2019年06月27日

●楽しんで学ぶ

 YouTuberという業種が話題になって久しいが、最近ではテレビで活躍していた人の参戦が目立ってきた。
 それらの人はテレビ業界で鍛えられた人に訴える能力を発揮して魅力的な番組を制作している。  
 テレビと違い、制作費にはお金をかけていないものも多いが、それでも話のみで人を引きつける実力はさすが に芸達者で魅せるし説得力もある。

 その中の一つで、YouTube大学と名乗って 、主に歴史の授業をしゃべり一つで臨場感をもって公開している番組に今はまっている。

 過去の歴史以外にも、現在同時代に生きている人物を偉人伝としてこれまでの半生を語る回、また最近では名作と言われる文学の内容を紹介しながらその要を解説してくれる。
 見ながら勉強って本来こういうものなんだよなと改めて気づいた次第。

2019年06月24日

●MT3に逆戻り

 何度行ったり来たりしたことだろう。結局、MovableType ver.6である程度運営していたBlog環境をMovableType Ver.3.3.8(以下MT3)に戻してしまった。

 新しいバージョンではカテゴリーのソートが自由になったり、モバイル機器向けの表示にレイアウトを変えられたり、iOSからの投稿環境が整っていたり等々の進化が見られるが、新バージョンを設置後に調整して、MT3で現在実現している基本的なそれでいて個人的に必要と思える表示を再現するのに、多くのコストがかかることが主な理由である。

MT3は、Blog環境としてほぼ完成されたシステムである。標準では不備な点も多くあるが、使いこなしの工夫 —それらはしばしばトリッキーな解決方法— で実現できた。

 それらの多くは、大勢のMovableTypeユーザに支えられ、アイデアを出し合って実現できたものである。
 ユーザが開発したプラグインの一つ一つがかゆいところに手が届き、MT3の至らない点を何とか工夫して解決しようという愛情や熱量を感じる。
  一方、最新バージョンのMovableTypeの現状ではどうだろう? ユーザ数は激減して、Blog環境ではWordPress、また、他のSNSに奪われ、最新版MTの使いこなしTipsなどをネットで検索してもヒットしない。最近のMTを愛情を持って使いこなしているユーザの姿が見受けられないのである。
 ネットの検索にヒットするユーザ数は主観かも知れないが、この数に比例して書籍の数も激減している。
 書店の本棚を眺めてもMT6やMT7の本はほぼ皆無である。

 さらに、中心的なユーザのサイトである『小粋空間』でも、最新版MTのテンプレートの開発が、MT5で止まっているようである。これも、基本的なテンプレートのみで、使いこなしという点で例えばサイドカラムのツリー表示などMT3では実現していたものと同じ表示をさせるヒントも見つけられない。

 こういう状況の中では新しいバージョンでの開発を学ぶ時間資産、資料等を揃える財的資産に比べ、得られる結果を考えるとMT3のままテンプレートやスタイルシートに手を加えて使い続けた方がよいと思い至った。

2017年07月23日

●ソフトウェアの栄枯盛衰

 MovableTypeのシステムを使ってBlogの更新を考えて、iPhoneから投稿できるアプリを調べるうちに、WordPress向けのものが多いことに気づいた。

 最近のBlogシステムの流行はどうなのだろうか? そんな疑問が生じて調べてみたくなった。

 こんな時には書店に行ってみるに限る。

 書店のWeb関連を扱うコーナーでズラリと並んだ本棚の背表紙を眺めているだけでその時の栄枯盛衰が読み取れるのである。

 私が現役でソフトウェアメーカーにいた7〜8年くらい前のMovableType4とか5の時代であれば、WordPressの本は1〜2種類ぐらいしかなかった。BlogシステムといえばMovableTypeが主流だった。

 WordPress2.0くらいで、少しかじってみようと本を探しても良書が見つからず、限られた本を丹念に読んでいた記憶がある。

 その時は動的サイトは閲覧者のアクセスに負担がかかるからという理由とMovableTypeで構築したサイトの構成を再現するのには恐らく負担が大きいだろうという理由で本格導入には至らなかった。

 それが現在ではWordPressばかりで、MovableTypeの本はただの1冊も––大袈裟でなくただの1冊も––なかった。

 別にMovableTypeの開発が終わったわけではないのにも関わらずである。

 同様のことが3Dソフトにも起きていた。

 多くの参考書などを購入して、比較的に慣れ親しんだLightWave3Dはもはや主流ではなくらしく、こちらも1冊しかなかった。

 現在書店で書籍が多く見られるものは、Blenderという高機能な無料アプリである。

 仕事の納品先や職場の環境で支給される限定的なソフトウェアを使う人以外の多くの趣味で使う人は高額な3Dソフトよりも、求める機能があり、今後も開発が続きそうであれば無料のソフトウェアを選択することは納得できる。

 3Dソフトは憶えることが多く、それぞれのソフトウェアで独自の操作方法を学習することが多いため、学習が無駄にならないようにするために、継続的な開発が見込まれるかが注視されるのだろう。

 話を戻して、こうしてあらためて見ると、私が昔から慣れ親しんできたソフトウェアの多くは斜陽の状態にあるらしい。

 まあ、ソフトウェアに関しては流行り廃りばかりを追い求めるのではなく、もし自分の表現したいものが実現できるならば、これまで使ったことのある馴染みのあるものを使い続ければいいと思う。

 その一方で、新しい技術が、よりシンプルで使いやすく、表現のプロセスとして、投稿等の手続き等に煩わされることなく、コンテンツのより作成に集中できる便利な物であればそれを使えばいいだろう。

 結局のところ、使うソフトウェアとは、単に道具の話のなので、主義や信条とは関係なくフィーリングに合ったものを使えば良いのだ。

 見たところ、それらの技術は新しい技術が追加されて、できることが増えている反面複雑になり、覚えることが増えているようだ。しかもそれらの追加された機能は必ずしも必要とする物ではない。

 まあ、それ以前に"新しいことを憶えるのが面倒”というのが主な理由だろう。


2014年04月14日

●物より思い出

そういえば、西暦2000年前後はHotLineでのチャットに熱中していた。
 もともとは、HotLineで共有される様々なコンテンツが目当てだったのだが、そこで出会った人々とのチャットの会話が楽しくいつしか主にチャットが目的になった。
 でも、振り返ってみて、その内容をまた読み返してみたいと思って記録したテキストファイルを探してみたが、見つからず残念な思いをしている。
 HotLineのホストが辞めてしまった後は、集まる場所が見つからず数年間はGoogleMailのチャット機能を使っていた。
 こちらの方もアドレスの変更と前アドレスの削除によってチャットの会話内容コンテンツがことごとく失われた。
 HotLineで入手したコンテンツやソフトは後生大事に別メディアへ保存をしたので、今でも取り出すことは可能である。
 しかし、それらは既にバージョンが古く、今となっては役に立たない物が多い。
 むしろ大事にしなくてはいけなかったのはチャットの会話内容の方だっただろう。
 自分が起こしたアクションと他人との関わりの記録だし、その時の意見なりが保存された代え難い物だからである。
 もしかして、管理者が持っているかもしれない。
 未だFacebookやTwitterで繋がりがあるので聞いてみよう。  

2014年03月25日

●現在から過去を鳥瞰し、その細部を克明に想定してみること

  先日のエントリ「刹那的と普遍的」にも繋がり、より深く考えてみた。
 現在の価値観で過去を俯瞰して、その詳細を想定してみると、現在に行うべき事が炙り出されることがある。
 

2014年03月19日

●刹那的と普遍的

以前に熱中したゲームを思い出してみた。
Doom Quake TombRaider1、2 Diablo1 Diablo2 Myth
どれも寝不足になるくらい熱中して遊んでいたが、後になって考えてみても残るものはない。

御書を読み解く作業をしていて、意識を集中して時間をかければ書かれている内容をなぞることは可能だと改めて実感した時、上のゲームで遊んでいた刹那的な時間をもしそれらに充てていたならばなどと想像をたくましくすると、普遍的なものにこそ時間を使い、刹那的なものでなるべく時間をつぶさないという意志が必要だと改めて感じた。

これは語学、読書等でも同様だろう。普遍的なものは一見、面倒くさくあまり進歩を実感できるものではないが、未来的に続く価値観を有している。

ただ、刹那的なものほど魅力があり、ついつい時間を消耗してしまうものだけど。

2013年10月08日

●散歩は身軽な装備で晴れがましく

 散歩にふさわしい格好があると思う。

 服装の方は、散歩に赴く場所によってさまざまだが、基本は気候に合った身軽で動きやすいことである。
 あちこち行きたいと想像する時には思念の中での行動なので身軽である。ただ現実にはそうはいかない。

 色々と煩わしい条件(我が身の重さも含め)が付きまとい、思念上で自由に動き回っていたイメージとあまりに違う現実の事象が積み重なり、挙げ句には徒労だけが残る場合も往々にして起こる。

 これをいかにイメージに近い物にできるかが散歩の大事なポイントである。

 疲れにくく、動きやすく、軽装に。

 荷物は少ないほど良い。できれば身一つで動ければ理想だけど、汗を掻けばそれをぬぐう物、鼻をかむ紙、メモを取りの道具、カメラ、電話等々、条件を想定してゆくにつれ、どうしても荷物は多く重装備になる。

 そこを引力にとらわれている現実を勘案して、いかに適切な所にまで持って行けるかが散歩の達人のキモである。

 靴は軽いだけでなく、堅い路面からの反発を吸収して身体への負担を軽減してくれる物がよい。

 服装は快適さと晴れがましさのバランス。
 トレッキング装備などは歩く上でよく考えられた快適な服装であるが、銀座などのおしゃれな街歩きにはいささか不釣り合いで、おしゃれな店に入るにもちょっと躊躇してしまうことがある。

 これは晴れがましさというメンタルな問題なので、散歩に赴く場所によって疲れ難さや快適さのみを追求だけでなく周囲からの見た目や環境に適した選択が求められるだろう。

 また、記録とその場を愉しむ相反する行為
 私たちはそれこそ幼年期の頃から行動することに対して研鑚を求められていたように思う。つまり、学校でどこかへ非日常的な場所へゆけば、後日感想や学んだことの提出を求められる。 そこには研修という考えが付いていて、ぼぉーと遊びに行くだけでは済まないという
 その意味でどこかへ行けば記録として写真を撮り、観たことの感想なり学んだことを記録として留めることをしたがるのである。

2013年10月01日

●選択と集中

一昔前のビジネス書でよく言われていたことだけど、これは今でも通じる。
要は時代が変わってドンブリ勘定では運用できなくなり、そこに生き残りを賭けた選択を迫られている現状なのだと思う。


これは一見、厳しいように見えるが、実はそうではない。
自身何度も経験してきたことだが、周りの情勢に合わせて変化を迫られて”しかたなく”身の回りの整理整頓をすることで却ってその後の方向性の修正に大いに役立っていたことに後から気付くことがある。


例えば、人の体で言えば肥満になり、そのままの生活習慣ではその後の人生を健康的に送っていくのに危険であるにもかかわらず、自らの意志ではなかなか習慣を変えられない時に、外的要因で”しかたなく”変わることを余儀なくされ、それで肥満が解消されて、俊敏に動けより充実した健康的な生活を送れるようになるようなもので、これは大きく観れば有り難いことではないかと思うのである。

2013年09月10日

●たいがいのことは紙と鉛筆で事足りる。

 紛失したシャープペンと同じ物を購入した。
 同じ型の物を買うのはこれで4度目か、1つめは人にあげた。2つめは紛失した。3つめは置き引きにあったバックの中から物色されて盗まれた。

 シャープペンで書いたり消したりできる気軽さには、いまさらながら感心する。
 万年筆でスラスラ書いてゆく書き心地は格別だが、書き損じを塗りつぶしたり、純粋な思考から横道に逸れて落書きなど をした場合には紙面の趣旨がボヤけてしまう。本筋でない脇道の思考も”とりあえず”紙面に吐き出して、記載し目で見て確認し、また本筋の思考に戻るというプロセスが多い自分にとっては、無駄と判明した時点で消せるという鉛筆の特性が合っている気がする。

 これは文書だけでなく、ちょっとしたスケッチでラインを引いて、そのラインが気に入らない場合により理想に近いラインを引き直す。仮に引いたラインは補助線であり、理想に近いラインを引くための過程である。理想に近いラインを引いた後は補助線は消したい。

 こういう風に、文章を書くにしても、頭の中にあるイメージを紙に移すにしても鉛筆さえあればたいがいは事足りる。

 さらに言ってしまえば、芯を容易に尖らすことができて、削りカスで他の持ち物や手を汚す心配さえなければ、シャープペンでなくても鉛筆の方が手に馴染む。

 最近、気に入っ鉛筆削りをた無印良品でみつけた。
 削りカスをためて、蓋が付いているので移動時でもカスがこぼれず、しかもコンパクトでこれを使っている。
 書くうちに芯が丸くなり、削って芯を尖らすという作業は、再度思考や感性を尖らすのに通じ、また鉛筆を削るときの微かな木の香りも気持ちを落ち着かせる効果もあり、これが良いリズムになっている。

