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2009年08月31日

●Night and Day

《VERSE》

Like the beat, beat, beat of the tom tom,
Where the jungle shadows fall
Like the tick tick tick of the eye of the clock
You're standing up against the wall
Like the drip drip drip of the rain drops
When the sun shines through
So a voice within me
Keeps revealing you...you


ジャングルに影が落ちるとき響くタムタムのように
壁にかかる古めかしい時計が刻む音のように
夏のにわか雨が通り過ぎた後の雨だれのように
私のなかにささやく声がある
あなた、あなた、あなた... と


《/ VERSE》

Night and day
You are the one
Only you beneath the moon
And under the sun
Whether near to me or far
It's no matter, baby, where you are
I think of you
Night and day


夜も昼も、
あなたのことばかり
月の下でも、太陽の許でも、ただあなただけ
あなたのそばにいても、離れていても
あなたのことを考えている、
夜も昼も



Day and night
Why is it so
That this longing for you follows wherever I go
In the roaring traffic gloom
In the silence of my lonely room
I think of you
Night and day


昼も夜も、
どうしてなのだろう?
車が行き交うざわめきのなかでも
一人きりの静かな部屋のなかでも
あなたのことを考えている、
夜も昼も



Night and day
Under the hide of me
Though such a hungry yearning
Burning inside of me
This torment won't be through
'til you let me spend my life making love to you
Day and night
Night and day


夜も昼も、
私のなかのどこか見えないところで
あなたを求めてやまない気持ちが燃え盛る
想いがかなうまで、この苦しみは終わりそうにない
昼も夜も、
夜も昼も



Night and day
Under the hide of me
Oh, such a hungry yearning
Burning, burning inside of me
This torment won't be through
'til you let me spend my life making love to you
Day and night
Night and day


夜も昼も、私のなかのどこか見えないところで
あなたを求めてやまない気持ちが燃え盛る
想いがかなうまで、この苦しみは終わりそうにない
昼も夜も、
夜も昼も



Night and day
Night and day
Night and day
Night, night, night and day
Night and day
Night, night and day
Night and day



『夜も昼も』(よる-も・ひる-も、原題Night and Day)はコール・ポーター作詞・作曲による歌曲。スタンダード・ナンバーの一つであり、数多くの歌手によって録音されてきた。ジャズによるアレンジも多い。
1932年のミュージカル『陽気な離婚』のために書きおろされ、フレッド・アステアが初演。
後にレコード化されて、全米一位のヒット作となった。
2年後、『陽気な離婚』が『コンチネンタル』として映画化されたときにも、舞台版に用いられたポーターの曲の大半がカットされるなか、本曲のみは映画に引継がれた。
以後、ポーターの作曲家人生を代表する作品として知られ、1946年に彼の評伝映画が作られた際には、その題名にもなっている。

2009年08月30日

●CSSの書き直し

 このブログのCSSを新たに書き直した。

 これまでの物は、4年前にこのサイトを設計した時にデザインした。
 それ以降、細かな調整は施したが、基本的には同じだ。
 今回も設計の基本思想は変わっていない。
 前回をベースにさらに洗練を加え、基本思想に沿うよう勤めた。

  1. 文字主体のBlogとして文章を読みやすいものにする。
  2. また、長時間閲覧しても目が疲れないようにする。
  3. コンテンツを重視し、エントリ閲覧に集中できるようなるべくシンプルにする。
  4. シンプルでありながら控えめな主張と上品さを心がける。
  5. サイト閲覧時のレスポンスを良くするため、余分な装飾やギミックはなるべく控える。

 今回の基本配色は普段愛用のモレスキン手帳の紙面にブルーブラックの万年筆で書く文字にイメージが近い。
 モレスキン紙は漂白された純白ではなく、生成の自然な白である。
 さらにルールドは薄いグレーの細いラインが入る。
 いつもメモを取る時にはこの組み合わせに心が落ち着く好きな配色である。

