだが。

 万年筆というものは縁である。そして良いペン先に当たることは希である。
 今、本妻(現在行方不明)二号、三号は無印良品のアルミ丸軸万年筆である。
 値段も1本1115円と手頃でスッキリしたデザインと金属製の質感が気に入って3本購入した。
 これくらいの値段なら気軽に買ってペン先の当たりはずれを確かめられる。
 そのうちの1本が特に当たりで、これを本妻にした。

 メーカーのインクカートリッジは使わず、コンバーターを介してペリカンのインクを4色を使っている。
 ターコイズとバイオレッドとブラウンとレッドの4色である。
 万年質インクの混合は目詰まりの元になるので厳禁だが、ペリカンのものならば混ぜても平気なので、ブレンドしてオリジナルの色を作って楽しんでいる。
 3本有るので、それぞれに別な色を入れて、その時の気分によって使い分けている。

 モンブラン以外にもパーカー、ペリカン、シーファ等々色々使ってみたが結局は手軽で安価な無印良品に落ち着いた。
 生来の悪筆+左利きなので、万年筆もお安く手軽に使える方が合うのだろう。
 でも最近ではキーボードで文章を書くことが圧倒的に増えて、手紙ぐらいしか活躍のないのがちょっと寂しい気がする。

2006年01月23日

●脱皮

 私は一月に一回くらいの割合で脱皮する。
 それは精神的な「一皮むけた」という意味合いでも、他の何かの譬喩表現でもない。読んで字のごとく「脱皮」するのである。
 そりゃあ、月一回の割合で精神的に一皮剥けていたら、今頃、私は凄い人格者になってますよ。
 前回は大晦日の夜に新年に向けて「脱皮」し、そして今日「脱皮」したので正確には20日ぐらいの割合だろう。

 朝起きて、体が重かったり、ちょっとムズムズし始めたら、そろそろ脱皮の時期である。
 忙しくて仕事が詰まりきっているときなどは、時期を感じても残念ながら「脱皮」はできない。
 どうしても仕事が乗らなかったり、アイデアが浮かばない時に仕方なく「脱皮」して気分を変えることはあっても、どちらかというと大きな仕事が終わって、「さて、ひと休みするか」といった頃が脱皮に適した時期なのである。
 ちょうどひと仕事終わって、PCのHDDを整理したりデフラグをメンテナンスすることや、料理人が一仕事終わって刃物を研ぐのと同様、身体もメンテナンスして次の仕事にスタンバれる状態にしておく。

 人によって差があると思うが脱皮にはおよそ3~4時間くらいかかる。
 やり方は実に簡単だ。
 3~4時間くらいお風呂桶に浸かって、時々出て、ヘチマたわしでこれでもかというくらい擦るのである。
「なんだ、アカスリか」と言われるかと思うが、体中の老廃物を削り落として、中身はともかく表面は新品同様になるのだからこれは紛れもなく「脱皮」だと思う。
 血行も良く身体も軽くなって、動きも俊敏になる。

 「そんな、ドラえもんのしずかちゃんがあるまいし、忙しくて3時間も4時間もお風呂に浸かっていられないよ」とおっしゃる方には「簡易脱皮」をお奨めしたい。
 これは両足を長時間お湯に浸けて「足だけ脱皮」するというものである。
 足は第二の心臓と言われ、大事な箇所である。その足だけでも脱皮をするだけでも効果がある。
 フットバス等の保温機能やバブル機能を装備した高価なものが理想的だが、両足が浸かるくらいの大きなバケツに適温のお湯を入れて長時間暖めるだけでも十分である。
 冷めたらお湯がつぎ足せるように、やかんにお湯を仕掛けておく。
 こぼれたお湯でフローリングが濡れないようにバケツの下にマットを敷くことと、お湯足しなどで中断するときに足を拭いて歩き回れるよう、身近にバスタオルを用意しておく。
 この状態で椅子に座りながらPCで仕事をしたり映画を見たり、あっという間に2~3時間くらいは経ってしまう。
 その間にも足がムズムズしてふやけてくれば、普段、シャワーなどでサッと洗っただけではけっして取ることのできない角質がふやけてこそぎ落とせる状態になる。
 角質をこそぎ落としてみると、それまで自分の身の一部の皮膚だと思っていたものが、実はすでに自分の身を離れて身体の動きを妨げる足かせであったことがよく解る。
 この分厚い角質を取ると足は柔らかく驚くほど軽くなる。血行も良くなり、足先が暖まりやすくなる。
 前のエントリにも書いたが、半端でない冷え性の私が言うのだから間違いはない。

 さらに全身脱皮をすると、五感が優れてくる。
 血行が良くなるせいか、臭いや味に対するの感覚も研ぎ澄まされてくる。
 脱皮後の一杯がまたおいしいのだ。
 頭の回転も早くなり、全体的に1.5倍くらい(当社比)の性能が上がる感覚だ。
 普段から30分くらいは湯船に浸かっているので、体が温まって血行が良くなると、色々なアイデアが浮かんできて、すぐにでも出たくなるのはこのためだろう。
 ただし締め切り間際に「脱皮」をしていて締め切りに遅れては何にもならないので、普段の身体のメンテナンスとして冷え性の方はもちろん最近疲れ気味で怠さを感じるという方にも是非お奨めである。

2006年01月22日

●試験

 数年ぶりに試験というものを受けた。
 2週間ほど前に、81ページのテキストをもらって、毎日45分から1時間くらい読んでいった。
 さすがにこの勉強量では足りなく、一時はあまりにも自信が無くて棄権しようとも考えたが、今年の目標の一つに「逃げない」という誓いを立てたので、できるできないにかかわらず受験してみた。
 全体を通して2度ほどしっかり読んだので、意味は理解できる。
 記号問題はほぼ大丈夫だった。
 問題は筆記試験である。
 最近はキーボードを打つことが多くて、簡単な漢字も思い出せないのだ。
 どうしても思い出せず、しかたなく音で憶えたひらがなで記入する箇所もあり、かなり危ういと思う。
 それでも結果に関係なく受験して良かったと思う。
 自分の弱いところがよく解ったし、以前に比べて確実に理解は深まった。
 今回の試験を契機に勉強に励める機会を与えてもらえることに幸せを感じた。

2006年01月21日

●米国産牛肉再禁輸

 米国産牛肉が、解禁わずか1カ月で再び輸入全面停止になるという。

 成田空港に到着した米国産牛肉から、牛海綿状脳症(BSE)の病原体がたまりやすい危険部位の脊柱が混入していたとして、再び輸入を全面停止した。
 EUは6年前から米国産牛肉の輸入をやめたままだというのに、輸入再開ありきのゴリ押しには私はとても納得できるものではなかったのでかえって良かったと思っている。

 わずか0.01gの異常プリオンを摂取しただけで、10年後に脳みそがスポンジなる可能性がある。
 この10年後というのがミソで、これが直ぐに発症するものならば、問題がもっと表面化しているだろう。
 こんなデンジャラスな食べ物は決して口にしたくはないのだが、アメリカ産の牛肉という表記の食品を避けても、牛脂などを加工食品に変えて供給される可能性もあり、すべてに渡って疑いの目を持たなくてはならなかった。
 私のようにあまり食にお金をかけられない人は安い食材で済ませるが、「安い=多少、味や鮮度が落ちる」程度の認識でも「安い=危険」になられては困るのである。

 それで輸入再開が決まった翌日から何とか安心して暮らせるようにと真剣に願ってきた。
 今回のことで輸入再開の事の重要性が再確認されて再び永続的に禁止になるとしたら、むしろ喜ばしいことである。
 もちろん、輸入禁止されようが、吉牛を筆頭に日本フードサービス協会関連の守銭奴企業 の店には二度と行かないつもりだ。

2006年01月20日

●麺好き

 おそらく私を知る誰もが、私が麺好きであると言っても異議はでないだろう。
 それくらい麺好きである。
 たとえご飯を3食きちんと食べたとしても、それ以外に麺類を口にしないとどうも調子が悪い。
 外泊して、決められた弁当などしか口にできないときには3日目になると、もう麺類が食べたくて身悶えるほどである。
 常々「ご飯はライフだが、麺類はマナである」と言っている。
 ゲームなどをしない人には判りにくいたとえかもしれないが、それが実感である。
 仕事がつまって忙しいときほど麺類を口にしたくなる。
 むしろ忙しいときは三度の食事全部麺類で済ませることもある。
 たぶん作業でスキルをふんだんに使う分、消費マナが激しいのだろう。

 実際に、我が家には常に何かしらの麺類が備蓄されている。
 とくに高級なものでなくても、乾麺のお蕎麦とかインスタントラーメンやパスタの類である。
 これらのストックが少なくなると不安にかられる。
 そば好きには評判の悪い乾麺のおそばでも、ゆで加減でだいぶ味が良くなる。
 沸騰した後の差し水や茹で上がった後にしっかりと洗いをすることで、おいしくいただける。
 外食でも麺類をよく口にするが、日本蕎麦はなかなかおいしい店がない。 あったとしてもとても高い。
 もっと気軽に安くておいしいソバが食べられる店があるとよいのにと思う。