 鉛筆は学生時代に鉛筆デッサンで使っていたHi-Uniとかステッドラーなどが結構な本数余っている。
 これらを持ち歩きに収められる具合の良いホルダーもみつけた。
 ステッドラーの銘で、日本製のアルミである。
 値段は少し張るが、日本の精密な金属加工でたいへん質がよい。
 安物のホルダーでは、鉛筆をホールドにかなり力を入れて締め付けないと、鉛筆削りの時に回転してしまう。
 これはホールドのねじ切りの荒さが原因なのだが、この点ステッドラーのものは細かいねじ切りで力を入れずとも確実のホールドしてくれる。
 またペンの後ろに小さな消しゴムが付いており、これが軸の回転で繰り出される仕組み。適度に繰り出して使えばちょっとした修正に重宝するし、移動時にしまい込めば出し過ぎて折れる心配がない。

 基本に戻って、この安価で手軽で自由度の大きい道具を見直してみようと思う。

2013年09月02日

●何かを学びに行くということは、そのための純粋な時間を確保するということ

 だいたいにおいて、お金を支払って何かを学びに行くこと自体には懐疑的であった。
  自分自身、自動車免許など ”いたしかたがないケース” を除いてお金を払って何かを学びに行くことは、ほぼ皆無である。
  信条として「情報が溢れている現在は学ぶ気さえあれば独学で何とかなる」と思っているし、関連本を購入して、疑問点はネットで調べべるなどして独学でまかなってきた。
 なのでお金を使って何かとセミナーにせっせと通う人をどちらかと言えば懐疑的な目で見ていた。

 ところが 、この歳になり家庭を持つようになって少し考え方が変わった。

 お金を出して得る物は安直なノウハウや楽な学習環境だけでなく、純粋にそれに向き合える時間の確保こそその主たる目的ではないか?そう思うようになった。

 家庭にいると何かと邪魔が入る。
 それは致し方がないことだ、広い住居ならまだしも狭い我が家では在宅の時には常に相手は目に入る。
 また、仕事やその他の時間を割いて、ようやく空けたまとまった時間も純粋に使うことはままならない現状がある。

 このような時にこそ、決まった時間に決まったことに打ち込める何とか教室は有意義な物であると考える最近である。

2013年02月26日

●匿名とリアルの間で

 ブログを書かない日々がしばらく続いた。

 忙しくて書けないこともあったが、ブログを設置してあったレンタルサーバとの契約が切れて、コンテンツが消えてしまって、投稿する場所がなかった。

 ちょっとしたメモとか呟きであればTwitterでまかなえていた。

 写真や知り合いとのコミュニケーションではFacebookを使っていたので、ネットで何かを表現したいという欲求はかろうじて(それでもしばしば物足りないものを感じつつ)満たされていた。

 ただ、Twitterには160文字制限や推敲して後で直してということができないので書いたら書きっぱなし、もしくは削除して新しく投稿しなおしでその場合は投稿日時も変化してしまう。

2010年08月04日

●クラウド考

クラウドシストムと呼ばれるものを本格的に利用するようになって2年くらい。
 ようやく最近はこの思考が受け入れられるようになってきたように思える。
 とにかく頭で理解するというよりも、実際に使ううちに身体で馴染ませる感じだ。

 これというのも、iPhone以降、常に当たり前のようにネットに繋がる環境を手に入れたからだと思う。

 ただ、今でもクラウドの特性を説明しろと言われても、そのメリットが強く伝わるか怪しいものだが、それ以前の仕組みとは明確に分けることはできる。
 アプリケーションを選ぶ時も、このクラウド対応かどうかで大きき違ってくる。

2009年10月29日

●ウォータサーバー

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飲み物をよく飲む私にとって水はとても大切な物である。
朝のコーヒーに始まり、お茶やスープ、水割りお湯割り、そのすべてに水を使用する。

近所のスーパーでアルカリイオン水をもらえるので、機会があれば4リットルのポリタンク2つに入れてくる。
ただ、なかなか時間がない時は、勿体ないと思いつつ、ミネラルウォータを購入したりしている。

以前から気になっていた、ウォータサーバーのサービスを調べてみる事にした。
これは自宅にサーバーを置いて、12リットルボトルを定期的に運んでもらえるサービスである。
だいたい1ボトル2000円くらいの価格帯が主体なようである。
水の料金単位として500mLあたりの値段で表記されているが、安いところで42円、高いところでも7〜80円である。
水が安いところは、サーバーのレンタル代が別途かかる。
こちらが月に600円〜1000円くらい。
1日平均1リットル使うとして月に2ボトルを使うとやはりおしなべて4000円くらいになるようだ。

重い水を運んでもらえるのが助かるが、これに加えて冷やしたり、温めたりするサーバーの電気代に1000円くらいかかるようだ。
月々24リットルの安全な水を得るために5000円は高いのか安いのかちょっと考えてしまう。

それで、ボルヴィック1.5Lをまとめ買いでいくらくらいかアマゾンで調べてみると並行輸入品が12本で1598円だった。
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こちらは1本あたり133円、500ml換算で44円。
ウォータサーバー契約の最低料金と同じくらいである。
しかも、サーバーレンタル代も電気代もかからず、1.5Lずつ分けてボトリングされているので、日持ちはよい。

ウォータサーバーの場合半年縛りがあったり、最低注文数が決められていたり、けっこう制約があるけど、並行輸入ボルヴィックなら好きな時に好きなだけ注文できて、アマゾンなので送料も無料である。
しかも、ちゃんとしたミネラルウォータのボルヴィックだしサーバーに部屋を占領されなくても済む。
後は常時温める機能の方は低消費電力型の電気ポットを使えばずっと安上がりでなのである。

結局、一見、便利でリーズナブルそうに見えるサービスでもいろいろ検討してみると、大してメリットがないと気付く今日この頃である。

2009年09月23日

●道具の限界_その2

新しいカメラを買おうと候補を見に店頭へ赴いた。 気に入ればその場で値段交渉して持ち帰ろうという気持ちでいた。 ところが持った感じがどうもフィーリングが合わない。ボディはちょっと大きめのコンパクトデジカメなのだが、レンズの分やはり大きくポケットに収まらない。 写りは良くても、大きさの点で一眼レフとたいした変わりがない。 買う気マンマンで実物を見て、萎えてしまった。このへんはGR Digitalとは逆なのである。 GRの時は、気になるカメラではあるけれど、CONTAX Tvs Digitalが気に入っていたので、店頭でケチを付けて嫌いさを確定しようと赴いたが、逆に持った感触でフィーリングが合ってしまって、結局購入してしまった。 物はやはり実際に手にしてみないと、スペックやサイトの画像だけでは解らないものなのである。 ではGF1を諦めて何にしようかとまた悩んでしまった。GRが気に入っているのだから順当に行けばそのまま進化型のGR Digital IIIということになるのだろう。 しかし、今持っているGRもけなげに動いているし、進化型とはいえ同じ機種で同じ豆粒センサーはそれほど変化は望めそうにない。 これなら今使っているGRをもう一度見つめ直してそれから考えようと思った。 前エントリ「道具の限界」にも書いたが、新しい物に心を奪われる前に、はたしてその道具のポテンシャルを最大限に引き出しているのか?を問う事は大切だろう。 GR Digitalで気に入らない点は 暗部の偽色ノイズが激しい 28mmの広角でモチーフとの距離感が微妙である。 受光素子が小さく、加えて広角のため被写界深度が深く、思ったようなボケがでない。 撮影後の書き込みが遅くて、RAWで撮影すると次の撮影まで10秒くらい待たされる。 良い点 とにかく軽量小型で常に持ち歩いてもそれほど苦にならない。 小型の割にホールドしやすい形状で撮影しやすい。 レンズが優秀で周辺の歪みがほとんど見受けられない。 下手なノイズリダクションに処理しないので、画面がベッタリと平坦にならず、とりあえず素材として良い状態のデータ吐き出してくれる。(逆にこれがノイズ感を強調する主な要因にもなっている) 小型コンパクトでありながらRAWデータで撮影ができる。 マクロ撮影で被写体面から1cmの距離まで近づける。 そこで良い点をさらに伸ばして、欠点をなるべく補うよう意識の転換をしてみた。今流行の「動的平衡」というやつである。 まず後処理でも綺麗な画像に調整するにはRAW撮影が望ましい。ただ、書き込みに10秒待たされる。GR3はメモリバッファーがあり、5枚までなら連続してRAW撮影が可能である。 それだけでもうらやましいと思うのだが、画質の点で画期的な変化がない限り差額をだすだけもったいない。 そこで、RAWの保存速度を上げるべく保存用のメモリカードを替えてみた。 SDメモリカードをGR Digitalと同時期に購入した1GBのものを使っていた。 これを昨年、購入していた2GBのMicroSDにアダプタを介したものに交換してみた。 もともとEM-ONEに使用していたものだが、最近EM-ONEはワンセグチューナーとしてしか使用していないので、SDは必要なくなったのである。 Classの表記もなかったのであまり期待していなかったのだが、それでもRAWデータの書き込みが10秒から7秒くらいに短縮された。 わずか3秒の短縮なのだが、それでもRAW撮影のあり得ない遅さから、まぁ使ってみるかくらいの意識変化の助けになっている。 RAWで保存できれば、後処理はAdobe Lightroomで比較的自由に行える。 特に最近ではLightroomのプラグインで高機能なアンシャープマスクやノイズ低減処理を行えるものがある。 1.のノイズはこれである程度低減できる。2.に関してはもう諦めて被写体に近づく他はない。近づけない場合は後でトリミングである。広角から標準へのトリミングは可能だけど、その逆は不可能なので広く撮って気に入った部分を切るという使い方で割り切るしかない。ボケ味に関しては、構図フレーミングで何とか工夫する。

2009年09月03日

●時間と宇宙と次元と



 なんだか一昨日のエントリ「貴方と夜と音楽と」みたいな題名になってしまったが、こちらは天体物理学のJanne Levin教授が宇宙の成り立ちについて説明している科学のお話。
最近「マルチバース」がらみの情報がよく引っかかるようになってきたのも何かの縁だろうか。
斬新だったのが「空間はビッグバンよって作られ、それによって時間も作られている。空間でビッグバンが起こるのではなく、ビッグバンによってまた新たな空間が生まれ、その空間に時間や現象が備わっている。」という一節。
時間や空間がまずありきと思ってしまうが、まさに無から始まるという発想だと、やはりそうなるのだろう。
では、そのすべてを始める「存在の可能性」とは一体何なのだろう?という疑問が湧いてくる。
また、始まりのトリガーとは一体何なのだろうと考え始めるといくらでも興味は尽きない。

宇宙の始まり
。時間も、空間も何も無い、完全なるです。
そこにあるのは、「存在の可能性」だけ。
そこから宇宙が始まります。その瞬間から、時間、空間、現象、エネルギー、全てが生まれます。
そして原子が作られ、その50億年後銀河系が形成され、その銀河系の1つがさらに千年後に惑星を作り、そしてその14億年後にやっと人類が生まれるのです。


ビッグバン
ビッグバンはよく、ある空間内での大きな爆発だと思われています。
時間も現象もあって、そこでエネルギーが爆発する、と。
でも実はもっと奥深いことが起きているんです。
空間はビッグバンよって作られ、それによって時間も作られている。空間でビッグバンが起こるのではなく、ビッグバンによってまた新たな空間が生まれ、その空間に時間や現象が備わっている。

ビッグバンとは宇宙の根本である。

しかしこれは我々が学問としてとらえているだけであって、今住んでいるこの40億年前に始まった宇宙は、それ以前に存在した宇宙が崩壊する際にビッグバンによってまた新たに作られた宇宙なのではないか、とも考えられます。
ともすると、この宇宙は、その前の宇宙からできて、その前の宇宙はその前の前の、と永遠にさかのぼっていけるのではないでしょうか。
それともまた違った考え方をしたら、我々のこの宇宙はポンっとうまれる泡のようなもので、この泡以外にも無数の泡が周りに存在してるのではないでしょうか?
ただ、その別の宇宙にコンタクトすることができずに、我々はこの我々の宇宙を唯一の宇宙だと思っているのではないでしょうか?

2009年09月01日

●You and the night and the music

 最近は朝夕がめっきり涼しくなってきた。

 秋の夕暮れにはなんと言ってもJAZZがよく似合う。
 というわけで、この頃は好きなナンバーの歌詞と訳を調べたり、自分のニュアンスで訳したりする。
 やはり、好きな曲はその背景や歌詞の内容をよく理解していた方がより深く楽しめるのである。

 原文の歌詞は揺るぎないものだが、訳の方は自分の自由度がある。
 素から訳すのは面倒なのでもっぱらネットで調べた内容をベースにしているが、やはり自分なりのちょっとしたニュアンスでだいぶ雰囲気が変わってしまう。
 たとえば主人公が男か女かでも大きく違ってくるし、年齢設定でも変わってくる。
 また、こういう言い回しだと気障ったらしくなってしまうとか、なかなか難しいものである。

 でも、音楽を聴きながら、よりマッチした表現を模索するのも楽しみのひとつである。
 妥協せずに、よりそれにふさわしい表現を探求し模索してブラッシュアップを怠らない姿勢の大切さはデザインにも通じる。
 前置きが長くなったが、今日は「 You and the night and the music

《VERSE》

Song is in the air, telling us is ours to share
Now at last we’ve found one another alone
Love like yours and mine has the thrilling glow of sparkling wine
Make the most of time ere it has flown


歌が・・・、どこからか語りかけてくる・・・
そして僕たちに告げる 今こそ、恋をする時だって
たった今、お互い「一人」だということが分かった訳だし
それに、あなたと僕の胸の中に
スパークリング・ワインの泡のような愛のきらめきを感じてる
だから・・・
この泡が消えないうちにステキなひとときを過ごそう

《/ VERSE》

You and the night and the music
Fill me with flaming desire
Setting my being completely on fire
You and the night and the music
Thrill me but will we be one
After the night and the music are done


あなたと夜と音楽が
燃えさかる欲望で僕を満たす
まるで炎に投げ込まれた様に
あなたと夜と音楽が
僕の心をときめかせる
夜と音楽が終わっても


Until the pale light of dawn and in daylight
Hearts will be throbbing guitars
Morning will come without warning and take away the stars
If we must live for the moment
Love 'til the moment is through
After the night and the music die
Will I have you?