 ちなみにオフホワイトやアイボリーをベースにロイヤルブルーとポイントにゴールドという配色はとても好きな配色である。

 ベースを今までは白(FFFFFF)であったが、紙面のオフホワイトを再現するため、#fbf9f0(C1%、M1%、Y4%、K0%)にした。


 これはほとんど白に近く、横に白を比べてみないと解らない程度である。これ以上Yを増やすとこれ見よがしなベージュになる。
 解らない程度の控えめなオフホワイトでも長時間の閲覧で目の疲れが大きく違う。

 ちなみに、CSS編集にはパニックジャパンのCODAを愛用している。

 なかなか16進法の色指示には慣れないので、CODAでは印刷で馴染んだ、CMYKでも色指定ができるのでありがたい。  

 ただ、CMYKはRGBに比べて色レンジが狭い。
 もしCMYKの色レンジから外れた欲しい色があれば個々に設定する。

 また、CMYKで色を指定してもRGBまたは16進法に変更する時に数値が微妙に変わる時がある。
 特に、PhotoShopでイメージパーツを作成する時には注意が必要である。

 レオナルドのサイトタイトル画像のベース調整時にピッタリCMYKで色を指定したのだが、Yが1%減ったりして、画像とベースの際が目立ってしまった。
 しかたがないので一度、レイヤーの下地にベース色を指定して、乗算で馴染ませた後、レイヤーを統合、外側の大きな面を削除して透明色にして透明付GIF画像で保存する事で、何とか馴染ませた。

 基本ベース    #FBF9F0
 エントリ文字色  #1E445C(C90%、M60%、Y30%、K30%)
 エントリタイトル #23416c 3ピクセル#ccccccによるシャドウぼかし。
 ライン      #D0D0D0

 その他タイトルイメージやTreeのラインもベース色の変更に伴い、微調整を加えた。

 基本フォントスタイルをsans-serifに変更した。
 等幅フォントも使いやすいのだが、 ゆったりと読むためにこの書体で統一した。

 エントリ本文の設定は

 サイズ   8pt
 行間   200%
 文字間隔 1em

 本文を読みやすさは、雑誌のレイアウトを参考にして、行間は200%、文字詰めはやや広く1em、1行あたりの文字数も少なめにして読む時の目線の移動をなるべく控えめにした。  

 合わせて、以前より余白を大目に取って、ゆとりのあるレイアウトにした。

 ここまで、神経を使いながら調整してデザインしても、いつもの事だがWindows環境で見ると卒倒したくなるくらい表示が汚い。
 IE7(IE6ではレイアウトも崩れる。) FireFoxでも、日本語の表示が汚くて読むに耐えない。
 英語は比較的綺麗だが、日本語の表示は前世紀で止まっているようだ。
 それだけ日本市場が軽く見られているという事か?
 WindowsでもSafariで見れば綺麗に表示できるので、OSだけの問題ではないだろう。

 いつも思うのだが、一番流通しているOSとブラウザの日本語表示が汚くて、よくみんな我慢できるものだと思う。
 この表示結果の汚さのせいでどれだけWebデザインをする気が削がれているか計り知れない。
 Windows環境の人も是非1度SafariでWeb閲覧を試してもらいたいと思う。
 そうすればいかに今のブラウザー環境が酷い物か気づかれると思う。

 以上簡単な覚え書きだが、MT3の現段階でもう一度全体的にCSSを見直す事は現在制作中のMT4サイトでも活きるだろう。

2009年08月24日

●熊田 千佳慕 展

090824

先日、銀座松屋で開催中の熊田千佳慕展へ行ってきた。
休日は混雑が予想されるので、平日に行くことにした。

とはいえ、今は夏休み中なので、子連れの母親や、時間的拘束を受けないお年寄りで混み合っていた。
日頃の行いが悪いせいか、チケット販売所前で招待券を譲ってくれる方もお居られず、そのまま入場・・・orz

まずは4〜5点ほど昆虫の細密画の後、いきなり絵本のコーナーであった。
その後植物があり、ファーブルシリーズがあり、動物があり、ファンタージという順だった。
全体的に言えることであるが、丁寧に物を観察して一生懸命に紙の白を大事に生かしつつ丁寧に描かれている姿勢がひしひしと伝わってくる。