●大寒

 今日は大寒。モスクワで氷点下31度を記録したという。

FNN-NEWS.COM
ロシア全土を記録的な大寒波が襲う モスクワでも氷点下31度を記録
ロシア全土を記録的な大寒波が襲っている。
首都モスクワでも18日、最低気温が氷点下31度を記録し、暖房用に電力を振り向けるため、街の照明を減らすなどの対策を強いられている。
スターリン時代に建てられたある建物は、普段はこうこうとライトアップされているが、18日から照明をやめた。
18日朝、マイナス31度を記録したモスクワで、暖房のための電力消費が増えることに備えて、街の照明を抑制したためで、この寒波は、少なくとも週末まで続くとみられ、モスクワ市は各企業などに対して、最も気温が下がるとみられる19日と20日を休業にするよう求めている。
マイナス30度自体は、モスクワでも時折見られるものの、1週間にわたってこのような気温が続くのは歴史的にもまれで、17日から18日にかけて、モスクワで2人が凍死したほか、南部のボルゴグラードでも10人が死亡するなど、各地で犠牲者が増えている。
記者が「10秒だけよろしいですか?」と話しかけるも、市民は「10秒で凍えちゃうわよ!!」と回答を拒否したり、「ロシア人がみんな寒さに慣れているわけじゃないんだ! 僕だって寒い!」などと答える人もいた。

 やはり今年の寒さは異常だ。
 北の方の人は寒さになれているから大丈夫だろうなどと思っていたが、
「ロシア人がみんな寒さに慣れているわけじゃないんだ! 僕だって寒い!」という一言に、
「あぁ、そうだよなぁ」と妙に納得して、自分の偏見を反省した。

2006年01月19日

●Blogデザインのカスタマイズ

 どうも、Blogデザインがメインサイトとのイメージの差があってよろしくない。
 せっかくローカルで色々いじれるiBlogを使用しているのだからイメージの統一を図るためにカスタマイズしてみることにした。
 併せてブログ本文の外枠を角丸にしたサイトがあって、なんだか読みやすい良い雰囲気だったので私もやってみることにする。

 BlogPage.txtの中にブログ本文の前後にテーブルタグを入れ子式にして、角丸の画像を挿入してみた。

<table border="0" cellpadding="0" cellspacing="0" width="480">
 <tr>
  <td>
   <img name="blog_a" src="http://y-sky.net/img/blog-b_a.gif" width="480" height="5" border="0" alt="">
  </td>
 </tr>
 <tr>
  <td><table align="left" border="0" cellpadding="0" cellspacing="0" width="480">
  <tr>
   <td width="1" bgcolor="#CCCCCC"></td>
   <td width="478" bgcolor="#FFFFFF"></td>
   <td width="1" bgcolor="#CCCCCC"></td>
  </tr>
 </table>
 </td>
 </tr>

<tr>

<td>
<img name="blog_e" src="http://y-sky.net/img/blog-b_e.gif" width="480" height="5" border="0" alt="">
</td>
</tr>
</table><br />

 当初、ブログ内容に付く枠が付いてしまい、どこを修正したらよいか判らなかったが、com_style1.css スタイルシート設定の中にBorder "1"となっている箇所を"0"と書き直すことで綺麗に消すことができた。

 現在の枠が横幅480と従来より幅が狭く、デザイン的にメニューリスト側、右側に全体をずらす必要がある。
 スタイルシート周りをいじって、調整する必要がある。

 下のうざかったPowerd by iBlogの表示とリンクはタグから該当項目を削除して消すことができた。だんだんとシンプルになって良い感じだ。
 自分好みをあくまでも押し通すって言うのは大変骨が折れる。既成のもので満足できたらこんな苦労も必要がないのに・・・。

 メニューにあるカウンターcgiへのリンクタグが相対パスになっているので、階層深く保存されているアーカイブなどのインデックスページではうまく機能しない。
 タグを絶対パスに書き換える必要がある。

 今日はここまで。メインのページ以外のデザインがまだ出来ていない。
 またたいしたテストもしていないので自分以外の環境でちゃんと見られるかどうか不安だ。どうせあまり人が来ないから、良いんだけど。
 まずはメインページを自分好みにしっかり作り込んでからにしよう。

2006年01月18日

●運動

060118

 ここしばらく、体調が悪かったので運動不足である。
 寒いので布団から出られず朝のウォーキングも休んでいる。

 暖かい昼間にのんびりウォーキングしても良いのだが、フリーで仕事をしているとはいえ平日の昼間に近所をフラフラしているとちょっと世間の目が気になる。
 これが都心ならなんてこと無いのだろうが、郊外に引っ越してから昼間に近所でぶらぶらしている働き盛りの人はまず見かけない。
 だいたい朝9時をすぎると成人男性の姿は郵便配達と訪問販売の人しか見られないので、あとは主婦と幼児しか残らない。
 そんな中にフラフラと散歩して写真を撮ったり、買い物へ行ったりしているわけだから、疑いの目で見られかねない。
 もし近くで何か事件があったら、目撃情報で私の人相が流れていたなんてことにもなりかねないので、意味もなく昼間にフラフラ外へ出ることは控えている。
 まったく物騒な世の中である。

 そこで、バルコニーでできる運動をと思い、以前にさんざん遊んでいたローラーブレードを引っ張り出してみる。
 実は引っ越してすぐにこのバルコニーに人工芝を敷いていたのだが、去年の暮れにマンション全体の大規模改修工事があって、床をすべて防水加工するため芝がはがされてしまった。
 芝のグリーンがとても気に入っていたのでとても残念だが、ローラーブレードで遊ぶにはちょうど良いフラットな面になった。
良かった良かった。と前向きにとらえてみる。

 う~ん...予想していたことだが、20畳のバルコニーとはいえローラーブレードで遊ぶにはいささか狭い。
 直線の距離がないのでベンチの周りを廻るのだが、むなしく廻るうちになんだか自分がハツカネズミになった気がした。

 うぅ~ん、やはりルームランナーか、お安く縄跳びがよろしいようで...。

2006年01月17日

●過去のメモ整理

 最近ではブログシステムでメモを一括管理することにしている。
 ちょっと前まではPalmに付いてくるPalmDeskTopというアプリでメモを管理していたのだが、昨年あたりからブログによる管理に切り替えた。
 Palmの場合は、時系列で管理するのが容易でなかったり、すでにPalm社自体が日本語をサポートしていないことが一番の理由だ。

 どうも私はネットに繋がっていないと自分のメモも見られないようなシステムには懐疑的で、普通のブログ運用には消極的だった。
 「はてな」などたいがいのブログシステムは無料で利用できるので良いのだが、逆にもし管理会社がもう止めますなどと言われたら、とか.Macみたいに急に有料化になったらどうしよう、とかダウンしてデータが飛んだらどうしよう、とかそんな心配をしている。

 ネットに繋がっている顔のみえない相手に対して、個人的な記録の一切を任せられるかといえば、できない気もする。さらにサービスを無償で使わせてもらっているともし不具合があってもこっちも強く主張できないと思う。

 そんな私を見てある友人は「そんなことを心配したって、公のサービスのデータが飛ぶ可能性より、ローカルの自分のHDDが飛ぶ確率の方がずっと大きいわよ」と言う。
 なるほど友人はWebメールの利用者である。

 なるほどと思い、メモの保管の意味も含めて、ブログシステムの運用に前向きになった。
 ただし、ブログといっても通常のWebサイトにあるシステムを使用するものではなく、iBlogというアプリで作成したBlogを契約したレンタルサーバーで運用するというもの。

 これはローカルで記述・管理ができてXHTMLで書き出しが可能なので、Webにもアップできるというものでいわば折衷案である。
 そのため、あまり公開したくないメモはアップせずにそのままローカルだけで管理もできるし、アップしてもパスワードセキュリティを設けることも可能だ。
 ちょうどPalmDeskTopによるメモ管理に限界を感じていたところだったので渡りに船だった。

 メモ書きをブログに変更して一つ変わったことがある。
 それは、他人に見られるかも知れないという緊張感と、判りやすい内容説明の必要性だ。
 以前は個人用にメモを取るのに箇条書きのことが多く、しかも書きっぱなしであった。
 そのため、数年後に自分が見ても何のことか判らないものもある。
 これがブログで書くとなるとアップする前に一度、見直し、推敲し、もっと判りやすい適切な表現がないかを考えるプロセスが生まれる。
 一手間増えるわけだが、後々の自分のためにもこの方がよい。いわば「情けは人のためならず」なのである。

 したがって、今までのメモも一元管理するためには、過去のメモも判りやすい形に書き直す手間が発生する。
 まだここ数年のものならば、テキスト形式になっているので比較的作業が楽だが、問題はそれ以前のものだ。
 ほとんどが紙媒体である手帳に手書きしてある。
 実はパーソナルコンピューター使い始めた当時は、何度かメモをPCに保管することを試みたことがある。
 ファイルメーカー等のデーターベースを組んだり、テキスト形式にしてフォルダごとに管理したりもした。
 しかしどれも長くは続かなかった。一番の理由は外でメモを取るときにノート型のPCがまだ存在しない時代だったり、ノートPCを使い始めた後もサッとメモを取るのに起動の遅かったりで使いものにならなかったからだ。
 外で書いた紙メモを帰宅後にPCで清書する手間は長続きはしなかった。
 現在のようにPalmなどの身に寄り添ったモバイルデバイスのなかった時代だから仕方がない。
 それで、たいがいはシステム手帳に書きつづっていた。これらのメモをPCに入力し直すとなるとこれは考古学の判読作業のようにやっかいだ。
 年代毎にバインダーに綴じて管理してあるものの、量が多いし、しかも当時は紙がもったないと1ページのスペースにびっしり書き込まれている。