夜明けの光が差し込むまでは
心のギターをかき鳴らそう
でも朝が前触れもなくやって来ると、星々は追い払われてしまう
もし、この瞬間しか生きられぬなら
この時の続く限り愛し合おう
でも夜と音楽が絶えた後でも
二人は心離れず済むだろうか?



Until the pale light of dawn and in daylight
Hearts will be throbbing guitars
Morning will come without warning and take away the stars
If we must live for the moment
Love 'til the moment is through
After the night and the music die
Will I have you?

夜明けの光が差し込むまでは
心のギターをかき鳴らそう
でも朝が前触れもなくやって来ると、星々は追い払われてしまう
もし、この瞬間しか生きられぬなら
この時の続く限り愛し合おう
でも夜と音楽が絶えた後でも
あなたを離さず済むだろうか?



 作詞 ハワード・ディエツ ( Howard Dietz )
 作曲 アーサー・シュワルツ ( Arthur Schwartz )

 この"You And TheNight And The Music"は1934年にミュージカル"Revenge With Music"のために作られた。
 その後この歌は多くの歌手やジャズ演奏家により演奏され、ジャズのスタンダード曲となっており、特にフランク・シナトラの名盤"RING-A-DING DING"の中のこの歌が有名である。

J ulie Londonも有名で、あの気怠い歌い方が好きだが、個人的にはBobbe Norrisのよりあっさり感じとヴァース(Verse)から入る歌い方が好きである。
 Helen Merrill+Ron CarterもBill Evansの演奏もいきなり本編から入るし、この曲にはヴァースがあるってことを、知らない人が多いかもしれない。
 特にこのような曲の場合、ヴァースから入って世界観に導入してから本編という歌い方の方が全体を通して、原作曲者の狙いをしっかりと聴かせてくれるように思う。

2009年08月31日

●Night and Day

《VERSE》

Like the beat, beat, beat of the tom tom,
Where the jungle shadows fall
Like the tick tick tick of the eye of the clock
You're standing up against the wall
Like the drip drip drip of the rain drops
When the sun shines through
So a voice within me
Keeps revealing you...you


ジャングルに影が落ちるとき響くタムタムのように
壁にかかる古めかしい時計が刻む音のように
夏のにわか雨が通り過ぎた後の雨だれのように
私のなかにささやく声がある
あなた、あなた、あなた... と


《/ VERSE》

Night and day
You are the one
Only you beneath the moon
And under the sun
Whether near to me or far
It's no matter, baby, where you are
I think of you
Night and day


夜も昼も、
あなたのことばかり
月の下でも、太陽の許でも、ただあなただけ
あなたのそばにいても、離れていても
あなたのことを考えている、
夜も昼も



Day and night
Why is it so
That this longing for you follows wherever I go
In the roaring traffic gloom
In the silence of my lonely room
I think of you
Night and day


昼も夜も、
どうしてなのだろう?
車が行き交うざわめきのなかでも
一人きりの静かな部屋のなかでも
あなたのことを考えている、
夜も昼も



Night and day
Under the hide of me
Though such a hungry yearning
Burning inside of me
This torment won't be through
'til you let me spend my life making love to you
Day and night
Night and day


夜も昼も、
私のなかのどこか見えないところで
あなたを求めてやまない気持ちが燃え盛る
想いがかなうまで、この苦しみは終わりそうにない
昼も夜も、
夜も昼も



Night and day
Under the hide of me
Oh, such a hungry yearning
Burning, burning inside of me
This torment won't be through
'til you let me spend my life making love to you
Day and night
Night and day


夜も昼も、私のなかのどこか見えないところで
あなたを求めてやまない気持ちが燃え盛る
想いがかなうまで、この苦しみは終わりそうにない
昼も夜も、
夜も昼も



Night and day
Night and day
Night and day
Night, night, night and day
Night and day
Night, night and day
Night and day



『夜も昼も』(よる-も・ひる-も、原題Night and Day)はコール・ポーター作詞・作曲による歌曲。スタンダード・ナンバーの一つであり、数多くの歌手によって録音されてきた。ジャズによるアレンジも多い。
1932年のミュージカル『陽気な離婚』のために書きおろされ、フレッド・アステアが初演。
後にレコード化されて、全米一位のヒット作となった。
2年後、『陽気な離婚』が『コンチネンタル』として映画化されたときにも、舞台版に用いられたポーターの曲の大半がカットされるなか、本曲のみは映画に引継がれた。
以後、ポーターの作曲家人生を代表する作品として知られ、1946年に彼の評伝映画が作られた際には、その題名にもなっている。

2009年08月19日

●IBMがDNAオリガミ手法を用いた半導体を開発中

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ムーアの法則が誕生したのは1965年。そろそろ限界だろうと言われ続けながら、いまもチップメーカーは半導体の集積化・高速化に取り組み続け ています。 そうやってIBMが辿り着いた先が、いわゆるナノテク。同社リサーチマネージャーのSpike Narayan氏いわく「半導体の製造に生体分子を利用したはじめての実証」が専門誌Nature Nanotechnologyに掲載されています。

半 導体の開発にDNA構造を用いるこの手法はDNAオリガミと呼ばれており、同社のアルマデン研究所とカリフォルニア工科大学が共同で開発中。「DNAのよ うな生物学的構造は反復的で再現が可能なパターンを持つため、半導体設計に活用できる」とNarayan氏はコメントしています。問題はスケールが小さく なるほど高くなる設備投資費用。残念ながら製品化までにはまだまだ実験が必要で、少なくともあと十年はかかるとのことです。折り紙の大作はインターネット 上にたくさんありますが、さすがにDNAレベルでは初でしょうか。ムーアの法則はいつまで生き続けるのでしょう。

 テクノロジーが進化する先は微細化と細分化とそれに伴う大量化あるとは思っていたが、まさかDNAレベルにまで話が及ぼうとしていることは感慨深い。

 デザインの世界でもよく使われる「神は細部に宿り給う」という言葉があり、このまま細分化が進んでゆけば、まさに "何かが宿る" そんな気すらしてくる。

 昔、星新一のショートショートで読んだ次のような物語を想い出す。

 ある大企業の社長が研究所の博士に「費用は幾ら掛かってもいいから "神" を造ってほしい」との依頼があった。
博士は大型コンピュータを導入して、そこに世界中のありとあらゆる聖書や神話や寓話、果てはゴスペルから言い伝えのたぐいまでをインプットしていった。
 作業は膨大な量に上り、すべてをインプットするにはかなりの日数を要して、なお終わらずにいた。
ある時期からそのコンピュータは神々しく輝きを放つようになり、動作音も厳かに威厳のあるものに変化していった。
 依頼した社長はその経緯を見て大変満足し、その後も作業を進めるように博士に頼んだ。
ところが、それから間もなく、ある事件が起こる。

 あとは読んでみてのお楽しみだが、たしか小学校時代に読んだだけなので題名も、どの本に収まっていたかも憶えていない。
 ただ物語のインパクトから、"コンピュータって凄い" というその後の興味のきっかけになっただけに未だに内容は鮮明に憶えている。

 物の細分化の行き着く先は、まさに「その物になる」のでは? と思わせる一節。

 PS.
 考えてみたら、Googleはまさに上の物語のような事を地で行こうとしている。
 そして自ら「神」になると公言して憚らないのである。

2009年05月20日

●特急列車はなぜ早いか?(その仕事はなぜ遅いか?)

特急列車はなぜ普通列車より早いのか?

途中停車駅がすくないから。ですよね。

では、なぜ途中停車駅がすくないのか?

それは早く進むために、そう決めたから。ですよね。

じゃあ、なぜ君たちの仕事は遅いのか?

各駅停車の仕事

仕事が遅々として進まない。それなりに能力がある人が集まっていても、そういうことはよくあります。

それって、まさに各駅停車状態になってるからじゃないでしょうか?

すこし進んだと思ったら停車して、計画を見直したり、やり方を調整したり。途中で誰かが「これって何だっけ?」と質問してくるのに答えたら、別の人が「えっ、それってこうだと思ってた」なんてことになって、1から認識あわせをしなおすことになったり。

結局、一直線にゴールに向かってひた走れれば、それほど時間がかかるわけでもないはずなのに、各駅停車で度々スピードを緩め、立ち止り、あれこれ調整や確認やらの必要があるために、一向に仕事が進まなくなってしまう。もちろん、停車したり発車したりは走り続けるよりエネルギーの消費も激しいので、その点でもだんだん速度そのものも出なくなるのではないでしょうか?

特急列車の仕事

ですので仕事を早く進めるコツというのは、途中で速度を緩めずにすむよう、あらかじめ途中で止まらないための計画をしっかりしておくことだと思います。

途中下車したい人は乗せなくて済ませるために、最初に認識合わせに時間をかけたり、議論すべきことはしっかり最初の時点で議論しておくのです。最初の計画の時点で、どこで停車するのかということとそれ以外は停車せずに進むということが可能になるよう、計画を立てるのです。途中で止まらないのだから、とうぜん、途中で問題が発生しないよう最初の時点で問題をつぶしておくか、次の停車駅まで問題を保留できるように計画を立てておく。

仕事が進まないのは計画の段階でそういう時間をかけずに、あいまいな状態のまま、発車してしまうからです。とりあえず進めてみて出なりで問題をつぶしていけばいいとか考えていたら、それは各駅停車でしか物事は進まなくなります。

仕事が遅いのは、そういう先のことを想像して、仕事を組み立てるということができないからでしょう。先々のことを想定したうえでの段取りの能力が低いんですよね。


DESIGN IT! w/LOVE より

昔から、「段取り八分に仕事二分」とか「考えるは平時のこと、事に及んで間髪入れず」とか先輩に教わってきたけど、やっぱり仕事の流れというのはそういうことなんだろうとつくづく思う。

同じ結果を出せるなら、より早く処理が出来た方が良い。
これは紛れもない事実である。そのためPCもよりクロックの高い物の方が高価な価値判断となる。

月給仕事だからと言ってグダグタ夜中までやったとしても、決して褒められたもんじゃない。
しかも内容に汎用性がない手垢まみれのようなものは、醜悪以外の何者でもないと思う。

やはり先々を想像し想定した上で物事を進める能力、一見関係なさそうな物を組み合わせてシナジー効果を生み出すという企画力というのは、より手早く仕事を進める上で大切なスキルである。

2009年05月13日

●即ということ

何事にもスピードが要求される現代、この即ということが大事なキーワードになる。 たとえばネットで買い物をしても、以前なら1週間くらいなら平気で待ていたものだが、Amazonで早朝注文した品物が夕方には届くという経験を何度か重ねるうちに、他所で在庫があるのに、なんで5日もかかるんだとキャンセルしたり、とにかく遅いとせっかくのビジネスチャンスを逃すことになる。

また、こうしたブログのエントリ書きも、以前ならローカルで生成してFTPクライアントでサーバーへアップしていたし、そもそも、それ以前にXMLではないためいちいちタグの記述から行わなければならなかった。 それが、MTとectoの組合せでだいぶエントリがしやすくなったが、やはりPCに縛られるという制約がある。 また、文章だけなら良いがこれに写真を添えるとデジカメで撮影してSDカードからPCに転送してから加工して、ブログエントリにレイアウトしてそれからアップとまどろっこしい手続きがある。 そもそも外で何かについて感動したらその場で撮影し、文章を添えて即エントリしたいものだと思う。

実にこの辺の理由からエントリ用に撮影してそのままお蔵入りのケースが多い理由があると思う。 生活のスピードに合わせたこの即ということを重点に置いた運用方法を考えないと継続的な実効性は難しくなるだろうと最近特に実感する。

-- iPhoneからのエントリ

2008年01月31日

●価格.comの利用者数が大幅に増加

価格.comの利用者数が大幅に増加--ニールセン・オンラインが月間利用動向

ネットレイティングスは1月28日、ニールセン・オンラインのインターネット利用動向調査「NetView」の2007年12月度の結果をまとめ、発表した。価格.comの利用者数が、リニューアル効果で大幅に増加していることが明らかになっている。

価格.com(kakaku.com)の利用者数は、ここ数ヶ月の月間利用者数が500万人台と伸び悩んでいたが、2007年10月のリニューアル以降は利用者数が急増し、11月には611万人、12月には686万人を記録した。リニューアル前の9月と比較すると19%増、100万人以上が上乗せされたことになる。

(C-NETの記事より一部引用)