熊田さんの絵は見る時の距離感が難しい。

あまり近づきすぎると、筆の粗が目立ってしまうし、離れるとせっかくの細部が見えにくい。
だいたい50cm~1mあたりで見るとしみじみと良さが伝わってくる感じである。

なので、近づいた目の前の絵より隣の絵の方が魅力的に見えたりして、次こそは、次こそはの繰り返しだったように思う。
たぶんそれが絵本や図鑑など印刷物の目線なのだろう。

館内で熊田さんの番組のビデオが流されていた。

90歳を超える熊田さんのお住まい兼アトリエが映し出されていたが6畳で布団を畳んで絵を描く場所を確保するといういう非常にささやかな空間だった。

絵の具を見るとホルベインのガッシュと日本画用の陶器の絵皿、同じく陶器の筆洗い、後は面相筆だけである。
以前見た、いわさきちひろさんの道具も水彩絵の具、絵筆、竹の物差し等々、同様に質素な物だった。
今の画学生の方がよっぽど高価な道具を使っているかもしれない。
とかく技術論が飛び交いがちだが、絵を描くのは道具ではなく人であるということを改めて思い知らされる。

本がたくさんあり、敬愛するファーブルの人形があったり 、どうやらタイガーズファンらしいというお茶目な面が垣間見えたり、こういう人は画壇とか協会とか関係なく、黙々と自分の画業を続けてきたのだろうと想像できる。

逆にああいう空間だからこそ、ファーブルシリーズだけで60点以上にものぼる細密画の数々が生み出せたのではないかと思うのである。

私はつねづね多作でなくても、たとえ1枚の絵、1節の音楽、文章や詩その他、何でも、それに触れた者の人生観を換えられるくらいの物がもし出来たとしたら、それはその人にとって有意義な人生だと思っている。

私はたぶん、色々観すぎて、スノッブで鼻持ちならないヤツになっているのだろう。
なので、ひねくれ者の意見と捉えられることを承知であえて正直なことを書かせてもらえれば、絵自体にはあまり感銘も感動もできなかった。

その絵を観て人生観が変わるというような本物のにほいは残念ながら感じられなかった。

細密画と言っても、筆でその物の質感にまで迫ってゆくという感じはしなかったし、画面全体にパンフォーカスで立体感は乏しい。
絵としてみると主題が画面一杯に散漫になっているきらいがあった。
細密にして丁寧、しかし主題の動物の目は死んでいる。

もし、疑問に思う方が居られれば、是非アンドリューワイエスや野田弘志さんを観て頂きたい。
野田弘志さんは生花や人物は弱いが、鉱物やいわゆる堅い物となると、その物の生命観まで掘り出す圧倒的な迫力がある。
ワイエスはテンペラ良し、もしガッシュによる粗いタッチで物を描いても、描かれた滲みやカスレがモノその物になっている。

スノッブな嫌なヤツかも知れないが、絵に関してはいくら作者の人柄が良くても、嘘は書けないのである。

結局、「細密画家」という範疇ではなく、すぐれた「挿絵作家」ということで納得できた。
原画よりも印刷された物の方が作品という事もあり得るのである。

ただ、物を良く謙虚に観察して、嘘をつかずに丁寧に描くという姿勢はよくよく感じられた。
画家はすぐに嘘をつく。
せっかく時間をかけて画面を創り上げてゆくのだからと、観た通りより、より自分にとって理想的な形に再構築してしまう。

余談だが、学生の頃、石膏デッサンをしていて、後ろから先生が「SKY、ちょっとどいて見せてみろ」と仰って、描いている私と同じ目線から実際の石膏を確認してはじめて気づかれたらしく、「SKY、お前、大嘘つきだな...」と絶句されたことがある。

熊田さんはちょっと見目が悪かろうが形が悪かろうが、縁した物を観たまま正直に愚直に描いている。
また、デッサンの線画を見ても、迷いのない確かな線で、十分な力量が感じられる。