 いったい何を考えていたんだ・・・俺。

060117_01

 紙のメモでも、活字になっていればOCRに通してテキストデータに変えることもできるが、手書きで、しかも生来の悪筆だから読み返すのにすごく苦労する。
 こんなものが年単位で約12冊あるので、懐かしさで眺める文にはよいか、いざ作業となるといっそのこと全部焼き払ってしまいたい衝動に駆られる。
 それでもまだ紙に書かれた文字ならよい。
 じつは海外ドラマ「ツィンピークス」のクーパー捜査官に憧れて、メモ代わりにマイクロテープレコーダーを使っていた時期あって、これが30本近く・・・これはもう諦めるしかないだろうな。

060117_02

 マイクロテープはメモ取りが早いんだけど、あくまでもその後にテープ起こししてくれる、秘書なりアシスタントなりの「ダイアン」がいないと無理な代物だろう。
 いくら良いアイデアがひらめいてメモに取っていたとしても、後で判読できないなら全然意味がないじゃん・・・。

 あぁ...Macは1989年から使い始めていたのに外で使えないという理由だけで紙の手帳を使い続けていたが、メモはその都度テキストで保存しておけば良かったと今さらながら反省した。

2006年01月16日

●はやいもので

 早いもので、1月ももう後半。
この調子でいくとあっという間に1年経ってしまうのだろうな。
 去年も年頭にいくつかの具体的な目標を立てたものの1年間で飛躍的な進歩があったかというとそうでもない。 その分、何に時間を割いたかと問われるといまいち思い出せない。
無駄には過ごしてはいないつもりでも今ひとつ自信を持てない気がする。

 忘れていたが、過去のメモを整理していて思い出した事がある。
昔、人から聞いて実践していたのだがいつの間にか忘れていた。 去年の二の舞にならないようまた実践しようと思う。
 それは一年を半分に割って、半年を一年としてとらえて生活するということ。 つまり、6月30日は大晦日、7月1日から新年度のお正月ということになる。
 1年未だ11ヶ月あると考えるか、あと5ヶ月と考えるかだいぶ意識が違ってくると思う。 企業などでは四半期制度で4つに割っているがそれだとちょっとせわしない。 半分くらいに割る方が個人にはちょうど良い気がする。

 日付や時間に関してはこういう考え方でも、飲み物や食べ物については逆の考え方だ。
 よく言われるように、ボトルに残っている半分のお酒を見て、「もう半分しかない...」と悲観的に飲むのか
 「まだ半分もあるじゃん」と楽しく飲めるかというものだ。
 同じお酒ならばおいしく楽しく飲みたいので、迷うことなく後半で行っている。
 元々傍目から見てもヤキモキするくらい楽天家なので、こっちの方が性に合っているのだが、こと時間に関しては、厳しい方がよいのだろう。

2006年01月15日

●本好きの本嫌い

 本を読むことが好きだが、本を大切にする方ではない。

 写真集や貴重本ならばともかく、普通に読む本は買ってすぐに腰巻き(帯)をはずし、カバーをはずし、これ以上もうはずす物がないといった状態になってからやっと読み始める。
 どうも日本の本は過剰包装の感があって読むときの気障りになって仕方がない。
店頭で表紙に汚れが付いて、出版社に返品になっても、カバーだけ換えればそのまま売りに戻せるというリスク回避の考え方なのだろう。
 まぁそれだけ日本人は本の表紙のささいな汚れを気にする向きが多いのだろう。

 洋書などはたいていカバーを付ける代わりにほんの表面にPP張り(ラミネート加工のようなビニール張り塗装)を施してある。
 こちらの方が私のように読むときに気障りな人にとってはありがたい。
 だから仕事で自分の作る本の体裁に係われるときは、「表紙PP張りの断ち落としでお願いします。」とお願いしている。

 だいたい、本の内容が知識となって頭に入ればよいという考えなので本自体を大切にコレクションするという考え方はない。
 高い本はさすがにやらないが、安い文庫本などは平気でお風呂に浸かりながら読んでしまう。
 湯船に浸けはしないが、風呂釜の蓋の上で湯気に晒され、多少濡れた手でも平気でページをめくるので、もちろんシナシナになってしまう。
 本は消耗品であると割り切って、入浴の時間を有意義に過ごす方を優先してしまう。

 生来の貧乏性なのだろう、もし何も手にせずに入浴したら、ゆっくり風呂に浸かっておれず、他が気になってすぐに風呂場から出たくなる衝動に駆られる。
我ながらせっかちな性格だと思うのだけど仕方がない。
 これがもし。草津の奥地の秘湯なんかに浸かっているときは、その場の雰囲気を十分に楽しんでリラックスできるとは思うのだけど。どうも私は日常においてはリラックスすることは不得意らしい。

 本に話を戻すと、真新しい手の切れそうなものより、古びてボロボロのものの方に美しさを感じてしまう。
 これが端なんかがボロボロになってポストイットなどがたくさん挟まっていて、あちこちに書き込みがしてあったりすると「あぁ、読み込んだなぁ」と我ながら惚れ惚れしてしまう。

 ノートや手帳にして、新品よりも使い込んだ物の方が美しいと思う。
 たとえば映画「インディー・ジョーンズー最後の聖戦」でショーン・コネリー扮するインディの父親の持っている聖杯手帳などを見ると「おぉ!! 美しいなぁ」と感動してしまう。

060115

 ここまで来るともう美術品の域である。
 ただし、古本屋の中途半端に汚れた本は余り好きではない。
 消耗品の場合は安いのを選んで割り切って買っている。
 ごくごくたまに新刊の雑誌で気に入った特集があると積んである上から2冊目か3冊目を引きに抜いて買うのだから、我ながら身勝手だとは思う。
 たぶん他人が汚した中途半端な汚れは嫌いなのだと思う。 やはり私にも日本人の血が流れていると言うことなのだろう。

2006年01月14日

●自サイトの写真表示システムの変更計画_その2

 昨日の作業で一番時間がかかったのが、iPhoto内部の写真の整理だ。
 とりあえず、年代ごとに分けて管理したのでそれぞれは軽くなった。
 iPhoto Dietを使って自動的に重複する写真は削除できた。
 自動で引っかからなかった物は目で見ながら削除しなくてはならずこれは面倒だった。
 でもおかげでかなり軽くなった。

 ここのところ写真を撮ろうという気力が起きなかったのも、撮影後に激重のiPhotoで取り込むことを考えるとちょっとうんざりしていたんじゃないかと思う。
 それが明確に念頭にあって撮る気が起きなかった訳じゃないが、そういう無意識の作用も大きく影響してくる。
 何の道具にしてもそうだけど、いくら性能が良くても、運用でつまづいてやがて使うことが億劫になるケースがある。
 初期はあまりコンテンツが無くてサクサク気持ちよく動くのだが、コンテンツの増加とともに重くなり、その重さがやがて苦痛になって、使うこと自体を止めてしまうというものだ。
 ある時点で意識転換して、運用を見直すことで永続的な使用が可能になるのだろう。
 また、意識転換でなくても、マシンのスペックが上がってまたサクサク動くことも考えられるが、限度があるので、やはり運用の工夫は常々行った方が良いだろう。

 つらつらと過去の写真を見ていると、年代毎にだいたい1000~1500くらいの写真だ。
 あまり枚数は撮っていない。
 加えて、生活が充実して生き生きしているときほど、枚数を撮っている。
 感受性も豊かで見る物に感じて、それをとどめ置こうという姿勢が出るのだろう。
 反対に調子の悪いときに記録のために撮った写真というのは一目でわかる。
 日付で並べたときに判る自分自身のその時のバロメーターになっていてとても興味深い。

 デジタル以前の銀塩写真も数多くあるが、折を見てデジタル化してゆくか。
 数年前にも同様のことを考えて、試みたけど、まずハードのスペックが追いつかず、断念した。
 今の技術とマシンスペック、HDDの容量なら可能なことだろう。
 せっかく4800dpiで取り込めるフィルムスキャン可能なスキャナーを買ってあるのに、ほとんど利用してない。

 加えて、ブログの方にも過去のコンテンツを随時反映してゆきたい。
 今までのメモはPalmデバイスで書き、PalmDeskTopに取り込んであるので、日付で管理されている。
 それをブログの該当日付でエントリ化してしまえばメモ管理の一元化は出来そうだ。
 それ以前のメモは普通に紙の手帳に書きつづって年代毎にまとめてあるがこれはまた入力し直さなくてはならない。