私も何か買い物をするときにはとりあえずこの価格.comを閲覧してみる。
また、購入後でも口コミの内容を読むこともある。

これまでの価格.comはこの「とりあえず感」で一応の正確さがあった。
その辺の信頼性の周知が閲覧数をここまで伸ばす要因になったのだろう。
リニューアルによる利用数増加は副次的なものに過ぎないと個人的には思える。
そもそも単一の商品の価格を調べる時は前のインターフェイスでも十分だったし、リニューアル後のそれが必ずしも優秀とはいえない店もあるからだ。

気になるのは今後の信頼性の問題だ。
よくあることだが、最安価格を調べる時に有効という認知が進めば進むほどそこに権威が発生する。
それを利用しようとする業者も出てくるだろう。
すでに口コミの書き込みなど何らかの意図を感じるものもチラホラ見受けられる。

また最安という看板自体今後どうなるのか?
権威があれば多くの人は盲目的に信じるだろう。

安売りで有名なドンキーにしたって、マツキヨにしたって現在では実際にはそれほど安いわけではない。

ある時期までは本当に激安だったのかもしれないが、激安のイメージが周知として刷り込まれたあとではそれほど魅力的な商品でも価格帯でもないように感じる。

価格.comについても、「とりあえず」閲覧すると書いたのは、念のため他の店も調べてみているからだ。

現時点でも価格.comから更に安いところも出会うこともある。
ただ、それを調べる時間と労力を考えるとその差は現在のところささやかなものなので、急ぎの時などはこの「とりあえず」が生きてくるわけである。

いずれにせよ、周知的な評価・権威をけっして鵜呑みにすることなく広い判断材料で考える姿勢が大切だと思う。

2007年11月06日

●肖像画から推定、竜馬の身長169センチ

肖像画から推定、竜馬の身長169センチ
幕末の志士、坂本竜馬の身長は169センチ、武田信玄は162センチ? 肖像画などで人物とともに描かれている着衣や所持品をヒントに、解剖学的に身長を推定する手法を、北里大の平本嘉助講師(解剖学、10月死去)と山梨県甲州市の郷土史研究家、矢崎勝巳さんが5日までに開発した。

2人は、ほとんどの和服の襟幅が当時から6センチか6・5センチのいずれかであることに着目。竜馬の全身写真で身長を計算したところ、156~169センチとなった。竜馬はかなり身長が高かったともいわれているが、平本さんが計算した江戸時代の男性の平均160センチ弱より、やや高い程度だったようだ。

肖像画で扇子を持っている戦国武将の武田信玄については、徳川将軍が使用したとされる扇子の長さなどから、紙が張られた部分を17センチと推定。上腕骨と身長に相関関係があることから、左上腕骨の長さを約31・5センチと見積もったところ、身長は約162センチとなった。

このほか、小説家の樋口一葉は写真の襟幅から、戦国武将の加藤清正は肖像画の扇子から、それぞれ141~146センチ、159センチと計算した。

へぇ!司馬遼太郎 著「竜馬がゆく」等を読んだイメージではだいたい180センチくらいのイメージだったけど、169センチじゃ私よりも低い。
まぁ当時としては抜きんでた背丈だったんだろう。
大男という話だけ伝え聞けば現在風な背丈の勝手に想像してしまうことも止む終えないか。
でも、肖像画の場合描き手で多少の誇張もあるだろうから、竜馬の場合は写真も残っているので、写真に写った着物や体を預けている台のような物がもし現存していればそっちの方が正確に計れそうである。

私もそうだけど、竜馬を尊敬して止まない孫正義さんあたりは一気に親近感が高まったんじゃないかと想像してしまう。

2007年10月15日

●昔の住所

ここ、何年も思い出してもいなかったのだが、この頃ふと昔の住所の周りを思い出す。
とはいっても何か特別な場所ではなく、よく買い物へ行った安売りのスーパーとか、散歩に歩いた公園とか、公共の施設とかだ。

現在、住んでいる環境もそんなには悪くないし、むしろ、多の交通機関を使用しなくても自転車だけで紀伊国屋のような大型書店や、ソフマップのようなたいがい欲しい物がそろう店に出向けるので便利なくらいだ。

前に住んでいたところは都内とはいっても、そういったあまり生活に関係ない物には縁がなく、近所に大型家電量販店もあたが、PCなどの専門性には程遠かった。
書店へ行っても、専門書のたぐいは皆無で、やはりそれらを手にとって眺めたり、入手するためには電車などに乗って大きな書店へ赴かなければならなかった。

ただ、近所の怪しいスーパーでは恐ろしいくらい安い価格設定で品物が並ぶことがあり、それが楽しみでもあった。
工場の多い地域で、川とか橋とか、人の住居以外のスペースも結構あった。
なんか、そういう寂れ方がまた、最近、妙に懐かしく感じてしまうのである。

やはり、なんだかんだ言っても、12年も住んだ街だし、いろんな思い出があるのだろう。

2007年06月24日

●コンデジの閉塞感

今日本では、何回目かのカメラブームが巻き起こっている。これまでの主役はコンパクトデジカメであったが、ニコンの「D40」がきっかけとなり、これまでハイエンドに位置していたデジタル一眼が一気にメインストリームに躍り出た。老舗カメラメーカーがしのぎを削るデジタル一眼は、まだまだやることが沢山ある。撮像面積にしても、現状のAPS-Cやフォーサーズで十分かという大問題を始め、ライブビューの是非、そして小型化はともかくも軽量化は女性ユーザー拡大には重要な要素だ。

一方でコンパクトデジカメの煮詰まり具合は、相当深刻のように思えてならない。高画素競争もついに1000万画素に到達したわけだが、親指の先ほどもないレンズでそれだけの高解像度を撮ることに、どこまでの意味があるのか。ビデオカメラの世界ではハイビジョン化が進行しているが、これは200万画素程度である。それでもまだまだレンズがキビシイなぁと思う。デジカメでこれに気付かないのは、ピクセルバイピクセルの等倍で見る機会がないからである。

先日発表されたキヤノン「IXY DIGITAL 810 IS」に搭載された「ファンタジーナイトモード」は、手ブレ補正領域を利用して絵を描くという。写真がもはや現実を写すものではないというのは、写真の進化として捉えるべきなのか悩ましいところだ。ましてやパナソニック「DMC-TZ3」の「きみまろズーム」に至っては、もはやコピーからなんの機能的特徴も読み取ることができない。これを煮詰まっていると言わずに、何と言おうか。


古くて新しい、リコーGRシリーズ

今年3月に発表された「J.D. パワー アジア・パシフィック 2007年日本デジタルカメラ顧客満足度調査」によれば、現在デジタルカメラの顧客満足度は、実に7割近くまで達している。この調査結果で興味深いのは、全部門中でもっとも高得点の708ポイントをたたき出したのが、リコーの「GR DIGITAL」であるところだ。

GR DIGITALと言えば、2005年10月に発売されたモデルである。生き馬の目を抜くコンパクトデジカメ業界において、満足度のトップが2年前のカメラということは、他社がこの2年間にやってきた方向性は、実は間違っていたということなのではないか。

不満点がなければ改良点がない。筆者はこの状況を「満足の迷宮」と呼びたい。コンパクトデジカメのメーカーで、この迷宮にいないのはおそらくリコーだけではないか。デジカメ黎明期には一時低迷した同社だが、常に他社がやらないことをやってきた印象がある。

飽和するコンパクトデジカメ、脱却の糸口を探す 小寺信良より抜粋

この記事は私自身、ここ数年感じてきた閉塞感を見事に表している。
昨年までCONTAX Tvs Dagitalという4年前のデジカメを使用していたが、画質の面でもこれで十分だと思っていた。

このカメラは未だに人気が高く、中古市場でも4~5万円台で取引されている。
4年以上前のデジカメにもかかわらずである。
それは単なるブランド志向だけでなく、たとえば
CONTAX Tvs-Digitalで撮るドイツの情景。
等の優れたブログをみればその画質の良さが分かるだろう。

しかし今年に入って私はメインカメラを換えている。
Exifデータを見ていただければ分かるとおり、リコーの「GR DIGITAL」にした。

CONTAX Tvs Dagitalを友人のたっての願いで譲ってしまったことと、GR DIGITALにはRAW出力ができるので是非それで撮ってみたかったからだ。

RAWで撮り、あとで現像する楽しみはあるし、マクロ撮影でフォーカスポイントの任意の移動や、完全マニュアル撮影ができたりとそれなりの進化が認められるものの、CONTAXのクセがあるけどコッテリとした色乗りの良い写りから決定的にアップしているかというとちょっと疑問である。
(もっともCONTAX Tvs Dagital 138000円 → GR DIGITAL 79800円 で安くて同等の画質が得られるようになったことは進化といえるかもしれない)

画質の面では2年はおろかそれ以上の期間でほとんど進化していないのでは?と私には思える。
かといって、やたらデカくて重たい一眼レフデジに換えようという気は更々起こらない。
デジタルだからこそブレークスルーで小型高品質を望みたい。

2007年06月13日

●考えることは言葉を動かすこと

考えるということは「頭を動かす」ことですが、頭のどこを動かせばいいのか?
この答えは、考えるときに何を使っているか?を考えれば分かります。
私たちは「言葉」を使って考えているのです。
だからメモには言葉が使われる。
中略
考えることは、この「言葉を動かす」ことなのです。
今泉浩晃 著 「マンダラ・メモロジー」から抜粋

なるほど、振り返ってみると考えをまとめるために、メモに書き出してあれこれ思考することはよくやる。
この場合手に取って現実にいじれる形のものは「言葉」であり、「考えることは言葉を動かすこと」ということが当てはまる。
私はもちろん「日本語」という言語を扱っているが、この言語の種類が思考の方向性に影響を与えている可能性もある。
逆にこの制限が私の思考の限界になっているとしたらそれはそれでちょっと悲しい。
日本語で考えて行き詰まったら他の言語でもう一度考えられるようなマルチになれると良いのだが。

ただし、思考中は言語でも突然のひらめきはどちらかというとビジョンであることが多い。
「ひらめいた!」と感じたときはまだ映像でそれから言語に置き換えるというプロセスが発生する。
そういう意味では詰めて深く考え抜いた先のひらめきは言語には左右されないのかもしれない。
そう考えるとちょっと気が楽になる。

2006年12月20日

●冬ソラは意外に汚い

昨日ニュースで森田さんが言っていたが、この時期の空は意外に汚いらしい。

私自身も印象として冬の空気は凛として清々しいイメージがあった。
特に正月なんかは綺麗に澄みわたって遠景で撮影してもクリアに写る経験があったからだ。

でも、グラフで見ると10月から徐々に汚くなって12月1月でピークになりまた元に戻る。
理由は、
1. 年末年始で車の通行が増えて排気ガスの量が増えるため
2. 空より地上付近の空気が冷えているため、汚れた空気が上がっていかないため

つまり、喫煙室のたばこを吸う人が増えるんだけど、天井の換気扇が回らない状態をイメージしてもらえばよい。
う~ん、それを聞いてちょっと息苦しくなってしまったイメージに弱い私なのであった。

2006年08月05日

●編集機能、中国へ 日本の雑誌で動き盛ん 人件費安く日本語堪能

編集機能、中国へ 日本の雑誌で動き盛ん 人件費安く日本語堪能
上海=前田徹】日本の雑誌出版の編集機能を人件費の安い中国で肩代わりさせる動きが加速している。日本語に堪能なことが必須のため日本留学帰りの多い上海が中心となっているが、最近は北京や大連、広州などにも編集拠点が広がっており、それだけ日本語が使える知的労働者が中国で増えていることの裏返しでもある。昨年の反日暴動後も日本企業の中国進出は増え続け、中国の民衆サイドではむしろ日本傾斜を深めている。
こうした日本の雑誌の編集拠点の草分け的存在となったのが、上海市にある「上海初心商務諮詢有限公司」(張波社長)だ。コンピューター雑誌を主に出版する東京の中堅出版社が機材や資金の大半を提供して2002年5月に設立した。この中堅出版社は当初、簡単なレイアウトだけを中国側に依頼していたが、いまでは全体のレイアウトをする責任者とライター(記者)、営業員をのぞいてすべての編集とデザインは中国側で行われている。
張社長によると、「日本人編集者1人を解雇すれば、こちらで8人雇える」という徹底したコストダウンがこうした日中合作の雑誌作りを生み出した。張社長は東京の印刷会社に勤めたことがあり、DTP(コンピューター机上出版)技術さえあれば中国の若い編集者でも十分こなせる自信があったようだ。
つまりDTPの発達で雑誌編集もグローバル化が避けられなくなったともいえるが、もう一つ重要なのは日本語を扱える人材が上海に多かったことだ。張社長自身、日本留学帰りだが、日本側編集責任者と電話で打ち合わせし、レイアウト作成と校正を中国側スタッフに指示する責任者も日本留学帰りだ。
張社長は日中合作の雑誌作りの将来性に目をつけ、この合弁会社とは別に自らの出版印刷会社を始め、いまでは日本の老舗出版社の有名月刊誌の編集をも手がけるほどになっている。また、日本の地下鉄駅などで配布されるフリーペーパーなども手がけているそうだ。
こうした成功に日本の大手、中堅の出版社が同様の中国の代理編集会社設立を目指しており、すでに上海では3社、上海郊外にもかなり大がかりな日本の雑誌専門の会社が生まれた。張社長によると、このほか北京、大連、広州にも同じような会社ができたという。