またその姿勢を1生に通じて貫き通し、数多くの作品を書かれたということには驚愕とともに深い尊敬の念を感じる。

何よりも、観に来ている子供達が喜び、絵ではなく、そのシーンに描かれている虫の生態について色々語り合っているのを見て、この方の絵の本来の目的や役割が立派に果たされていることが実感できた。

熊田さんもきっとあの世で喜んで居られるだろう。

また、印刷物という形で広く世間の人たちを楽しませてきた功績も大きいと思う。
たしか、「ライオンのめがね」は小学校の図書室にあり、読んだ記憶がある。
ストーリーは憶えていないが、その絵の独特の雰囲気は原画を見て想い出された。

2009年08月22日

●SMOKE

smoke.jpg

監督:ウェイン・ワン

製作:ピーター・ニューマン/グレッグ・ジョンソン/堀越謙三/黒岩久美

製作総指揮:ボブ・ワインスタイン/ハーヴェイ・ワインスタイン/井関惺

原作/脚本:ポール・オースター

撮影:アダム・ホレンダー

音楽:レイチェル・ポートマン

美術:カリナ・イワノフ

編集:メイジー・ホイ

『スモーク』(Smoke)は、1995年公開の映画。アメリカ、日本、ドイツ合作。製作会社はミラマックスで、監督はウェイン・ワン。原作で ある『オーギー・レンのクリスマス・ストーリー』を書き下ろしたアメリカの作家、ポール・オースターは映画化に際し脚本も担当。主演はハーヴェイ・カイテ ル、ウィリアム・ハート。第45回ベルリン国際映画祭特別銀熊賞受賞作品。

ブルックリンの街角で小さな煙草屋を営むオーギー・レンは、10年以上毎日同じ時刻の同じ場所で写真を撮影していた。煙草屋の常連で、オーギーの 親友でもあるポール・ベンジャミンは作家であるが数年前に銀行強盗の流れ弾で妻を亡くして以来仕事が手につかず悩んでいた。ポールが道端をボンヤリと歩 き、危うく自動車に轢かれそうになったところ、一人の少年が彼を助け出した。ラシードと名乗るその少年に感謝したポールは彼を自分の家に泊めてやる。2晩 泊まった後にラシードは家を出て行ったがその数日後にラシードの叔母を名乗る女性が現れた。ラシードの本名はトーマス・コールといい、偽名を使って各地を 転々としていたのだ。その頃トーマスは生き別れた父親のサイラスに会いに、サイラスが営むガソリンスタンドを訪れた。そこでトーマスは以前世話になった ポールの名前を偽名として用い、アルバイトしてサイラスの下で働くこととなった。後日、トーマスはポールの元を再訪。ポールは先日トーマスの叔母が自分の 元を訪れた経緯を述べ、「ラシード」に本名を問い詰めるのであった・・・


これもとても好きな映画。

何かしらの陰のある登場人物による5つのオムニバスが連なり、それぞれの重いテーマが、淡々と静かに流れて次のエピソードへと繋がってゆく。

ただ、映画の冒頭での「たばこの煙の重さを量る方法」の話がこの物語全体に掛かるように、最後のオーギーの回想エピソードも、たぶん真実ではないのだろう。(台詞の中で簡単にそれと解るような仕掛けが幾つも散りばれられている)
でも、もしそれが人を癒したり慰めたりするならば、作者の願いや希望はそこにあるように思われる。

とはいえ嘘っぽい派手さもなく、脚本の良さと豪華キャストの底力でじっくりと魅せてくれて、最後にシンと心に残る。

脚本の中の細かい台詞は出演者たちによって即興的に書かれたという。
それがまた、そのシーンでの自然な流れを醸し出しているのかもしれない。

オーギー・レン役のハーヴェイ・カイテル は「パルプ・フィクション」のウルフ役で出演していた。
ちょっとしたアクセント程度の出番しかなかったが、同映画で印象に残る一番好きなキャラクターである。