 ブログシステムの方もコンテンツの増加に伴い過去ログの閲覧表示がネックになってきそうだ。
 月ごとのアーカイブ表示とタイトルのみを抽出するシステムの導入をそろそろ考えよう。
 ネットで提供されているブログシステムを使えば元々そんな機能はあるのだろうが、ローカルでXHTMLを管理するスタイルのiBlogではそんな機能も自分で組み込まなければならない。
 そのかわり、ブログページによけいなコンテンツがつかないし、お仕着せでない自分の好みに細かく設定が出来るのでやはりこっちの方がよい。

2006年01月13日

●自サイトの写真表示システムの変更計画

 新年にもなったしそろそろ自サイトに手を加えようと色々計画。
 撮った写真をシンプルに公開するというコンセプトなのでスタイルは今のままで良いのだけれど
 今の写真ギャラリーのシステムだと1ページ1枚の写真でリンク自分でいちいち設定しなくてはならない。
 これは、初期のIDのサンプルを参考にして作った物だから仕方がないのだが、更新が面倒だ。

  1.新規写真の追加のしやすさ。
  2.写真の順番の入れ替えなどの変更のしやすさ。

 この辺を重視してカートリッジギャラリーのサンプルを見ながら、いくつか候補を絞り込む。

 候補
 LooseSlide:
 これは写真の部分をパーンしてあたかも動画のような雰囲気が出せるが、逆に写真の構図をしっかり取っている物は全体に見せたい気もするし一長一短だな。仕上がった物は自分でも気付かないような感じも出せそうだ。

 SimpleSlide :
 これは本当にシンプルなスライド、全画面表示で自動的にスライドを進める。
 写真と写真の間はフェイドイン・フェイドアウト。
 マウスを重ねて先へ進むことも可能だ。 唯一無い物は写真の一覧表示だけか。

 LightBox01~06 :
 これはまず写真の一覧表示してそれから各写真を閲覧できる。
 拡大した後のスライドも手動で大きな表示にも出来る。
 数字による違いはバックのテクスチャーの違いだけど、シンプルな明るい01かブラックの02になるだろう。

 結局、スライドにするかライトボックスにするか迷う。
 自サイトのコンセプトとして元々シンプルな写真の公開を意図した物だから一覧表示の必要もないだろう。
 こちらが意図したとおりに見せられればいいのでSimpleSlideにしよう。

 新たに写真をセレクトしようと、iPhotoで過去の写真を閲覧していたが何とも重い。
 仕事で使っている写真なども放り込んでいるので、個人用に日々サクサク動かすにはライブラリを別にするしかないだろうな。
 500万画素のデジカメだからファイル1つ1つが重くなってしまうのだろうが、マシンの事情に考慮して記録の方式を劣化させることはないだろう。
 どうせすぐにマシンスペックが上がって重いファイルでも楽に編集できるようになるだろうからまずはコンテンツのクオリティを最優先に考えたい。

 ライブラリを分ける方法。
 iPhoto Buddy:ライブラリを小分けして複数のライブラリを管理。
  http ://nofences.net/iphotoBuddy/

 使い方の説明はここ
  http://asfradio.exblog.jp/1480728#1480728_1

 その前に重複する写真や編集前の写真を削除するアプリケーション。
 ○iPhoto Diet:肥大したライブラリーのデータ容量を減らす。

  http://pages.cpsc.ucalgary.ca/~fuhrer/personal/freestuff/

 これで準備はOK。
 ライブラリを分けるのはやはり年代別にして、その中のオキニだけ、別ライブラリをもう一つ設けるやり方がよいか?
 全写真を一つのライブラリに入れておくと、普段撮った写真をiPhotoに追加するときにそれだけでストレスがたまりそうだからやはり年代ごとに分けた方が良いだろう。
 年代内の写真からレートを付けて星3つ以上のスマートあるばむ形式で抽出された物のみを、ベストアルバムの方へ移動、追加する方法がよいだろう。

 年代ごとにライブラリを作成
 大元のライブラリのあるフォルダ内に年代別フォルダで分けられているのでそれを選べば写真の抽出は楽。
 各年代を吸い上げた後は元のライブラリを捨てる。

2006年01月12日

●ID for WebLiFE:標準フッタのアイコン&リンクの削除方法

使い始めてすぐに気になっていたんだけど、ID for WebLiFE(以下ID)って吐き出されたindexページのフッタ部分にデジタルステージのアイコンとリンクがついてしまう。

個人の物なら気にならないんだけど、企業相手で仕事で依頼された物なんかはいささか具合が悪いので、これまで、IDで作った物をアップしてからindex.htmlだけDWで編集した物に差し替えていた。
そもそもHP制作アプリとして発売している物の成果品に標準で自社のリンクを張るなんてちょっと変なんじゃないかな?
アップした後にいちいち差し替えるのも面倒だし。
しかし、元のファイルを編集すればアップしたままで行けることが判った。これで1手間省ける。

IDの制作する各サイトはサイトカスタマイズという設定項目でHTMLデザインの変更が出来る。
このプルダウンで選ばれる内容は ID for WebLiFE/My Settings /HTMLs / の中にフォルダごとに分けられてセットになっている。
たとえばバックが真っ白なindexページはDefaultというパッケージになってる。
サイトカスタマイズの設定でDefaultを選んだサイトはすべてこの内容を引っ張ってこられるわけだ。

そこで、元のファイルからフッタ部分を削除する方法。

My Settings /HTMLs /のフォルダ (例えば)Default の index.html をテキストエディットで開く。

ソースが表示されるので、その下の方(#FOOTER の上)にある
以下のソース(改行しています。)を丸ごと削除。

<td width="16" valign="top">
http://www.digitalstage.net/go/idweb/goidweb.html" target="_blank" onmouseover="MM_swapImage('idweb','','images/idbn_2.gif',1)" onmouseout="MM_swapImgRestore()">
<img src="images/idbn.gif" alt="ID Web" title="ID Web" name="idweb" width="16" height="16" border="0" id="idweb" />
</a>
</td>

これだけだ。
ちなみにサイトごとのヘッダ・フッタはサイトカスタマイズという設定項目のHTMLオプションでタグとして編集できるのでここでcgiやコピーライトを入れればよい。

と、まぁ普通の人ならここまででよいのだが、仕事で納品する人には、ブラウザからHTMLソースを見られるという危険性も意識しなくてはならない。
ちなみにディフォルトのHTMLのヘッダ部分は

<?xml version="1.0" encoding="Shift_JIS"?><!DOCTYPE html PUBLIC "-//W3C//DTD XHTML 1.0 Transitional//EN" "http://www.w3.org/TR/xhtml1/DTD/xhtml1-transitional.dtd">
<html xmlns="http://www.w3.org/1999/xhtml" xml:lang="ja" lang="ja">
<!-- ID for Web LiFE* HTML VER.1.0 -->
<head>
<meta http-equiv="Content-Type" content="text/html; charset=Shift_JIS"/>
<link rel="SHORTCUT ICON" href="favicon.ico">
<title>#TITLE</title>
<script language="JavaScript">
<!--

となっていて、これじゃあIDで作ったことがモロバレバレじゃん。(実際そうなんだけど...)
制作ツールの表示はまあいいとしてもコピーライトとかメタタグがサイトの案件ごとに違ってくるので、Duafultのフォルダを複製して、案件ごとの名前に変えて上記のヘッダ内容を変えて利用した方が良いだろう。

2006年01月11日

●MacBookPro 発表

 Appleは1月10日 こちらの時間で11日未明に新しいノート型PCを発表した。
 この次買うとしたらインテルチップ搭載のMacになるだろうと計画していたのでとても興味がある。
 いきなりディアルコアチップで今までのPowerBookG4と比べて4~5倍速いという。
 しかし、インテルチップでの安定動作を見極めるためには第二世代くらいまで様子見になるだろうから今年後半の買い換えになるだろうな。
 まあ、今のマシンでも十分満足に稼働しているのでその辺はゆっくりと見極めたい。
 (こう書いておかないと、現使用のマシンの調子が悪くなりそうなので本当に怖い..)