ブロードバンドの普及。
スカイプなどによる通話やビデオ会議コミュニケーションの無料化。
OSやFontなどの標準での国際化。
OTFフォントによるプラットフォームを選ばないDTP環境。
PDFによる出力ファイルの緩化。
貨幣価値の国際的地域格差。

などを考えるとこのような傾向はさらに進んでゆくことだろう。
すでに、産業の面では安い人件費を目当てに中国に軸足を置く企業はめずらしくない。
いままではブルーカーラーの業種だったものが、日本語堪能な代表者がいれば現地のスタッフを使いこなしながらホワイトカラーの業種も行うことも可能なのだろう。

実際、DTP作業などは精神的肉体労働と言っていいほど、作業内容は地味なものである。
なので、作業環境を整えて、少しソフトの使い方を覚えれば、根性さえあれば大概の人は出来てしまう。
ちょっと前まではその環境を整えるまでが大変だったのだが、環境の低価格化と共にアマチュアでも比較的手軽に環境は揃う。 それに加えて言いたくはないが、中国といえば不正コピーの温床である。
環境構築のコストも限りなく0に近いのだろう。

私自身は数年前から徐々に受ける仕事をDTPから他の付加価値の付くものへとスイッチしてきた。
おなじDTPでもデザイン作業ならばセンスの問題なので単純DTP労働者には無理な事だろう。
もちろんデザインだけでお金を取れるほど世の中は甘くないので、デザインの優位性という付加価値でトータルなDTPの仕事が回ってくる感じか。

でもなるべくデータベースやWeb関連の仕事を積極的に受けている。
安い労働力と戦うためにさらにスキルを磨いてゆく以外にはないと思う。

2006年07月02日

●道具の限界

何にしてもそうだが、気に入った物を見つけるとまずはそれをいじくり回して、その物の限界を見極めることをする。
限界が見えて初めて安心して落ち着いた気持ちで取り組める。

映画「K-19」でハリソン・フォードが扮する艦長、ボストリコフ大佐が処女航海の新鋭潜水艦負荷をかけ、艦そのものとクルーの能力を限界ギリギリまで酷使して、見事ミサイル発射実験に成功したシーンがある。
その中の「限界を見極めて初めて安心して実戦に臨める」といった趣旨の台詞にとても共感を覚えるのである。

だいたい「何でも出来ます」なんて嘘くさいキャッチフレーズほど信用の置けない物はない。
逆にコレとコレは出来ないけど得意なコレならば他には負けないという割り切った物の方信用がおけるし本来の意味で実用的な物が多い。
またそういう物の方が魅力的なのだ。

Palmという弱小のデバイスはOS4の頃は動画は再生できないし、テキストは32kまでしか扱えない。Jpgの画像はそのままでは表示できないとスペックから見ればまるで何も出来ないように映るが、実はその代替えとして驚くほどのバッテリ稼働時間、どこでも瞬時に道具が起動、安定したOSと、外で使うためには当たり前の機能が当たり前に備わっている。
逆にWinCEなどはスペック的に見れば何でも出来そうに見えるが、実は電池の持ちが悪かったり、道具の起動も瞬時というわけにはいかなかったりと本来、モバイルとして備えなくてはならない当たり前のことを犠牲にしている印象がある。

Palmを知ってすぐに、そのスタンスにすっかり気に入ってしまった。
早速、限界を見極めようと色々調べてすぐに膨大な量の個性豊かなソフトの存在を知り、あまりの量の多さに一時期途方に暮れるほどであった。
しかしそのほとんどを試したり色々実験してみて、出来ることと出来ないことの限界をわきまえた上で結局は本当に当たり前の使い方をしている。
それくらい基本機能が既に完成の域に達しているのである。

限界の見極めは他の道具でも同様である。
デジカメなどやはり色んなシチュレーションで撮って初めてダイナミックレンジや解像度の限界を理解できる。
そのカメラの特性を理解した上で限界ギリギリのところ、少し余力を残した当たりで使いこなすと結構良い絵が撮れる。

だから、新商品が出ても嘘くさいコピーにはまず疑って掛かることができる。
売り文句の新機能が今持っている機材でもちょっと工夫すれば同様に実現できることもよくある。
そんないらない機能より本来の写りに対して旧製品の限界を楽々越えてしまうような場合に初めて買い換えを考える。
でもなかなかそういうブレークスルーは短期間には実現しない。
大概のメーカーは基本機能は代わり映え無くその代わりに余計な機能を付け加えて新製品と称することが多い。
メーカーに惑わされて一喜一憂することなく、今ある資産を果たして限界まで使い込んでいるか見直す姿勢は大事であろう。

2006年06月20日

●思考の剪定

思考を深くより純粋に行うには「余計なことを考えないことである。」
一見すると相反する行為に見えるが、実は私がメモを頻繁に取る大きな理由は、その物事を忘れないようにするという事より、早く頭の中をサッパリさせるためである。
メモに記録していないうちは、頭の方が忘れないように(それが良いアイディアか下らないアイディアかは別として)意識が働いて少なからず常に念頭にあり、それが別の思考の妨げになってしまうことがある。
それで、頭の中にある考えを一度外部記憶に吐き出すと、頭の方が防忘努力する必要がないという無意識が働いて、綺麗サッパリ、クリアにして次の思考に集中することが出来るのである。
「下手な考え休むに似たり」とは、良く真理を表した格言だと思う。
つまらないことで悶々と悩むより、早く外に吐き出して、スッキリクリアな状態を保ちたい物だ。
思うにいくら理性で、下手な考えと理解していても、頭の方でぬぐいきれないことが多い。
一度、メモという文字の形にして眼で確認すると、頭の方が「あぁこれは下手な考えだ」と初めて理解してくれる気がする。

一説によると眼とは脳味噌の延長にある器官らしい。
脳が外の景色を見たい一心でせり出して一部が眼になったのだという。
メモにアイディアを吐き出して、それを眼で確認して更に思考するということは、あたかも牛が食物を反芻する行為にも似ている気がする。
見て考えて、修正してまた見るという行為は自分の考えをより純化させるプロセスといえるだろう。

2006年05月26日

●100ドルPCと帰ってきたNC構想

以前よりエントリーで取り上げていたグーグルの100ドルPCに進展があったようだ。

今度はヴィヴィッドオレンジ--100ドルPCに新プロトタイプ

開発途上国の子供たちに低価格のPCを提供するという「One Laptop Per Child(OLPC:すべての子どもにラップトップを)」の目標が、また一歩実現に近づこうとしている。
非営利団体のOLPCは今週、いわゆる「100ドルPC」のプロトタイプを披露している。OLPCが、実際のコンピュータ部品を積んだプロトタイプを発表するのは今回初めてだ。

脇にあった充電用のゼンマイクランクは回転時の不可に本体が歪む恐れから外されたそうである。
充電は外付けのアダプター部に付けられるらしい。
オレンジでも、グリーンでも良いのだが、デザインの好みから言えば以前の方が良かったような気がする。

今回初めて実際に稼働する部品を付けて物らしいが、予想外だったのが最近のLunuxの肥大化に伴う動作の遅さが目立ってきたという。

Negroponte氏は先月、「Linuxのサイズが大きくなり過ぎた」ために、このことが「小さくて動作の軽快なシステムを実現する上での障害になっている」と不満を漏らしていた。

日々Linuxも肥大化しているため当初500Mのフラッシュメモリではきつくなってきているのだろうな。
このPC専用に無駄な機能を削ったライト版を作成しているらしい。

たとえば、LinuxベンダーのRed Hatから参加しているチームは、OSのサイズを400Mバイトから250Mバイト程度まで小さくすることに成功した。

それでも、予定のメインメモリの半分くらい持って行かれる。
多分これは英語圏システムでの計算だろうからこれが日本語などの2バイトコード圏で組むとそれなりに増えるんだろうな。

私が今まで使用した中で飛びっきり軽快で実用的なOSといえばPalmOSだった。
今回のような教育という使用目的からすれば、むしろPalmOSの方が合っている気もするが、もやはトレンドでもないし、マイナーなために先細りなので現実的ではないのだろう。

むしろ、軽いLinuxにネット機能を充実させて、ネットの「あちら側」にあるアプリを使用するフロントエンドとして扱った物の方が良いかもしれない。

その昔にこの「ネットのあちら側」を主体とした「NC(ネットワークコンピュータ)構想」が有ったが、当時はまだインフラも普及されておらず、通信速度もそれほど期待できないことから頓挫してしまった。

ところがグーグルがこれから構想しているのは正にこれではないかと思われる。
ネットのあちら側に高機能なアプリを無料で使用させる。

例えば写真画像処理ソフトと言えばPhotoShopが定番あるが、これは高機能でソフトウェア自体の値段も高い。
プロでそれで稼げる人はともかく素人が個人で購入するには少しはばかれる物なのである。
実はPhotoshopと同様の機能を持つオープンソースのGimpというアプリも存在するが、Unix発祥のアプリで導入及び運用には敷居が高い。

しかしPhotoshopと同様の機能を持ち、操作が簡単なアプリををネットの向こう側に公開したらどうだろう?
利用者にとっては使用した結果が欲しいだけなのでネットの向こう側に投げて結果だけを受け取る。
重い処理に必要な強力なCPU等のハード構成はネットの向こう側に存在すればよく、こちら側は結果を受け取るだけでよい。

Photoshopならば私は頻繁に使っているのだが、それに限らず、月に1回もしくは半年に1回くらいしか使用しないアプリがHDDの肥やしになっているケースも多い。
それらを全てネットの向こう側に追いやってローカルには向こう側に預けてある物を取り出す個人認識の鍵程度の位置づけになって行くのでないだろうか?

だれしもアプリそのものが欲しい訳じゃなくて、それによって得られる結果が欲しいだけなのだから。

もっと進めば、ローカルのハードという物はやがて希薄になってゆき、身一つでどこに行ってもその場にあるハードが全てネットに繋がっていて自由に自分のネット環境に繋がり、利用することが出来る、それがユビキタス社会になるのだろうと思う。

2006年03月23日

●禁煙・喫煙 その2

喫煙は嗜好(しこう)か病気か、たばこの在り方が変わろうとしています。
4月から診療報酬の改定によって、たばこがやめられず、「ニコチン依存症」と診断された人に対する禁煙治療が保険適用になります。
ニコチン依存症が病気と認められることになりますが、たばこメーカーは反発しています。
喫煙は嗜好(しこう)か病気か、たばこの在り方が変わろうとしています。

前回のエントリに、喫煙者は「ニコチン中毒」という立派な病気なのだから、国は禁煙プログラムに補助金を出すべきだろう。と書いたが4月から診断によっては保険適用がされるという。
依存度の高い人で止めたい思っている人はこれを機に禁煙できるチャンスだと思う。
これで全て解決というわけではないだろうが、少なくとも禁煙を志す人に対しての財政的な支援にもなり、より選択肢が広がるので、歓迎すべき事だろう。

この制度に対して煙草メーカーは反対を表明していて、「煙草が身体に害を及ぼすことは否定しないが、依存度は弱いはずで止めようと思えば個人の意志で止められるので病気ではない」などと時代錯誤も甚だしいコメントを出していた。
メーカー自らこういう態度だから、いわゆる世間の嫌煙家から厳しい目で見られるのだろうと思う。
ニコチン依存から抜け出そうという個人の意志よりも自分たちの利益を大事にする、まるで、薬付けにしたジャンキーから金をせびり取る薬の売人のようなイメージがある。

ちなみに動画ニュースで元ヘビースモーカーで今は煙草問題の専門家のコメントで。煙草は「愛煙家」ではなく「哀煙家」(哀しい煙の囚われ人)であり、「嗜好品」ではなく「死向品」という、いささかオヤジギャグも苦笑いした。

2006年03月22日

●デジタルと紙

最近このブログをはじめとしてメモはキーボードで打ち込むようにしているが、心の隅の方ではまだまだデジタルに対しての疑念がある。
ようするに、全幅の信頼を置けないのである。
誰もが経験があると思うが、デジタルデータは故意や不注意に関わりなく、いったん消去してしまえばみごとなまでに跡形もなく無慈悲に消し去ってくれる。
これは、ちょっとテストでアプリを起動して、試しに作ってみた物でも、数時間、いや、数日かけて作業した成果品でもまったく平等に容赦がない。
そこには意図的に消去する場合もあるし、アプリなどの不具合により理不尽に消し去られる場合もある。
そして、いったん消えてしまったコンテンツはほとんどの場合戻ってこない。

MacOSが今よりもっと不安定だった頃、半日かけて行った作業をいとも簡単に消し去られた記憶があり、それ以来仕事で使うPC環境に対してはかなりシビアになったと思う。
アプリやOSのメジャーアップデートにしても、人の評価はあまり鵜呑みにせずに、さまざまな情報をから総合的に判断し、まず試験的に導入してから徐々に本格運用してゆくようにしている。
とにかく信頼性と安定性に重点を置いて、どちらかというと「枯れた技術」を好んで使う。

話がずれたが、デジタルは信頼性においては遙か昔のパピルスの時代から現代まで積み上げられた「紙」には遠く及ばない。
それはデジタルデータ自体に書き込まれる生地となるメディアそのものの危うさを起因とするのであろう。
書き込み、書きだし、コピーが容易な分だけ、消去の容易さもまた、つきまとう。
紙ならば数百年、数千年の安定した保存の信頼性が現存として明かされている。

以前にNiftyのシステムに侵入してそのアクセスログを消去して、形跡を消そうと試みた者がいたが、その犯行はすぐさまバレてしまった。
彼は凄腕のハッカーで、アクセスログからは綺麗サッパリ足跡を消し去っていたのだが、それでも発覚してしまった。
なぜなら、Niftyでは一定時間を過ぎたログはすべてプリントアウトして保管していたからだった。
いくら凄腕のハッカーと言えども、紙に記録された足跡までは消し去ることは出来なかったのである。

たいがいの読み物は電子形式で済ませている私でも、これはと思う物は書籍などの紙の形で入手している。
デジタルデータ自体は電気の供給がないと閲覧が出来ないという欠点があるからだ。
逆に雑誌程度で得られる情報なら、ネットを徘徊していれば知ることが出来る。
テレビもないし、新聞も取っていないが、ネットがあればその手の情報で不足を感じたことはない。

それで漏れる情報もあるだろうが、この情報の氾濫の時代、その漏れた情報が重要だと誰が判断できるであろうか?
たいがいは、広告等が絡んだ何らかの意図が見え見えの情報が多いように思える。
これも、情報のコピーが容易なデジタルの弊害の一つといえよう。
不確かな情報がそれこそ雨後の竹の子のように蔓延しているのが現代のように見える。

紙の話に戻るとブログのデータも、紙に出力して保存を確実な物としておく必要が時期がそのうち来るかもしれない。
ただし、コピー用紙にただプリントアウトしただけではあまりにも味気ない。
もしかしたら既にあるかもしれないが、ある程度まとまったブログを製本の形にして1~3冊くらいでもオーダーできるサービスがあればいいともう。
既にiPhotoからは個人の写真集の小ロット出版サービスがあるくらいだから、ブログもそろそろあるのではないか?