そんなハーヴェイ・カイテルとウィリアム・ハートのやりとりがこの映画の重要な芯を形作っている。

映画のラスト

ポール「嘘がうまいのも才能だな。勘どころを心得てて面白い話に仕立てる。君は大ベテランだよ。」

オーギー「どういうことだ?」

ポール「つまり、すばらしい話だ!」

オーギー「秘密を分かち合えない友達なんて、友達と言えるか?」

ポール「その通りだ。それが生きてることの価値だ。」

とのやり取りの後、ポールはオーギーの話をもとに「オーギー・レンのクリスマスストーリー」をタイプし始める。

画面はモノクロの映像へ、トム・ウェイツの 「Innocent When You Dream」 の流れる中、オーギーの話をなぞる形で盲目の老婆との回想シーンとともにエンドクレジット。

最後まで自然に流れるように魅せてくれる。

最後に驚愕の事実。
父親役のフォレスト・ウィテカーと息子役のハロルド・ペリノー・Jrとの年齢差は7歳である。

2009年08月21日

●Emacs23.1_醜い外観をカスタマイズ

Cocoa Emacsをその後も使っている。

前回と同様、iMac環境でもビルドしてみた。
それにしても、Emacsは高機能だけど、見かけが恐ろしく悪い。
おかげで、ついついJedit Xの方へ手を伸ばしたくなる欲求を何度抑えた事か。
きっと外観など気にしない人が使うものなのだろうけど、やはり日常的に使用する物は美しくありたい。

そこでカスタマイズで外観を含めて使いやすい環境構築に挑戦してみた。

Metaキーの仕様変更

メインのAPIセットがCocoaに変更されたとはいえ、Cocoa Emacsも立派なEmacsであることに変わりはない。
スタートアップファイル「~/.emacs.el」を用意するなど、事前準備もこれまでと同様である。
言い換えれば、これまで利用してきた (Carbon Emacsでの) 設定の大半は、Cocoa Emacsに流用可能である。

主要な変更点を列挙しておこう。
まずは特殊キーについて。
Carbon Emacsのときは、CommandキーがMetaキーとして動作したが、Cocoa Emacsでは本来のキーアサインが適用され、OptionキーがMetaキーとして動作する。
たとえば、M-x shellを実行するときには、Command-x shellではなく、Option-x shellとしなければならない。
ちなみに、Carbon Emacsでの挙動に慣れている場合には、以下の記述を~/.emacs.elに書き加える。

;; Command-Key and Option-Key (setq ns-command-modifier (quote meta)) (setq ns-alternate-modifier (quote super))


行番号の表示

vi (vim) にはあるがEmacsに標準装備されていない機能の1つに、行番号の表示がある。
viの場合、「:set number」 (または:set nu) で表示、「:set no number」(または:set nonu) で表示をオン / オフできるが、これまでEmacsでは「setnu.el」などのスクリプトを自前で用意しなければならなかった。
それがEmacs 23.1では「M-x global-linum」の実行でオン / オフできるので有り難い。

ついでに以下の行を~/.emacs.elに記述している。
お察しのとおり、「M-n」 (Command - n) で行番号の表示をオン / オフできるようにしたものだ。
なお、キーのカスタマイズを行う場合、あらかじめ「C-h k」でそのキーバインドが空いているかどうか確認しよう。

(global-set-key "\M-n" 'linum-mode)

090821_03.jpg
標準の機能でviライクに行番号を表示できる。


フォントを設定する

Cocoa Emacsの設定でつまずくのは、おそらく「フォント」だろう。
従来 (Carbon Emacs) とは設定方法が異なるうえ、等幅フォントに関しては初期設定のままでは使えない (英字2文字で漢字1文字にならない) ため、なにかしらの調整が必要だ。

等幅フォントの設定方法は、Emacs上で動作するメールクライアント「Mew」の開発で知られる山本和彦氏のブログを参照させていただいた (「Cocoa Emacsでのフォント設定」)。
そこには、carbonfont.elをCocoa Emacsに対応させることがベストとしつつも、とりあえず現状をしのげる解が示されている。

090821_01.jpg
標準の表示状態。(つ、ありえねぇ・・・)