 ちなみに、これまでの歴代マシンの記録をみてみると
 ●1989年 Macintosh Plus MC68000 8MHz

 ●1992年 Macintosh Portable MC68000 16Mhz

 ●1993年 Macintosh Duo210 MC68030 25Mhz
  これは間もなく、ある事情で中身だけすげ替えてDuo230 MC68030 33Mhz

 ●1995年 Macintosh Duo280c MC68LC040 33MHz
  初めて所持したカラーマシン。これは本当によく働いてくれた。
  これも1997年頃にまたある事情で Duo2300c PPC603e 100Mhzのロジックボードにすげ替えた。

 ●1999年 Macintosh PowerBook 2400c PPC603e 180Mhz
  軽くて液晶の解像度も高く、使いやすかったが、小型のボディに集積度が高く複雑な構造だったため色々なトラブルが出た。 これを、PowerPC G3 240MHzに変えてしばらく使っていた。

 ●2001年 ラズベリー色のiMac PowerPC G3 333Mhz
  知人からの頂き物。

 ●2002年 PowerBookG4Ti PowerPC G4 550Mhz
  初めてのCDの焼ける機種。

 ●2003年 PowerBookG4Ti PowerPC G4 1Ghz
  初めてのDVDの焼ける機種。そしてOS9起動の最終ノート型。CPUのクロック周波数がやっと1Ghzの大台を突破した。
  これを現在でも使っている。

 こうしてみると、意図的なのだが、そしてすべてのマシンがディスプレイ一体型で、最初の一台(この頃はノート型などなくて、コンパクトデスクトップ以外自分で購入した物はすべてノート型で液晶。ほぼクロックスピードが倍になるようにして買い換えを続けてきた。
 あと、メモリ増設も含めて過去の買い換えPCの下取りでの差額を含めて予算が30万円前半未満ということも常に決めてきたことだ。
 もちろんマシーンのスピードはCPUだけでなくビデオボートやHDDやバススピードなど他の要因で左右されるが、買い換えるにははやり倍以上の数値がないと説得力がない。
 加えてマシンのデザインも重要なポイントで、PowerBook500シリーズなどはどうしても所持したいという気持ちになれなかった。

 上の機種以外にもIIciやらSE/30などを貰ったりしていたのだが、時代遅れで使い物にならず、すぐに手放している。

 余談だが3年前に購入したPlam機VisorEdge は CPUがモトローラーのMC68000の派生系でクロックスピードが33Mhz。
 1993年に購入したDuo230と同等のものが手帳サイズに収まって電池も2週間持つ。いやでも隔世の感が否めない。

 Macintoshとはかれこれ17年のつきあいで、その間メインのマシンは8台。
 平均すると約2年で買い換えている計算になるが、気に入ったマシンは部品を換えたりして結構長く使っている。
 そして買い換えたほとんどマシンが完動の状態で、他人の手に渡り、次のマシンの資金になった。
 マシンは大事に扱う方なので友人等に買い取ってもらうときも結構な値段で引き取ってもらえた。(業者なら買い叩かれるだろうけど)
 結局、マシンにかけた値段なんてこの17年間で100万円を超えていないと思う。
 一方、それで稼ぎ出した金額はその数十倍を遙かに超えているし、そもそも最初に就職したソフト開発会社との縁もMacintosh Plusからだ。
 そのほか友人関係等々金銭だけで推し量れない物も数多く得られている。
 そのため、マシンのスペックがあがると生活が向上するというジンクスが私の中であるくらいだ。
 今回、発表のあった新しいマシンの詳細を見るにつけ、次の9代目のマシンへの期待に胸が躍る思いだ。

2006年01月10日

●オペラ座の怪人

今日ニュースで流れていたがミュージカル「オペラ座の怪人」が、このほど「キャッツ」を抜いて、ブロードウェイのロングラン記録を更新したという。

以下は記事の抜き出し。

18年前に公演が始まった「オペラ座の怪人」。パリのオペラ座の地下に住む怪人が、ソプラノ歌手、クリスティーヌをスターに育て上げるというストーリー。これまでの観客動員数は1100万人。興行収入もブロードウェイ史上最高の、およそ6億ドルを稼ぎ出す大ヒット作となりました。
これからブロードウェイの記録を塗り替える7486回目の公演が始まるところです。
「こんなに長くヒットするとは思いもしませんでした」(作曲者、アンドリュー・ロイド・ウェバー氏)
なぜ「オペラ座の怪人」だけがこれほどの人気を集めるのでしょうか。映画やDVDの販売を組み合わせた広告戦略の巧みさを指摘する声もありますが、実は2度3度と劇場に足を運ぶリピーターの存在が、この記録を支えているのかもしれません。

思えば私が最初に観に行ったときからもう18年も経っているのね・・・。
リピーターがロングラン記録の要因の一つとの指摘があるが、それはとても納得がゆく。

なぜなら私自身、のべ3回ほど観に行っているからだ。
本当は数年前に4回目を見に行きたかったのだが、ブロードウェイと違って、常に上演されている演目ではなく、その時は「美女と野獣」だったのでそちらを観に行った。
しかし、これは1回見に行けばもう十分だと思えたし、「美女と野獣」にかぎらず「レ・ミゼラブル」や「キャッツ」その他多くのミュージカルも誘われれば2度目を見に行くけど、自ら見に行く気にはならなかったので、やはり「オペラ座の怪人」は作品そのものに魅力があるのだろう。

昨年公開された映画版「オペラ座の怪人」はミュージカル舞台の雰囲気を忠実に再現しているし、役者も良いし、とても良い出来だったけど、いささか時機を逸した感は否めない。
18年前に映画が作られていたらクリスティーヌ役にはサラ・ブライトマンが抜擢されて美声を聴かせてくれたことだろう。
ロンドンオリジナルキャストを堪能したくても現地までゆけない私のような者にとっては至福の作品になったに違いない。
それでも、やはり撮影されて時間を隔てた映画は劇場の生で感じる迫力には遠く及ばないんだけどね。

過去の記録を紐解くと、1988年6月に日比谷の帝国劇場で1回、次の年の5月に1回、さらに翌年の9月に新橋演舞場1回と計3回に観に行っている。
最初に観たときの衝撃が強かったので、ロンドンオリジナルキャストのレコードと、劇団四季の市村版のCDを買ってしばらくはそれを聴いていた。

若い頃に聴いた音楽は一生、耳に焼き付いてしまうものだし、数少ないCDを何度も何度も繰り返しかけていた物だから、もうそれで頭にすり込まれちゃって、市村正親の怪人役で「怪人の声とは、こうあるべきだ。」という基準が頭の中にできあがっちゃった感じだ。

それで最初の2回はまだ劇団四季に市村さんがいて、怪人役をやっていたんだけど、最後の1回は退団して、いままでラウル役だった山口祐一郎さんが怪人役になったので、だいぶ違和感を感じて、「さすがにもういいかな?」って感じで止めてしまった。

何にしてもそうだけど頭の中で一度基準が出来てしまった物はあとで崩すのがとても難しい。
しかも10代の頃に衝撃を受けて骨の髄まで感化される感覚って年を取ると、なかなかというか、滅多にというか、むしろ全然無い。
一度そういう風に骨の髄に刻み込まれた物だからちょっとやそっとでは揺るがないんだけど、逆にそれが頑固につながるとしたら考え物だ。
新しい物でも感受性豊かに感動できる柔らかい頭を持ちたいと思うこの頃だ。

それにしても一度で良いから当時のロンドンオリジナルキャストを生で観てみたいな。

2006年01月09日

●しゃべる猫

060109

 猫とは縁である。
 以前飼っていた猫は私の勉強部屋の押し入れの上で生まれた。
 母猫の名はサンボ。純粋なシャム猫でうちに貰われてきたときにすでに孕んでいて、数ヶ月後に勉強机に向かっている私のすぐ隣で1匹だけ子猫を生んだ。
 母がその子猫の名前を付けた。名前はダイアナ。もちろんシャム猫だった。
 
 たしかダイアナ妃の挙式があった頃だったと思うが、母は赤毛のアンの親友のダイアナから取ったという。
 私はあまり気に入らない名前だったが、仕方がなくディアナとやや発音を変えて呼んでみたりしていた。
 ディアナを生んだ母猫は間もなく手術をすることになり、しばらく入院していた。
 私は生まれたばかりで手間のかかる子猫を相手に暖めたミルクを綿棒で湿らせて食事を与えたり、寒くないよう保温に気を付けたり細々とした世話を焼いていた。

 母猫も無事退院してきて普通の生活に戻るが、その後はその子猫とは別段、親しい間柄になったわけではなく、相手の気分次第ですり寄って来たり、こちらもそれに応えて撫でていた程度だった。
 むしろ私の方は部屋に置いてある油絵の道具(中には毒物になる樹脂などもあった)やら、大事にしているオーディオ装置を荒らされたくないので、どちらかというと邪険にしていた。

 ディアナは生まれつきのやや寄り目で、近眼の人がそうするように鼻を押しつけんばかりに近づいて確認するところがあった。
 時折、眠っているときに上に乗ってきて、私の鼻に自分の鼻をすり寄せて臭いを嗅ぐ仕草をしたり、じぃーと私の顔を眺めていることもしばしばあった。
 ウトウトしながら私はその様子を薄目で観察し「何を考えているんだろうな?」と思いながらも構うこともなかった。
 これは余談だが、夜中に隣りに寝ている子に、鼻筋や口などを指でなぞられ、頬の面を確かめるようにして触られたこともある。そんな時はまるで自分がブロンズ像かデッサン用の石膏像にでもなった気がしたが、その時も寝たふりをしたままやり過ごした。

 母猫のサンボは外出好で、玄関先でいつも常に外へ出ようと機会を伺っていた。
 誰かが出入りするたびに隙をうかがってパッと外へ飛び出すことが多かった。

 それでも最初はマンションの廊下あたりで済んでいたが、だんだん範囲を広げるようになり、やがて帰ってこなくなった。

 ある日のこと、家族が全員が出かけて私とディアナだけの時があった。

 ソファーに座って頭や背中を撫でながら、ふと私は猫に言葉を教えてみようと思い付いて、ディアナを顔が向き合うように抱えて簡単な単語「おはよー」と何度か言い聞かせるように声をかけてみた。
 15度目くらいだろうか、ディアナはふと意志(あるいは意味合い)を持った目の色になり、舌で口の周りの舐めながらまるでのどの調子を確認するかのように「お、おはよー」とハッキリした口調で発音した。
 今から考えれば滑稽だが、その時の私は「おぉ!やればできるんじゃないか!世間で猫がしゃべれないのは努力が足りないのかもしれないな」と、妙に納得してさらに言葉をしゃべらせようと再度「おはよー」と呼びかけた。
 しかし、言葉を発したのは後にも先にもこれ1回きりだった。
 帰宅した家族に早速そのことを話したが、まるっきり信じてもらえなかった。
 そりゃそうだろう、私だって他人から聞いただけではまずは信じられない。