2006年03月20日

●清掃

掃除が好きと言うほどでもないが、綺麗で清潔な環境は大好きである。
フローリングにほこりがうっすら積もっていたりするとそれだけで気持ちが塞ぐこともある。
掃き掃除には小さな箒を使って、高い方から順に天井から照明から壁から掃いて細かなチリを掃き落とす。
壁にも結構、埃が引っかかっていることがよく解る。
テーブルの上などを掃き終わり、床で集めてちり取りで捨てる。
終わったら、いよいよメインの拭き掃除である。
やはり、掃除と言ったらメインは雑巾がけなどの拭き掃除である。
これに比べたら、掃き掃除など序盤の序盤にすぎない。なので掃除機はメインにはならない。
物に積もったチリやホコリを払うだけでは、なかなか綺麗になった感がないが、この拭き掃除でやっと落ち着く。
長い間、たとえ使用しなくても置いておくだけで細かいチリや汚れが付いてしまう。
煙草は吸わないので脂が付くことはないが、それでも運命的に薄汚れてきてしまう。
それを、丁寧に拭き上げてあげると、まるで物、本来の正当な存在価値を見いだしてあげるようで、生き生きしてくる。
さすがに新品同様とは行かないが、たとえ細かい傷が付いていても、逆に味としていとおしくさえ思えてくるものである。
これは拭き掃除をする前の単なるだらしない薄汚れて古ぼけて見えるだけとは次元を異にする物である。これは、手に取れる物に限らず、家具でも床でも同じである。本もラミネート加工がされていれば雑巾がけする。
ちゃんとメンテナンスして大事に扱ってあげれば、道具などは期待に応えた働きをしてくれるものである。
だから、PCなどに埃がたまりっぱなし、脂が付きっぱなし、キーボードも汚いままで、「調子が悪い」などという人を見ると、大事に扱ってあげていないんじゃないかと言いたくなる。そういう人は外見は勿論のことHDDの中身にも結構無頓着で、わたしがPCなら、こりゃへそを曲げちゃうなぁって事も良くある。
やはり、人も物も大事に扱ってあげることが長持ちの秘決だろう。

2006年03月19日

●マイ・シンプル・ライフ

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20代に初めて家を出て、住んだところは、1DKのアパートだった。
1階がカウンターで呑める焼鳥屋で2階が我が家というちょっと変わった作りだった。
錆び付いたスチールの階段をトントンと上がるとうちの玄関。
立つのがやっとの玄関に入ると右手に台所左手に和式のトイレがあった。
その奥が6畳の和室で建坪率の関係か角の一角が削られていた。

引っ越した当時は本当に貧乏で何にもなかった。
冷蔵庫も洗濯機も電話もテレビもラジオもなかった。
お金がない生活というのは驚くくらいシンプルになる。
6畳の部屋にスチール製の事務机にMacintosh Plusが置いてあり、あとはステレオ装置とレコードが80枚くらい後は本が大量にあるだけだった。
引っ越した時は部屋全体の壁は汚く、かなり荒んだ印象があったので、まずはペンキを買ってきて塗り替えた。
和室の方は壁は極薄いグリーンに塗って、柱は大胆に黒に塗った。
写真ではまだそのままだが、天井は木製の板で雨漏りの染みが目立っていたため、塗ろうかとおもっが、ローラーで塗るには作業がしにくく家具にペンキが落ちる可能性が有ったので、シーツなどに使う天竺という木綿布を買ってきてそれをピンで留めていた。
トイレの扉の横にはピカソの「ゲルニカ」の絵を額に入れて飾っていた。
何もないので、出かけるときは現先の電気のブレーカーを上げて行く。
なので、外出時の電気の消費は全くなかった。

玄関の鍵は外からかけるタイプではなくて内側のノブのボタンを押して戸を閉めるとそのまま掛かるという極めてイージーな物だった。
そのためしばしば、部屋に鍵を忘れたまま玄関の扉を閉めてしまうこともあった。
そんなときは近くから脚立を借りて2階の窓から入り、玄関の鍵を開けた。
後日、玄関扉のガラスをずらす(説明が難しいがそもそもガムテープではり付けられているだけの物だったので)そこから手を入れてノブを回せば入れることが判明した。
まぁ、とても貧乏な家だったので取られるような物は特になくて(Macもその頃は型落ちであまり価値はなかった)その点本当に気楽だった。

その頃はまだ浪人生活だったので、昼間は小岩にある印刷制作会社で働き、夕方には新宿にある美術研究所で(芸大美大の予備校)に通っていた。
帰宅はだいたい10時くらいだった。
帰りに近くの酒屋で700ml入りのドイツワイン「カッツェ」(黒猫のラベルのヤツ)と大ぶりの柿の種を買って呑むのが楽しみだった。
冷蔵庫がないのでワインはその日のうちに空けていた。
テレビやラジオがなかったし、もちろん新聞も取っていなかったので娯楽はもっぱらMacと読書とレコード鑑賞である。
レコードは80枚くらいしかなかったので、同じ曲を繰り返し聞いていた。

電話がないためどうしても私に連絡が取りたい人はしばしば電報を打ってもらって、近くの公衆電話から連絡した。

風呂は歩いて10秒の所に銭湯がありそこを利用していた。
12時に閉まってしまうので、それ以前に駆け込まなくてはならない。
家の前を銭湯へ行き帰りの人が楽しそうに歩く笑い声が良く聞こえた。
何となく風呂上がりの石鹸のにおほいまで届いてきそうで良い思い出だ。

1階の焼鳥屋も賑やかで良く笑い声とか時々カラオケの声が響いた。
その時は不思議とそれほど騒がしいという気はしなかった。
何にもなかったけど、ああしたいこうしたいという夢や希望は沢山あった。

今思えば、あの時期も人生で最良の日々だったように思う。

2006年03月15日

●公私混同

ここのところ、「ウィニー」から、公的機関や企業や個人の情報が流出事件が相次いでいる。
今日もTBSの番組スタッフのPCから、情報漏洩の事件が報じられていた。

ウィニーに衝撃、芸能界困惑…住所、電話番号流出
TBS系の人気番組「さんまのスーパーからくりTV」の内部情報が流出して関係者の間に衝撃が走っている。出演タレントや素人の出演者などは、個人情報の流出に「驚きました」などと大困惑する。ファイル交換ソフト「ウィニー」を導入したパソコンが暴露ウイルスに感染して起こる情報流出騒動は、もはや暴走状態で、政府が14日、国民にパソコン情報の管理の徹底を呼びかけることを決めるなど日本列島を揺るがしている。

まぁ、「ウィニー」をインストールして、それを起動している時点で、もぉ「プチ犯罪を犯す気マンマンじゃん」って感じで、あまり同情は出来ない。
私の環境はMacなので幸いこの手のウィルスに感染したことは過去にないけれども、それでも気付く範囲で気をつけている。
ファイアーウォールを適切に設定して、こちらが不許可なアプリケーション以外での外部の接続は許していない。
だから、もし、怪しげな動画に偽装してそれを閲覧時に外に?に行こうとしても、それは遮られることになる。

だから、きっと、これらの事件の被害者?達もそんな動画ファイル中に埋め込まれたウィルス実行ファイルにやられてしまった物かと思って少し同情した。
だけど、Winを使っている友人に聞いてみると、くだんのファイルは決して動画に埋め込まれた物ではなくて、「映画のタイトル名+.EXE」ファイルで映画のタイトル名はその都度変わるけど、容量と拡張子は変わらないそうだ。
これを聞いて、なんだ、ただのウッカリさんじゃないかぁと1%くらいはあった同情もすっかり消し飛んでしまった。

だいたい、PCの知識もない人が、のんきにファイル交換にネット接続すること自体がかなりデンジャラスだと思う。
しかも、仕事のデータの入っているPCで接続するなんて、私物のパソコンでもこれは「公私混同」だと思う。

一昔前ではこの手のウッカリミスの不手際くらは、たぶん内輪のかばい合いで有耶無耶になっただろう。
しかし、現在ではその流出物そのものが世間に広く出回ってしまうのでこれは隠しようがない。
別に芸能人の住所が出回ったくらいならそれほどの大きな被害はないだろうけどこれが防衛庁とかの内部情報などだと国防に直接関わってくる。
もし、その流出元が特定されればこれはもぉ国民の生命財産を危険にさらしたと言うことで、重罪に科してもいいくらいだと思う。

でも、上のニュースのくだりにこんな一文が目に入った。

最近も海上自衛隊の護衛艦から大量の機密情報が、陸上自衛隊からは化学テロ情報やレンジャー部隊の教本などが流出したばかり。自衛隊では隊員が任務で私用パソコンを使用するのを防ぐため、大量の新規パソコン導入を決めるなど対応に追われる。

これって、元もと、任務で使う道具を用意して無くて、私物でまかなっていたって事じゃん。
こういう、必要な什器を用意する頭がないって、やはり上の方の考え方の古さにも大きな問題がありそうだ。

2006年03月06日

●DNAで自分探し

アメリカでDNAを自分探しの手段にしようという試みに熱い視線集まる
アメリカで、これまでの犯罪捜査や医療分野だけではなく、DNAを自分探しの手段にしようという試みに熱い視線が集まっている。
ニューヨーク郊外に住むアフリカ系アメリカ人のハッサン・バイラルさんは、自らのルーツをたどるためにDNA鑑定を受けた。
ハッサンさんは「わたしたちは遠い昔、奴隷としてアフリカ大陸から来たことは知っていても、それがどの国なのかはわからないのです。祖先との失われたきずなを取り戻すためにも、どうしても知りたかったんです」と話した。
検査の費用は590ドル、日本円にしておよそ7万円で、自分の祖先の出身地を調べることができるという。
テストは非常に簡単で、綿棒を口の中に入れ、粘膜をとって研究所に送る。
DNAは人間の設計図といわれ、そこに人体の特徴などの遺伝子情報が書き込まれている。
そして、このDNAを解析することで、祖先の出身地を特定することができるという。
DNA鑑定サービス会社の社長は「この検査は、過去のつらい歴史を振り返るのではなく、事実を前向きにとらえようとするものです」と話す。
検査の結果、ナイジェリアに父方の祖先を持つことがわかったハッサンさんだが、意外なことも明らかになった。
ハッサンさんは「検査結果に父方の祖先はイタリアやドイツ、スペインにさかのぼるとあって、本当にびっくりしたよ」と話した。
科学技術の進歩でより身近になったDNAを利用した自分探し。
移民の国、アメリカならではの新しい動きが広がっている。