やはり、いくら高機能なソフトとはいえ作業環境としてフォント表示が汚いと使う気が起きないのである。

私の場合、ウェイトの小さく (線が細い) 丸みを帯びたフォントが好みなので、ヒラギノ丸ゴシックで試してみた。

;; Font
(setq my-font "-*-*-medium-r-normal--14-*-*-*-*-*-fontset-hiramaru")
(setq fixed-width-use-QuickDraw-for-ascii t)
(setq mac-allow-anti-aliasing t)
(if (= emacs-major-version 22)
(require 'carbon-font))
(set-default-font my-font)
(add-to-list 'default-frame-alist `(font . ,my-font))
(when (= emacs-major-version 23)
(set-fontset-font
(frame-parameter nil 'font)
'japanese-jisx0208
'("Hiragino Maru Gothic Pro" . "iso10646-1"))
(setq face-font-rescale-alist
'(("^-apple-hiragino.*" . 1.2)
(".*osaka-bold.*" . 1.2)
(".*osaka-medium.*" . 1.2)
(".*courier-bold-.*-mac-roman" . 1.0)
(".*monaco cy-bold-.*-mac-cyrillic" . 0.9)
(".*monaco-bold-.*-mac-roman" . 0.9)
("-cdac$" . 1.3))))

他のフォントを使用する場合には、まずTerminalで「fc-list」コマンドを利用する。
これで、フォントのXftフォント名を調べることができる。

XFLDフォント名を調べる場合は、Emacs上で以下の行を入力し、行末でC-x C-eとタイプしよう。ズラリ並んだリストから名称を頼りに目的のフォントを探し出しフォントの表示倍率の部分に使えばいい。

(insert (prin1-to-string (x-list-fonts "*")))

なお、私が動作を確認したフォントは、前述したヒラギノ丸ゴシックのほか、Microsoft Office 2008に付属の「メイリオ」と、フリーのTrueTypeフォント「IPAゴシック」、Adobe製品に付属していた「小塚ゴシック Pro」の4種類。

090821_02.jpg

変更後、これで何とか使える程度。

英字フォントとのバランス調整や行間などを含め、今後とも美しい環境の構築を目指す。


利用中のemacs.el(抜粋)

;; -*- Coding: iso-2022-jp -*-
(set-language-environment 'Japanese)
(set-default-coding-systems 'sjis-dos)
(set-buffer-file-coding-system 'sjis-dos)
(set-clipboard-coding-system 'sjis-mac)
(set-file-name-coding-system 'utf-8)
(if window-system
   (set-keyboard-coding-system 'sjis)
   (show-paren-mode 1)
  (progn
   (set-keyboard-coding-system 'sjis-dos)
   (set-terminal-coding-system 'sjis-dos)))
;; translate clipboard
  (set-selection-coding-system 'sjis-mac)
;; Command-Key and Option-Key
(setq ns-command-modifier (quote meta))
(setq ns-alternate-modifier (quote super))
;; Display Line Number
(global-set-key "\M-n" 'linum-mode)
;; Font
(setq my-font "-*-*-medium-r-normal--14-*-*-*-*-*-fontset-hiramaru")
(setq fixed-width-use-QuickDraw-for-ascii t)
(setq mac-allow-anti-aliasing t)
(if (= emacs-major-version 22)
(require 'carbon-font))
(set-default-font my-font)
(add-to-list 'default-frame-alist `(font . ,my-font))
(when (= emacs-major-version 23)
(set-fontset-font
(frame-parameter nil 'font)
'japanese-jisx0208
'("Hiragino Maru Gothic Pro" . "iso10646-1"))
(setq face-font-rescale-alist
'(("^-apple-hiragino.*" . 1.2)
(".*osaka-bold.*" . 1.2)
(".*osaka-medium.*" . 1.2)
(".*courier-bold-.*-mac-roman" . 1.0)
(".*monaco cy-bold-.*-mac-cyrillic" . 0.9)
(".*monaco-bold-.*-mac-roman" . 0.9)
("-cdac$" . 1.3))))