 しかし、後年に読んだ本の中で村上春樹氏が同じような経験をしたことが書かれていた。

 ある日、村上氏とシャム猫のみゅーずが昼寝をしていると、誰もいないはずの家で、すぐ隣から「だってそんなこと言ったって…ムニャムニャ」と言う声を聞いたのだという。
 驚いて、周りを確認したが誰もおらず、どう考えても隣に寝ている猫の寝言としか考えられなかった。
 確認しようと猫を起こして「今言ったのはお前か?」と問い質したが、猫の方は「何を言っているんだろう?」という目つきでその場からそそくさと逃げていったという。
 村上氏はその様子から何かを隠している印象を受けたと書かれていた。
 

 私は経験があるのでこの話を信じることができる。

 さらにそのみゅーずは村上氏に手を握ってもらいながらお産をしたと書かれていた。
 みゅーずは陣痛が始まるとすぐに村上氏の膝にとんできて「よっこらしょ」という感じで座椅子にもたれるような格好で座り込み、両手をしっかりと握ってやると、やがて一匹また一匹と子猫を生み出したという。

 お産ではないが、ディアナは私の手を握ったまま逝った。

 その日は、すでに実家を出ていた私は久しぶりに実家へ戻っていた。
 その頃は実家に帰ること自体が滅多になかったが、不思議な事にたまたま帰ったその日にディアナは亡くなった。

 その時、リビングでくつろいでいると、突然隣の部屋から妹が「ダイアナがが死んじゃう」とベソをかきなながら飛び込んできた。
 急いで向かうと敷かれた布団の上で息絶え絶え絶えに苦しそうなディアナがいた。
 その姿に何をしたらよいか判らない私は手を差し出した。
 その差し出した手の人差し指に肉球を重ね、ディアナは大きく目を見開き、必死に私の手(指)に爪を立ててしがみつき、最後の一息を吐くとあの世に旅立っていった。

 結局、この猫は揺りかごから棺桶まで私が見届けたことになる。
 よほど縁のあった猫だったのだろう。

 村上氏は話せるはずの猫が普段は話せない振りをしていると考えているようであるが、私の考えは少し違う。
 深い縁の者と一緒にいる時に、折に触れて瞬間瞬間に前世の記憶が蘇るのだろうと思う。
 それもよほどの縁のある者と一緒の時のある瞬間にだけだろう。
 前世が存在はまだ証明されていないが、仮に存在するとした方が色々な物事の筋が通りやすく、また存在した方が楽しいのでそう思うことにしている。

 結局のところ猫とは縁だと思う。
 今、妹のところで飼われているサラという猫は私が家を出た後に飼われた猫で。全く縁がないらしく私が近づいても懐かず、むしろ怯えさえする。
 別段いじめた記憶もないのにこうも嫌われると「縁のない猫なんだな」と一人納得している。
 猫を飼いたいとは思いつつできない私は、
ひょっとしたら現世では縁のある猫がもう居ないのではないかと危惧しているのである。

2006年01月08日

●傷

 洗い物をしていてちょっと手を滑らせて備前焼の小皿の端を欠かしてしまった 。
 傷はくさびのように鋭角に削がれていた。
 滑らせたのは数ヶ月前に買った白磁の小皿だが、こちらの方は何ともない。
 20年以上使ってきた物だけにこちらの不注意で傷を付けてしまったことにショックは大きく、後にも思い起こすたびに気が滅入る。
 それはまるで靴下に紛れ込んだ異物のように折に触れチクチクと気になるあの違和感に似ている。
 いっそ白磁の小皿の方が砕けてくれたほうがこんなに落ち込むことはなかっただろう。
 それが重ねた年月の重さというものだ。
 20数年身近に完きの形であった物が、ちょっとした気の緩みで傷物にしてしまう。
 なかなか、悔やんでも割り切れるものではない。

 欠かしたかけらを探したが、全部見つからないので見た目を元に戻すことはできない。
 かといって多年の情が移っているので捨てるに忍びない。
 そこで、時間がある時に欠けた部分をパテで埋めて金漆で仕上げようと思う。

 昔住んでいた家の近くに、小さなフランス料理のレストランがあった。
 家族で経営しているらしくテーブル数も少なく、値段も安いこともあっていつも満員だった。
 こじんまりとしてはいたが、中の調度品は店主の趣味の良さを伺わせる物だった。
 スッキリとしたアンティークの木製テーブルや椅子、BGMを奏でるロジャースのLS3/5Aという小型スピーカーでアンプもクォードの44と405のセパレートだった。
 皿は温めてから料理をのせて運ばれてくる。
 その皿を見ると物はよいのだが長く使ってきた物らしく端が所々欠けていてそこを金漆で繋いでいた。
 客に出す物に修繕したとはいえ欠けた物を出すなんて、と考えようによってはケチくさいと思うが、その時私は大事に物を使っている店主にとても好感を持ったことを思い出した。

 傷を過失ではなく新しく思い出が刻まれたものとして受け入れられればそれは素晴らしいことだが、傷つけて日が浅いだけに未だにそこまでは達観できない。

2006年01月07日

●行き場のない、にほい

 和室を開けると甘いリンゴの香りが漂う。
 年末に頂いたリンゴを仏前に供えているからだ。
 この時期、暖房効率を良くするためになるべく各部屋の戸は閉めておく。
 時々、部屋に入ると閉ざされて行き場のない香りが漂ってきて「あぁリンゴがあったんだなぁ」と気付かされる。

 果物という物はよい。
 見てよし、食べてよし、そして嗅いでよい。
 母が入院中はよく夏みかんを買ってくるように言われた。
 大分で生まれ育った母は柑橘系の果物が好きでよく食べていた。
 内蔵系の手術の後だったので、もちろん食べられないが、せめて香りを楽しみたかったらしい。
 買ってくると手に取り、鼻を近づけてにほいを嗅いで「良い香りだね」と嬉しそうにしていた。

 たばこを吸わないせいか、にほいには敏感である。
 忙しくて、洗い物がたまって、異臭を放つとそれだけで気が滅入る。
 かとおもえば洗い立ての洗濯物を身につけるとそれだけで晴れがましい気分になる。
 エレベーターに乗ったときにタバコのにほいが残っていると腹立たしくなる。
 にほいでその時の気分が左右されることも多い。

 食べ物は基本的に好き嫌いはないのだが、にほいで食べられないものがある。
 マトンの肉はなんだか脇の下のにほいのようで、たとえカレーでも鼻をつまんでしか食べられない。
 経験はないが、たぶんクサヤもドリアンもダメだろう。

 結局のところにほいとは、好き嫌いも含めて過去の思い出につながっている気がする。
 街ですれ違う人の香水のから、楽しい思い出がありありとよみがえることがあり、いつかその香水の名前を調べようとしているが未だにできていない。
 良いにほいだけでなく雨の後のアスファルトの湿ったにほいも思い出につながる。雨上がりの夜の公園のにほいもなぜか好きだ。
 ただし、季節によって微妙に臭いが違うらしく、「これだっ!!」と納得できるものは年に数回しか訪れない。
 似たような物とか好ましい物とかは身近に置くようにしているが、ダイレクトに思い出にアクセスする物はやはりその物でないとダメなのだろう。
 母にも夏みかんの香りでよみがえる何かの思い出があったのだろう。
 いまでも、仏前に柑橘系の果物は絶やさない。

2006年01月06日

●自分の環境にナマズを飼おう

 ブログのネタに「しゃべる猫」を書こうとして、前に読んだ村上春樹のエッセーの「不思議猫の存在」について、以前にサイトごと落とした朝日堂のフォーラムになかったか調べようとしたが、内容が膨大なのでMacOSXでファイルの全文検索のできる検索ソフトを探そうと思う。
 MacOS10.4のTIgerからSpotLightという機能があるのだが、こないだTigerからPantherに戻したばかりだし、しばらくTIgerにするつもりもないのでPantherで使える物を探す。
 OS9当時なら「File検索犬ぽち」という優れたソフトがあったのだが、OSXになってから全文検索を実行するGUIベースのソフトが見つからなかった。
 そこで、以前から耳にしていたNamazuシステムの導入を考える。

全文検索システムNamazuをMacOSXで使ふ
http://homepage3.nifty.com/~ynakano/laboratory/nmz-mac.html

 namazu本体をインストールする前に、GNU gettext、nkf、darts、chasen、ipadic、Text-Chasenをインストール
 慣れない作業なのでめんどくさいなぁ。
 英語のサイトを閲覧するため内容を理解しやすいように翻訳ソフトを使用する。
 MAC-Transer V2の翻訳ツールバーを使う。
 これがまたexciteのウェブページ翻訳より使いやすい。
 サイトページを表示したまま、翻訳ツールバーのボタンを押すだけである。
 英文の下に翻訳文が表記されるので見比べながら内容を確認できる。
 こうして副次的にやることが多くなって行くんだよなぁ...。
 そのかわり環境がどんどん使いやすくなって行くのだけど。