DNAの技術もこういう事に使われるとより身近に感じられる。
それだけ、設備が安価になって、一般企業にも利用しやすい価格になったと言うことだろう。移民の国、アメリカでなくても、日本でも太古の昔に日本海で大陸と隔たれる前に、様々なルートを辿ってきた祖先がいる。
日本列島がアジア大陸の東に造られ始めたのは、白亜紀の後期(約7000万年前)といわれている。
その後、約50万年前に日本列島が大陸より別れて形成され、氷河期に海面が下がって(約3万~2万年前)、また、海が凍り、再び陸続きに成っていた時期が有ったされている。
世界の母親は、たった35人とされているが、日本人のルーツ、日本人の祖先は、下記9人の母親が、殆ど(約95%)の起源とされるそうだ。 1 アジア最古(D):
中央アジア(バイカル湖西部周辺)で約6万年前誕生、日本人の34%、長寿・寒さに強い。
体温を逃がさないように、皮膚や瞼が厚く、細目・小太り・胴長体型が多い。
寒さから水分の蒸発を守る皮脂腺が発達した人が多い。
粉耳が多い。
中央アジア・東アジア最大、一部はベーリング海峡を渡って、アメリカ大陸に到達した。 2 原日本人(M7):
東中国(上海・蘇州・南京周辺)で約4万年前誕生、日本人の15%、南方系に適応。
古くから日本に住みついた。
縄文人などのルーツ。
熱を溜めにくい丸みを持つ小柄体型、丸く低い(広い)鼻、湿気の多い所で汗腺が発達した人が多い。
飴耳が多い。
中国南部より、海を渡って、台湾、琉球(沖縄)、北海道、や、インドネシア、フィリピンにまで達した。 3 世界一の冒険者(B):
南中国で約6万年前誕生、日本人の15%、陸路(ベーリング海峡を渡って?)、南アメリカや、海流に乗って、日本や南方は、オセアニアなどの島々、環太平洋に広く分布。 4 北の旅人(G(→Y)):
東シベリアで約3万年前誕生、日本人の7.5%、広く南下し、アイヌ(北海道)、朝鮮半島、中国や中央アジアにも分布。 5 バイカル湖発祥(A):
バイカル湖湖畔域で約2~3万年前誕生、日本人の6%、D型同様、寒冷地に適応し、東アジア(シベリア~中国南部)に広範に達した。
ベーリング海を渡り、北アメリカ先住民の祖先となった。 6 東南アジア最大(F):
北ベトナム・ラオス・中国国境付近周辺で約4~5万年前誕生、日本人の5%、痩せた体型、汗腺が発達した人が多い。
飴耳が多い。
日本には、朝鮮半島を経由し入ってきた。一部は中央アジアにも達した。 7 ヒマラヤ・山岳民(M9):
ヒマラヤの山岳地帯・チベット周辺で約4万年前誕生、日本人の3.4%。
日本には、朝鮮半島を経由し入ってきた。中央・東アジアに分布。 8 長距離冒険者(CZ、M8a):
北東アジアで約3~4万年前誕生、日本人の3.2%。
日本には、朝鮮半島を経由し入ってきた。
シベリアを経由しベーリング海を渡って南アメリカや、西は北欧(サーミ(ラップ)人(氷原の遊牧民))、フィンランドまで達している。 9 中国起源渡来人(N9):
M7型と同じ東中国で約2~3万年前誕生、日本人の7%。
縄文以降の比較的新しい時代に渡来した民族。日本には、朝鮮半島を経由し入ってきた。
粉耳が多い。余談だが、面白いことに、秋田県を中心とする東北の一部に、明らかに白人との混血が多く繁栄してることも知られている。
(元々、欧米人にしか無かったであろう、JCウイルス-ヒト・ポリオーマウイルス(DNAに感染するウイルス)の一種の感染が有ること)。
また、メラニン色素の割合で言っても、"秋田美人"に喩えられる秋田の人の白人のような肌の白さ・色白は、東北の中でも群を抜く結果となっている。
DNAと遺跡の推測によると、縄文期の交易の時代に、白人の遺伝子を運んで来た者が、東北の一部に住み着いて(三内円山か?)、秋田県を中心として白人の子孫が繁栄したと、考えられている。
こういう事の積み重ねが、上記9人の母親で100%の日本人の祖先・日本人のルーツを構成してるってことでもないらしい。
古代交易を考えれば、北方系も居れば南方系も居てもおかしくはないだろう。私はどれに属しているのだろうか?
父方は先祖代々、江戸の人だったし、戦国時代には石神井の豊島氏の殿様に仕えていたという。
母方は九州の方だ。
でも、私の色白さはイギリス白人の女性から「うぁ白い!!」と第一声を浴びせられるほど白い(その時はオマイに言われたくないと思った。)
香港へ行っても、同僚の日本人は観光客としてあちこちから声をかけられていたが、私にはほとんど声がかからなかった。
前記の「オーラ」もあるかもしれないが、恐らく何人にも見えなかったのだろうと思う。ミトコンドリアDNAは、母系に100%遺伝する遺伝子。
これは1万年に1回、環境適合などによって形を変えると言われる。
つまり、ミトコンドリアDNAを調べれば、最初の母親から、どのくらい離れてるかが計算(比較分類)できる。世界の母親が35人と推定できたのは、コンピュータの発達によるものだ。
また、その35人の母親の元の母親は、さらに、アフリカのたった一人の、母親=ミトコンドリア・イブに辿り着くとされる。
早い話、現代人みんな、一人の母親の子孫で、親戚どうしだってことだ。笹川会長の「人類皆、兄弟」も単なる空虚なお題目ではなかったと言うことだろう。

2006年03月02日

●ゼンマイ仕掛けのコンピューターその2

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先日のエントリーでかいた、「ゼンマイ仕掛けのコンピュータ」の100ドルPCのつづき。

現在、日本でも「小学校で教育のために使われている」コンピューターは、総数で73万4083台といわれる。
これを小学校の生徒一人あたりに直すと、9.6人に1台でしかない。
(文部科学省発表「学校における教育の情報化の実態等に関する調査(中間調査)結果」より)
小学生にPCは必要ないのではなどという考え方をする人もいるらしいが、以前から私は環境によって子供の可能性が広がることを訴え続けてきたが、その大人がPCが使えず、よって必要としないからといって必ずしもその価値観を子供に押しつけるのは大きな誤りであると思う。
すでにPCは文房具レベルの認識であり、生活していく上で必要不可欠な物になりつつある。
百歩譲って無くても生活できるとしよう。
でも、PCがあることによって、子供の可能性が大きく広がるとしたらこれは利用しない方がおかしいと思う。

先進国と言われる日本ですらこの状況なのだが、これが世界ともなると自体はもっと深刻だ。
正直に言って世界規模で考えてゆくと私の理解も想像も遙かに超えている。
そこには様々な諸問題があるのだろう。
ただ、ネットの普及によって各国の一般の人(政府の人ではない)が現実を少しでも知って、お互いの理解を深めて何らかの歩み寄りの手助けになればと思う。
無知ゆえに自分以外の苦しい環境を知らずに派手に消費生活をのうのうと送っていられるのも現実だし、また、無知ゆえに犯罪に手を染めてしまうのも現実だと思うからだ。

以前のエントリにかいたMIT Media Labの100ドルPCについては、一昨日、CNETに「100ドルPCとライバルたち--軍配はどれに上がる? 」との記事が載っていた。

やはり問題はコストと通信機能の実行能力にあるようだ。
ただし、この記事にはNicholas Negroponteの「100ドルPC」に対する短所として

PCに搭載されるプロセッサは動作速度が500MHzで、またストレージも500Mバイトのフラッシュメモリしかない(ハードディスクは非搭載)。さらに、広く普及しているアプリケーションも付かない。

とあるが、これは必ずしも問題にならないのではないかと思う。

1989年当時、私の使ってた「Macintosh Plus 」は チップがMC68000プロセッサのわずか8Mhzだったし、HDDの容量も40Mb(ギガバイトではない)画面もモノクロの512×342pixelだった。
メモリも最大に積んでも4Mb(しつこいようだが4ギガではない) こんな非力なマシンでも十分にインスパイアーされて、様々なこと学ばせてくれた。

このマシンでキーボードのブラインドタッチも習得したし、ワープロはもちろん、Excelのスプレッドシートもこれで学習した。4thDimensionでリレーショナルデーターベースさえも作った。ドローイングソフトで複雑な図形も作成したし、PageMakerで組み版の印刷物も制作した。テトリスやSimCityも遊んだ。
もちろん、Macの初期のソフトなんて大した数はなかった。
それでも、全てを入手できるわけもなく、手に入れた数少ない物を、骨をしゃぶり尽くすようにいじり倒した。

要は「何も無い」という状態から「コンピュータがある」という状態になったその差は歴然としていた。

これは"The Wall Street Jounal"1980.8.18 のインタビュー記事なのだが、ジョブズが「人間の頭脳を拡張する21世紀の知的自転車」と表現して、PCとは何かという質問に対して答えた以下のやり取りがある。

Q.) パーソナルコンピュータとは何でしょうか。

A.) それについては、自転車とコンドルとのアナロジーで答えたい。数年前に。僕は「サイエンティフィック・アメリカン」と思いますが、人間を含めた地上のさまざまな動物の種の、運動の効率に関する研究を読みました。その研究はA地点からB地点へ最小限のエネルギーを用いて移動する時に、どの種が一番効率が良いか、結論を出したのです。結果はコンドルが最高だった。人間は下から数えて3分の1のところにいて、あまり印象に残っていません。
しかし、人間が自転車を利用した場合を、ある人が考察しました。その結果、人間はコンドルの倍の効率を見せました。つまり、自転車を発明した時、人間は本来持っている歩くという肉体的な機能を拡大する道具を作り出したといえるのです。
それゆえ、僕はパーソナルコンピュータと自転車とを比較したいのです。なぜなら、それは、人間が生れながら持つ精神的なもの、つまり知性の一部を拡大する道具だからです。個人のレベルでの生産性を高めるための特別な'関係が、人間とコンピュータの関わりの中で生まれるのです。
ほとんどの人々は、まだ、パーソナルコンピュータの存在すら認識していません。この業界の挑戦は人々にパーソナルコンピュータを学んでもらう手助けをするだけでなく、パーソナルコンピュータを使いやすくして、ここ10年の間に自転車と同じくらいに人間の精神の拡張であるパーソナルコンピュータを社会に普及させようとするものです。

もう一度この精神に戻って、先進国の需要で物を推し量るのではなくて、まず何もないという現実から広く多くの人にPCを普及させること目標とした方がよいのではないかと思うのである。
先進国の様々な思惑で、足並みが揃わずに実現が遅れて、子供のせっかくの可能性に歯止めがかかるとしたら、そちらの方が問題だと思う。
欲を言えば果てしのないものだが、今、自分にとって本当に必要なスペックとは?と考えるときに必ずし高スペックでなくとも良いと気付かされる。

一方、せっかく教育のために配ってもそれが生かされる前に食べるために転売される恐れもある。

あの100ドルノートPCが2006年後半に登場へ - CNET Japan
もう1つの不安は、毎日の生活にも不自由する家庭の児童に無償で渡したラップトップが、その後どうなるかという点だ。たとえば、ナイジェリア人の平均年収は1000ドルであるため、金に困った家庭が付与されたノートPCを処分するといった懸念がある。

Negroponteは「とにかく絶対に流通市場を作らせないことだ」とし、そのための解決策の1つとして、「数日間ネットワークに接続しないとマシンが機能しなくなる」ような仕組みが考えられると説明した。

この問題についてはこのCMなどを見ると切実な現実が伝わってくる。
それくらい地域によっては貧困問題の方が優先される現実がある。
よって教育という高い理想を掲げながらもこの問題は避けて通れない。
結局は両方から進めていかなければいけないのだろう。

2006年03月01日

●礼は誠に虚器に非(あら)ざるなり

今日から3月。
以前のエントリーにも書いたが、私は1年を2つに割って2年分過ごすことにしているので、一年の1/3が過ぎたことになる。
早いものである。
3月と言えば卒業の季節。
これには私自身には苦い思い出がある。

高校時代、この時期は受験で忙しく、大学の二次、三次の実技試験の対応に追われて、ついつい卒業式を欠席してしまった。
たぶん、出席しようと思えば出来たと思うのだが、自分自身の高校があまり好きでなかったこともあり、やっと解放されるという安堵感からか、軽く考えていたのだと思う。
しかし、これは大きな間違いであった。

現在も時々、高校の夢を見る。
決まって単位が危なくて今年は卒業できるかどうか、心配している夢だ。
それが当時の夢ならばいいのだが、この年になってまだ卒業を心配している夢なのだ。
もちろん、実際にはちゃんと単位も取って書面上では卒業したことになっている。探せば卒業証書だって出てくるだろう。
しかし、魂の上ではちゃんと卒業がなされていないらしい。
それで、教科書が見つからなかったり、体育着を忘れていたり、色々と悩ましい夢を見る。
ちゃんと式に出なかったと言うことで魂にケジメがつかずに、なにやら呪われ続けている印象である。

戦中の混乱期で卒業式に出席できなかったとか、マラソンでゴールを切れなかったなどを数十年ぶりに実現したというニュースをよく耳にするが、その気持ちが痛いほど解る気がする。
もしかしたら、その人達も夜な夜な自分のケジメのつかない魂の行き所に債悩まされていたのではないかとも想像する。
だから、もし、自分に子供ができて、入学式・卒業式等の行事に対して意味を見いだせず、不参加の意志を示すときは、あえてこの事だけはしっかり伝えられると思う。

「礼は誠に虚器に非(あら)ざるなり」とは、明治の軍人、谷千城(たにたてき)がその手記「隈山詒謀略」に書いた言葉で、こういった儀式事は何でもそれなりの意味があり、無駄ではないという意味である。

2006年02月27日

●子供とコンピュータとR指定

昨日、チャットで友人と話していて、3歳になる幼児がスタートボタンからアプリケーションを起動したり、ブラウザでオキニのページをブックマするのがマイブームだという。
すげぇなぁと思いながら、自分の甥っ子を思い出した。
そういえば、4年ぐらい前に同じようなことを書いていたことを思い出した。
結構、好きなメモだったので語尾などを少し修正するだけで当時の物をそのまま載せてみる。

060227

最近5歳になる甥っ子がよく遊びに来てせがまれてゲームをさせている。
もっぱらゲーム目当てだがコンピュータにはとても興味があるようで、叔父としても今から慣れさせて将来バリバリのHackerにするべく現在教育中である。
そして、是非MATRIXの秘密を暴き、救世主になって欲しいと願う馬鹿な叔父なのである。
(オィオィ、ドラ焼き食べた手でチタンボディに触るんじゃないっ!)