2009年08月20日

●A-Bike+で行こう_シートが割れた...orz

090820_01.JPG


数日前からシートがかなり柔らかい印象があった。
A-BikePlusになってからすこしシートが柔らかめ変更されたので、そのせいだろうと思っていた。

今朝、いつものように乗るとなんかシートの右側が沈み込む。
確認してみると片側が割れていた。

写真だとわかりにくいが、親指で強く押さえ込んだだけでも沈み込む。
この車両は代理店ではなく個人輸入から購入したので、市販より安価で購入できたのだが、こういう時に困る。
組み立ての甘さくらいなら、自分で調整できるので、 いらぬアフターサービスの分安いに超したことがないが、パーツ自体が不良では何ともしがたい。

幸い我が家にはチューンナップ中の初号機1台の他に、もう1台分のパーツ取り初号機車両があるので、それから旧式のシートピラーごと取り替えた。

旧式の方は若干座り心地が堅いものの、この2年以上、毎日安定して乗れた実績がある。
やはり多少堅くても丈夫さが一番だと思った次第。

やはりリペアムゲルタイヤに換えた2号機は重心が下に安定して、加速性、直進走行性の伸びも格段に上がった。

2009年08月19日

●IBMがDNAオリガミ手法を用いた半導体を開発中

090819.jpg

ムーアの法則が誕生したのは1965年。そろそろ限界だろうと言われ続けながら、いまもチップメーカーは半導体の集積化・高速化に取り組み続け ています。 そうやってIBMが辿り着いた先が、いわゆるナノテク。同社リサーチマネージャーのSpike Narayan氏いわく「半導体の製造に生体分子を利用したはじめての実証」が専門誌Nature Nanotechnologyに掲載されています。

半 導体の開発にDNA構造を用いるこの手法はDNAオリガミと呼ばれており、同社のアルマデン研究所とカリフォルニア工科大学が共同で開発中。「DNAのよ うな生物学的構造は反復的で再現が可能なパターンを持つため、半導体設計に活用できる」とNarayan氏はコメントしています。問題はスケールが小さく なるほど高くなる設備投資費用。残念ながら製品化までにはまだまだ実験が必要で、少なくともあと十年はかかるとのことです。折り紙の大作はインターネット 上にたくさんありますが、さすがにDNAレベルでは初でしょうか。ムーアの法則はいつまで生き続けるのでしょう。

 テクノロジーが進化する先は微細化と細分化とそれに伴う大量化あるとは思っていたが、まさかDNAレベルにまで話が及ぼうとしていることは感慨深い。

 デザインの世界でもよく使われる「神は細部に宿り給う」という言葉があり、このまま細分化が進んでゆけば、まさに "何かが宿る" そんな気すらしてくる。

 昔、星新一のショートショートで読んだ次のような物語を想い出す。

 ある大企業の社長が研究所の博士に「費用は幾ら掛かってもいいから "神" を造ってほしい」との依頼があった。
博士は大型コンピュータを導入して、そこに世界中のありとあらゆる聖書や神話や寓話、果てはゴスペルから言い伝えのたぐいまでをインプットしていった。
 作業は膨大な量に上り、すべてをインプットするにはかなりの日数を要して、なお終わらずにいた。
ある時期からそのコンピュータは神々しく輝きを放つようになり、動作音も厳かに威厳のあるものに変化していった。
 依頼した社長はその経緯を見て大変満足し、その後も作業を進めるように博士に頼んだ。
ところが、それから間もなく、ある事件が起こる。

 あとは読んでみてのお楽しみだが、たしか小学校時代に読んだだけなので題名も、どの本に収まっていたかも憶えていない。
 ただ物語のインパクトから、"コンピュータって凄い" というその後の興味のきっかけになっただけに未だに内容は鮮明に憶えている。

 物の細分化の行き着く先は、まさに「その物になる」のでは? と思わせる一節。

 PS.
 考えてみたら、Googleはまさに上の物語のような事を地で行こうとしている。
 そして自ら「神」になると公言して憚らないのである。