 上記のサイトを参考にまず

●GNU gettext
http://www.gnu.org/software/gettext/gettext.html
 から0.14.5が現在の安定版らしいのでgettext-0.14.5.tar.gzをダウンロード
 (ただし、本サイトからはダウンできず、ミラーのFTPサイトからバージョンを選んでダウンロードする。)

 圧縮ファイルを解凍するとgettext-0.14.5というフォルダができるので、その中身configureをターミナルへドラック&ドロップしてリターンキーを押して実行。
 しばらく処理をして入力待ち状態になるので make コマンドを打ち込みターンキーを押して実行。
 またしばらく処理をして入力待ち状態になるので こんどは make check とコマンドを打ち込みターンキーを押して実行。
 メイクのチェックにすごく時間がかかる...。
 やっとチェックが終わるがいくつかエラーが出ている。
 気にせずに最後のコマンド sudo make install と打ち込みリターンキーを押して実行。
 パスワードが要求されるので打ち込みさらにリターンキーで実行。
 インストールが始まる。

 終了後に /usr/local/share/gettext にインストールがされていることを確認。
 (不可視フォルダなのでPathFinderなどの表示が可能なツールを使用する。)

●nkf
ftp://ftp.dna.affrc.go.jp/pub/unix/nkf/

 cd /Users/自分のユーザ名/pkg_fol ←パッケージのあるディレクトリへ移動する
 cc -o nkf nkf.c ←コンパイルする。-oオプションでnkfというファイルに書き出しています。
 sudo cp nkf /usr/local/bin/nkf ←システム領域にコピーする。
 パスワード
 nkf -v ←バージョンを調べる。ちゃんとバージョン情報が出てきたら成功。

 続けてnkfのperlモジュールをインストールする

cd nkf ←perlモジュールのあるフォルダに移動。
perl Makefile.PL ←前準備
make ←コンパイルする
make test ←テストする
sudo make install ←システム領域にインストールする
パスワード
make clean ←ゴミを削除する。またはmake distclean

●ChaSenと辞書
http://chasen.naist.jp/hiki/ChaSen/?%C3%E3%E4%A5%A4%CE%C7%DB%C9%DB
本体:chasen-2.3.3.tar.gz (2003 8 16)

% ./configure --disable-shared
% make LIBS=-liconv
% sudo make install

辞書:ipadic-2.7.0.tar.gz

% ./configure
% make
% sudo make install

●Text::ChaSen
http://www.daionet.gr.jp/~knok/chasen/

% perl Makefile.PL
% make
% sudo make install

●namazu
http://www.namazu.org/#download

% cd File-MMagic
% perl Makefile.PL
% make
% sudo make install
% cd ..
% ./configure --disable-shared
% make
% sudo make install
% sudo cp lisp/namazu.el /usr/local/share/emacs/site-lisp/

インストール後 /usr/local/libexec/namazu.cgi を確認。

ローカルでnamazuを動かすには

超簡単 Mac OS XのローカルでCGI (SSIもPHPも)
http://homepage1.nifty.com/glass/tom_neko/web/web_cgi_osx.htm

/Library/WebServer/CGI-Executables/ にCGIファイルを置く
シンボルリンクで良いだろう。
ln -s /usr/local/libexec/namazu.cgi /Library/WebServer/CGI-Executables/

今日はここまで。未だナマズは動かない・・・。
一つのことをやろうとして副次的に多岐に渡って深みにはまってゆくのはいつものことだけど。あぁ面倒くさい。

追記 パンサーから標準のシェルbashにはsetenvコマンドは通らない。 仕方がないのでその時だけtcshに変えて処理を実行する。

2006年01月05日

●市販のソース無しで作るごく普通の素朴なパスタ

パスタを作ろうとしたがあいにくパスタソースを切らしていた。
そこでソースなしで作ることにする。

タマネギ 1/4
ジャガイモ 1個
ニンニク 1かけら
牛乳
バター
塩こしょう
鰹風味の本だし

ジャガイモを茹でて皮をむき、一口大のブロックに切る。
タマネギをみじん切り。
ニンニクもみじん切り。
フライパンにバターを溶かしてこれらを一緒に炒める。
頃合いを見て牛乳を注ぐ。
塩で味付けをして鰹本だし(粉)を加える。
茹で上がったパスタを絡め、隠し味にマヨネーズ。

もしあればこれにハムを刻んで一緒に炒めても良いだろう。
無くても十分いける。

これだけで市販のソースいらずのおいしいパスタができあがった。
牛乳などを使ってみても鰹だしを使ってどこか和風の風味を出すと和食に食べ慣れたDNAが馴染みの味にどこか感応する感じだ。
年末に頂いたタマネギとジャガイモの素材の良さも功を奏しているのだろう。

この次は頂いたスルメを手頃な大きさに切ってパスタを一緒に茹で上げて和風シーフードパスタにも挑戦してみたい。

2006年01月04日

●宝くじ

 年末になると年末ジャンボ。夏にはグリーンジャンボ。ニュースで見るたびに「あぁ、今年もこの季節が来たなあ」と感慨深い。
 特に年末は出費が多く、金欠で気弱になる時期なので、もし1等に当選したら・・・などと想像力をたくましくすることは多いのだが、実は一度も買ったためしがない。
 これは宝くじに限らず、パチンコ・競輪・競馬など、およそギャンブルというものには縁がない。
 「他力本願が嫌い」などという高尚な思想を持ち合わせているわけではなく、むしろ「他力本願大好き」なのだが、ギャンブルだけは一切しない。
 「もしかしたら当たるかもしれない」という"淡い期待"より、「当たるわけがない」という"信念"の方が強いのである。

 私がこのような傍目から見れば夢も希望もない、ある意味冷め切った思想を持つに至った経緯には、実は幼少の頃に受けた深く哀しいトラウマがある。

 子供の頃、近所の公園の近くに駄菓子屋があった。
 そこは子供好きな老夫婦の経営している、ごく小さなありきたりの店であった。
 そこにボードに賞品がホッチキスで留められ、のり付けで袋とじされた紙製クジが置かれていた。
 1~5等には幼い私をい魅了してやまない、(今見たら実にちんけで安っぽい物だろうが)金属製のモデルガンが腕に巻き付けるホルスターベルトとセットになって輝いていた。
 その1~5等の賞品がど~しても欲しかった私は、1枚50円という当時の私としては身悶えするような大金を支払って、普段は1枚、時には2枚とドキドキしながら袋とじのクジを破き、そして挫折していた。
 1~5等の豪華な賞品と比べて、それ以下のハズレは悲惨な物だった。おそらく10円のコストもかかっていないだろう、紙テープの火薬で、本体無しにどうしろっていうような代物だった。

 その日、私はとても"お金持"ちだった。
 お正月にお年玉を貰って、その足で駄菓子屋にお大尽様気分で入ったのである。
 私はすぐにそのクジの前に立ち、1~5等がまだ当てられていないことを確認した上で残り23枚のクジを全部買うことにした。
 今の自分なら「全部のクジを購入したのだから賞品を吊り下げたボードごと頂いてゆくぜ!! 」ぐらいは言えるだろう。
 しかし、幼少の素直な私はそこのおばちゃんが「一応、クジを開けてごらん」という言葉にそのまま従った。
 23枚のクジは開けれども開けれどもスカばかりで、どうしたことか1~5等のクジはなかった。
 途方に暮れている私におばちゃんは「だれかのいたずらでクジがなくなっちゃたみたい」と言い訳した。
 しかし、いたずらでないことは明白であった。1~5等とあと中堅をいくつを残したままボードは綺麗になっていた。
 そうである、もともと「当たりくクジ」などという物は存在せず、私はスカのみを引かされていたのだ。
 不思議そうに立ちすくむ私に対して、少し気の毒になったのか、それとも口封じのためか、おばちゃんは中堅の賞品の一つを渡し、クジを作り直すよと言ってボードごとそそくさと奥へ持って行ってしまった。

 幼少の私はその日に悟ったのである。 およそギャンブルという物はそれを管理する者がルールを決め、たとえ小勝はあったとしても結局は必ず負けることが決定付けられているだということを。
 その日以来、ギャンブルというもの全般にどこか疑いの目を持つようになり、自ら進んでやることは全くといってない。

 その昔、伊丹十三監督の「マルサの女」という映画の一シーンで、山崎努扮する脱税をしているホテル経営者に怪しい男が(どーでもいい話だが、あれは宮本信子の変装のだと思っていた)1等1000万円の当たりクジを1500万円で売りつけるシーンがあった。

 当選クジは非課税なので隠し資産のマネーロンダリングとしては格好なアイテムなのだろう。
 実際にそのようなことがあるかどうかは判らないが、あるとしたら、そのような抜け道をみんなで提供している形になるのだろう。

 ギャンブルに冷ややかな私にクジを買う熱い友人は言う「そもそもクジを買わなければ当たるわけがない」と。
 確かにそうだろう。しかし、幼い私その日に得た悟りを裏付けるように現在も駅前の一等地にはパチンコ屋がそれこそ「お城」のような外観で日々繁盛し、増殖し、そして決して減少することはない。

2006年01月03日

●福袋

 昨日のニュースで、デパートの初売りの様子が流れていた。
 人気は福袋だという。景気回復を反映してか、1万円クラスのものが一番売れるらしい。
 自分の好きなブランドで、内容も福袋の値段のおよそ4~5倍のものが入っているのだろう。
 並んでいる人の先頭は大晦日の夕方5時から並び始めたという。
 見ながらとても自分にはできないなあと感心した。

 いくら好きなブランド物でお買い得とはいえ、やはり好みのデザイン・色・質感・大きさがある。
 袋を開けてサイズは合うとして、色やデザインがいまいち気に入らなかったりしたらどうするのだろうか?
 我慢して使うか、人に差し上げてしまうのだろうか?
 ただ、自分で気に入らない物を人に贈る気にもなれないので、中身のわからない物にたとえ1000円でも出したくはない。

 通販でも同じである。消耗品やすぐに買い換えの利く物ならいざ知らず、しばらく手元に置いて使う物に関しては実際に手に取って確かめてみなければ購入する気にはなれない。
 サイトの写真で見るよりも実際は大きかったり、細部の作り込みが甘かったり、店頭で実際に触れてみてイメージが違うことはよくある。
 実は買う気満々で店頭で手にして、作り込みや質感に納得できず、購入には至らないケースも多い。
 実物を見てもし気に入ったら、その後に、サイトで一番安い店を探して、そこで実際に購入するというケースがほとんどだ。
 要するにケチなのである。

 ただし、これらの好みは長年の経験や試行錯誤から真剣に吟味して得られた物とはいえ、あまりにも限定的な好みを持つことは他への非寛容にもつながりかねないので、十分に注意が必要だとは思っている。
 限定的な好みの主張は社会生活を送る上でしばしば角が立つ物である。
 手頃なワインで楽しめている相手に、そんなものは邪道だと言ってヴィンテージワインの味云々を語るのは野暮であり無粋であろう。
 結局、福袋に入っている物を選り好みせずに素直に使うことができれば、それはそれで幸せなことなのかもしれない。

 中身のことはさておき、大晦日から並び始めたお父さんは子供のブランド服の福袋を買うためだという。
 5~7歳くらいの自分の娘の喜ぶ顔を見るために一生懸命だったのだろう。
 (実際に購入後、福袋を開ける娘2人の姿が写されていたがとても喜んでいた。良かったですね。)
 でも、5歳の大晦日からお正月は5歳にしか味わえないと思う。
 普段ならまだしも新年を迎える晴れがましい日にデパートの外で1日半も待つ気持ちには私にはどうしてもなれない。
 その分、子供と一緒に楽しく新年を迎えた方がよほど良い思い出になる気がするが、所詮価値観の問題なので私がとやかく言うことではない。

 結局、人気の福袋は一日で売り切れ、デパートはその日だけで18億円の売り上げが見込めるというのだから、これからも続いてゆくことなのだろう。

2006年01月02日

●年賀状

 ちょっと遅いが年賀状の話題。
 毎年、年末が近づくと年賀状のデザインに頭を痛める。
 一応、仮にもデザインを生業として食べている手前、あまりひどいものだと後の仕事にも影響してきそうで、恐ろしく手が抜けない。
 例年だと新しいインクカートリッジを買い求め、デザインに苦労しながらプリンターで印刷の調整を重ねたり、結構面倒だった。
 しかし、ほぼ年末だけに使っていたカラープリンターが今はもう無い。

  
 そのプリンターは起動のたびにヘッドの清掃と称してインクを吸い上げ、"全然使っていないにもかかわらず"30回くらい起動を繰り返すうちにカートリッジの中身は半分くらいに減っていた。
 それで引っ越しの時に腹立ち紛れに捨ててしまったのだ。
 まさに「ムシャクシャしてやった、この時期は反省している」である。

 従って今では、PCでデザインしても出力は外注に頼まないといけない。
 それほどの枚数を出すわけでもないので、外に頼むとかえって高く付いてしまう。
 加えて近年はカラープリンターの普及やハガキソフトでネタが氾濫しているので、そこそこのものはちまたに満ちあふれている。
 オリジナルのデザインをねらってもどこかで見たことがあるという感じになってしまう。
 うちに来る年賀状を見てもカラーはもちろん当たり前(いつの時代の人間だ?)
 みんなその手のソフトなどを使っているのがよく解る。
 こうなるといくら苦労して図版を作ってもその他多くの中に紛れてあまり効果が期待できない。
 中には表裏印刷(表側はシールラベル印刷を貼り付けたもの)というものもあり、
 気にかけていただいたと言うより、毎年の定型カードの送付というルーチンワークにただ引っかかっただけという感じも受けることもある。(まぁ送っていただけるだけ感謝しております。)

 私も表裏印刷にしていたときでも、たとえ一言でもその人に向けたメッセージを手書きで書くようにはしてきた。
 いっそのこと文字だけびっしりと一年の感謝の気持ちを書きつづった方が相手に伝わる気もするが、さすがにそれをする勇気はない。
 といことで今年からは市販のデザインハガキの中から自分の趣味に合うものを選んで使い
 その分の時間をかけて中のメッセージに頭を使うことにした。
 年末の定型カードの応酬ではなく、たとえヘタでも一年の感謝と新年の挨拶の気持ちが伝わる年賀状本来の姿に戻せればと思う今日この頃だ。

 追記、電子メールで送る相手も年々増えている。住所を知らなかったり、郵送で送ることで気を使わせてはいけないと思う相手が主である。
 こっちの方は図版とかAAで書くわけにもいかないので。本当に相手に対する心からのメッセージだけが勝負だ。まぁこれでもいいんだろうけどね。

●スケルトン・キー

The Skeleton Key(スケルトン・キー)
監督: イアン・ソフトリー
出演: ケイト・ハドソン、ジーナ・ローランズ、ジョン・ハート、ピーター・サースガード他
製作国:アメリカ
制作年:2005年

 スケルトン・キーとはこちらで言うマスターキーのことだろうか?
 ちなみに研究社 新英和・和英中辞典では、
 マスターキー a master key.
 とだけ記述があり、
 スケルトンキーは
 合いかぎ 《かかりの部分を削り落とし,多くの錠に合うように作ったかぎ》とある。
 用途は同じでもその成り立ちが違うのかもしれない。

 フードゥー(hoodoo)とは、ゾンビ映画などでおなじみの死者を蘇らせることで知られる「ブードゥ教」を起源にした、ニューオリンズの黒人達独自の呪術である。
 ブードゥーって聞くとまず思い浮かべるのが死者をよみがえらせる魔術、ゾンビものなのだがこの映画にはゾンビは出てこない。

 この映画の教訓はズバリ「信じるものは足をすくわれる」である。
 まぁ何を信じるかによるのだが、何の咎もない心優しい主人公が最後には不幸になって結末をむかえるという何だかなぁ的な感じしなくもない。
 正確に言えば主人公にまったく咎がない訳じゃない。
 それは、よりによってフードゥーを信じ、さらには対抗手段としてそのフードゥーの魔術を使ったことだろう。
 もうひとつ教訓を付け加えるとしたら「生兵法は大けがの元」もしくは「初心貫徹」だろうか?

 それに相手だって何のリスクがないわけではなく、だいぶ苦労している様が伺える。
 その辺がラスト付近での会話「毎回大変になって行くわ。信じなくなってきているから」といやり取りを聞くとこれからも、もっともっと大変なんだろうなぁと同情すらわいてくる。

2006年01月01日

●年頭の挨拶

 正月になるとほとんどの友人はみんな故郷へ帰ってしまう。
 故郷を持たない私は特に帰るところはない。毎年、この頃が一番寂しい。
 三賀日には会えず、年頭の挨拶もできない。1月中頃に会うのだが、その頃ではもう、「明けましておめでとう」などとは言えない。
 新年になって初めて会ったわけだが、最初の挨拶が何となく宙に浮かんだまま、うやむやに話を始めてしまうこともしばしばだ。
 「よぉ、ひさしぶり」というほどひさしぶりの再会じゃないし、「実家どうだった?」なんて言うのもいまいちしっくりこない。
 「寒いねぇ」なんていうのも何か大事なことをおざなりにしたようで、落ちつかない。
 何かよい挨拶がないかと毎年考えるのだが、未だにこれといったものが見つからず、今年も「やぁ、ごにょごにょ...」「おぉ、ごにょごにょ...」といったやり取りになりそうだ。

 新年なので久しぶりに礼服に袖を通す。
 思えばこの礼服は成人式の時にあつらえたものだからかれこれ何年になるだろう?
 黒のダブル、それほど高価なものではない。
 年に数回しか着ないし、体型もほとんど変わっていないので、型くずれや色あせも全くないので今でも全然OKなのだ。
 しかし好きな店のものじゃないし、もらい物なのでお仕着せの感があっていつかは新調しようと思いつつ今に至る。
 来年こそちゃんと自分で新しくあつらえたものを着たいと心に誓う。