特に3Dシューティング物が大のお気に入りなのだが、先日、Quakeをちょっとプレイさせて叔父はふと気が付いて
「やべぇ、これじゃ竜ちゃん(甥っ子)サカキバラのみたいになってしまう !!」とあわてて終了した次第だ。
(救世主どころか連続殺人犯・・・)

以前はR指定など鼻でせせら笑っていたところがあったのだが、実際身に起きてみるとこれは教育上よくないと、とっさに本能のような物が働くから不思議だ。

それで替わりににもう少し教育上よろしい物として「Tomb Raider II」をプレイさせている。
「たいして、変わらないじゃないか !!」と突っ込みが多々ありそうだが、見るからにカタギでない悪人やネズミ相手に銃を撃ちまくる点においてまだ「まし」というものだろう。
画面も明るいし・・・。(カタギのネズミとはミッキーだろうか?・・・)

これが結構お気に入りらしく、遊びに来るたび「おネェちゃんのバンバンやるのがやりたい」とせがまれる。
端で聞いていた母親である義姉さんから怪訝な顔をされて慌てて「Tomb Raider II」を起動して「これですよ!これ!!」と説明をする小心者の義弟なのである。(冷)

もちろん5歳の子供に複雑かつ難解なララ・クロフトのキーストロークを扱えるはずもなく、膝に乗せて、動きはもっぱら私が担当、甥っ子はマウスクリックで悪人に向けて発砲の役である。

悪人の放つ弾丸をエージェント・スミスよろしく右へ左へかわす叔父(私)
激しい動きの中ねらいを定めて(実は自動照準)発砲する甥。
共同作業しつつ「おぉぉ!! これって、まるで「超人バロムワン」ぢゃん!!」と叔父は密かに往年の感動がよぎりった。
そこでは、叔父・甥の二人の意志がララ・クロフトに具現され、画面で所狭しと活躍していた。

しかし、その後ステージ探索で「右右、そこ曲がって、そっちじゃないってば!!」と仰せつけられ、実は単なる馬役のジィであったと気付かされた次第である。トホホ...

やはり子供というのは環境によって色々と可能性が広がるものなのだろうな。

2006年02月26日

●オーラ

私は普段は至って地味で目立たない人間である。
だからとてもとても、カリスマ的オーラとか芸能人的なオーラなどはまったく出せないし、そもそも、それらのスキルは持ち合わせていない。
しかし、一つだけ自由に出せるオーラがある。
それは「近づくんじゃねぇオーラ」である。

商業地などを歩いているととかく呼び込みやらアンケートやら手相占いやら「絵を買いませんか」等々...、とかく煩わしい人たちがまるでトラップのように均等配置で立っている。
そんな場所を子鹿のパンビのように飄々と甘い顔をして歩いてれば、即、捕まってしまう。
そこで、この「殺気」にも似たオーラを発動させてその危険を未然に回避するのである。

このオーラは別に目を合わせる必要はない。
むしろ目は合わせずに全身から漲る冷たい張りつめた空気で近づこうとするそれらの人々に速度低下およびダメージを与える。

ディアブロのナイトメアの防御の兄貴のオーラ「ホーリーフリーズ」オーラによく似ているかもしれない。

攻撃時に冷気ダメージ追加115-120、範囲内の敵に23-24の冷気ダメージ、敵の速度低下52%、半径13.3ヤード

これである程度、その手の手慣れたプロの人たちが近づいてくることは、まずない。
相手もプロだから未然に無駄だと「察する」のである。
以前にも友人と家の近所の観光地を歩いていて、すぐ後ろを歩いている友人にはすぐに声がかかるが、私には声をかけられることは無かった。
まぁ、彼女はかなり人当たりの良い印象の持ち主というせいもあるのだが。

しかし例外もある。
呼び込みの仕事をし始めた新人さんは先輩から「誰でも臆することなく声をかけろ」と言われているのだろう。
成果などに関係なく、まず声をかけると言うことを前提にして来るので、これはまるで「鉄砲玉」である。
私の「ホーリーフリーズ・オーラ」で一時の速度低下効果は確認できるものの、それでもけなげに声はかけてくる。
時々、こういう「冷気無効」や「カミカゼ」な相手がいて、これがとてもやっかいなのである。

そんなときは仕方なく視線を合わせて目からビームを出す。
これは、全身の「ホーリーフリーズ・オーラ」を視線に一点集中させて一気に照射する感じで、かなり強力な無言の「睨み」である。
この攻撃を受けて二言目をかけてきた人は、まずいない。
このダメージは大きいらしく二言目を吐こうとしても何処かうわずっていて押し黙ってしまう。
可愛そうな気もするが、私に声をかけたところで「絶対にそういうことには関わらない」ので、お互いの時間を有効にするためにも致し方がないのである。
それに、そもそもそんな詐欺まがいの仕事に手を染めているのも悪いのである。
むしろ、本人がそれで挫折して堅気の道を歩んでくれればそちらの方が本望である。

しかし、街中にはそんな迷惑な人たちばかりとは限らない。
ティッシュ配りとか試供品配りの嬉しい人たちも存在するのである。
花粉の季節など鼻を良くかむので、ティッシュはとても助かり重宝する。
それらの人の前に来ると、サッとこのオーラを引っ込めてもらえる体勢を作るので、我ながら現金なものだと思う。
こんなオーラでも実用的で便利だなぁと思う。

ただし、外でこのオーラを発現している所をたまたま友人・知人に見られて、その理由を理解されぬまま、二面性のある油断ならない鼻持ちならないヤツだと、人間性を疑われる危険性もあるので乱用は禁物である。

そして何よりも、常用すると無意識に発動しちゃって周りの人が誰も近づいてこなくなる危険性も多分にあるのだ。(もう遅いかもしれないけど...)
やはり春風のような暖かい親近感のあるオーラも出せるようになりたいと思うこの頃だ。

2006年02月22日

●字(あざな)とHN

三国志などの古典を読んでいると「字(あざな)」と言う物を目にする。
普通の姓名では姓は一族を表し、名はその個人を表すのだが、ではこの「字」とはなにかというと、

『中国で、男子が成人後、実名のほかにつけた名。実名を知られることを忌む風習により生じ、字がつくと実名は諱(いみな)といってあまり使わなかった。日本でも漢学者などが用いた。』
[大辞林第二版]

とか

1.中国で、男子が成年後実名のほかにつける別名。わが国で、平安時代、成人男子が人との応答の際に名乗る名。
2.実名のほかの名。また、あだな。
3.町村内の小区画の名。あざ。
[広辞苑 第四版]

などと書かれている。
この『実名を知られることを忌む風習』とは、古代中国で信じられていたある呪いに関係しているらしい。
この呪いを実行するには相手の実名、つまり姓名を知る必要があった。
なので他人に実名を知られてしまうと呪いに使われる可能性があったので恐れられていたというわけだ。
そこで普段のコミュニケーションの円滑にするためために実名以外にこの「字」が用いられるようになったという。

この辺の事は川村教授の特別講座 に詳しく書いてあるので興味のある方はぜひ読んでみてください。
以上、ここまではその講座の引用を要約させてもらったにすぎない。

そういえば「千と千尋の神隠し 」にもこの「実名」に対しての呪いと言うことが描かれていた。
同時に「実名」の大切さと言うことも描かれていた。

現代ではさすがに呪いなどを本当に信じる人は少ないだろうが、それでも「実名」を知られることを恐れることは同様だと思う。
しかし、恐れるのは呪いではなく、「実名」からさまざまな個人情報から引き出され、色んな影響があることが容易に想像できるので、極力、明かすことは避けているのだろう。
リアルなつきあいならば「実名」が明かされることは避けようがない。しかし、そもそもそれほどの広範囲ではない。
それに対してネットでは世界規模での広がりがあり、また不特定多数の誰とも解らない人を相手にするため「実名」の公表は避けたいのである。
そこで現代はネット上でお互いにコミュニケーションを取るために「字」の代わりに「ハンドルネーム」が用いられているのだと思う。

つまり、単なる「あだな」や「ニックネーム」とは違い、この「字」と「HN」が「災いを未然に防ぎ回避する」という、本来の意味合いで同様の使われ方をしている点が非常に興味深い。
「あだな」や「ニックネーム」は多分に他人から付けられる「受動的」な物に対して、「字」や「HN」は自らが付けて名乗るという「能動的」な相違もある。

私のHNは「SKYNET」である。
これは91年に勤め先のソフト会社の社内ネットワークで自身のユーザアカウントを取得する際にふと頭に浮かんで登録してもらって以来、ネットでの名前として使っている。
もちろんこれは私の好きな映画「ターミネーター 」から取ったもので、解る人には解る。
主人公のサラ・コナーの「NO FATE(運命ではない)」というメッセージも今だからこそ非常に意味深く感じられる。
このHNは外人にもウケがよい。
和訳すると「天網」となって「天網恢々疎にして漏らさず」にも通じる。
また「SKY」とは「空(くう)」とも読め、仏教の「空・仮・中の三諦」の一番最初の「空」の思想にも繋がる。
何かに大きな壁にぶつかったときにこの「空(くう)」の思想をもっていれば不思議と腹が据わり、変にこだわらず気負いなく物事が進められる。
さらには私自身「空(そら)」が好きで、よく雲をモチーフに写真を撮る。
これほど意味合いにおいても因縁深く、気に入っているので、過去15年使っていて1度も替えたことはない。

ネット普及で距離を気にせずに色々な人と知り合う機会が出来たことは誠に喜ばしいことだ。
しかし、それでも実名を明かすことはまったくと言っていいほど無い。
というか、よほどのことがないと明かせない。
うっかり実名を明かしてしまって、それによる様々な危険性を考えるとやはりよほどでないと明かせないのである。
その上でごくごく一部の親しい信頼の置ける人にだけは実名を明かすことはある。
知り合ってから少なくとも数年経って、相手の人柄が解った上で、十分に信用できる人ならば、物品等のやり取り等で必要に迫られれば明かすことはある。
しかし、ごくごく希なケースで、これも一つの信頼関係の証だと思う。

「三国志」の時代では呪われる事を恐れていたので、これは生死に関わる大事と捉えられていたのだろう。
現在はさすがに生死までいかないが、猫が腹を見せて掻かせるくらいの覚悟は必要だろう。
もっとも、友人曰く、私は「石橋をたたいて壊す」タイプの人間で、猫以上に用心深いのだが。

「三国志」は遠い昔の中国の話だが、古典的な風習が現在にも通じる点がとても面白い。
印籠などの「根付け」が「ストラップ」と名を変えて生きているように、その種の共通性を探すと色々出てきそうだ。

2006年02月21日

●相性

相性の定義は難しいが、私はまず「笑い」を基準に置いている。
「笑い」というのは実に奥が深い。
ちょっとしたジョークの一つにでも、様々なバックボーンがあり、それらをきちんと理解しないとなかなか笑えないものである。
私はよく、くだらない冗談を発することがあるが、反応は人それぞれである。
その内容が理解できない人、理解できても面白みを感じない人、理解が出来なくても笑っちゃう人、本当に理解して笑ってくれる人。
本当に理解してくれた人はその証にちゃんと他の譬喩表現を引用して切り返してくれる。
この瞬間、「あぁ自分のことを理解してくれて同じ物事におかしみを感じてくれる人なんだなぁ」と、安心感とともに幸福感も味わえる。

人間とは結局、他人に理解されることを強く望む生き物なのだろうと思う。
したがって、自分が自分の好きな部分をきちんと理解してくれて、その上で好意を抱いてくれることにはとても納得でき幸福な気持ちになれる。
ところが容姿だけで判断されると、これはこれで、褒められた程度に嬉しいのだが、なんだかデモンストレーションを中断されたような感じになる。
まだ理解してもらっていないし、まだこれから良いところをアピールするところなのに...と、ちょっと不満になり、不安になる。

「笑い」に話を戻すと、やはり笑いは大事だと思う。
四六時中一緒にいることになれば、良いときも悪いときもあるだろう。
同じ事におかしみを感じてくれる人ならば、一緒にやって行ける気がする。
ところが、片方が心の底から笑っていて、もう片方が冷めているという状態では長くは続かないと思う。
「笑い」とはその人の辿ってきた人生経験を反映していると思う。
何に対して面白みを感じるか、ツボにはまるかは人それぞれであろう。
相手が笑うからこちらも幸せな気持ちなることはあっても、その状態のままずっと行けるか?と言えば疑問なので、やはり同じツボを持った人の方がよいのだろう。

2006年02月19日

●怖いもの

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昨日に続いて、子供の頃の思い出を。
幼少の頃、何が一番怖かったかというと、なんといっても「ピエロ」であろう。
仮面ライダーに出てくる怪人のたぐいは全然怖くなかった。
そんな有りもしない怪物よりも「ピエロ」の方がよっぽど怖かった。
ピエロと言えば道化者で、一般的には子供に慕われる存在なのだろう。
だからこそファーストフードのマクドナルドのメインキャラも「ピエロ」のドナルドなのだが、私にとってはあのドナルドですら薄気味悪い存在に映ってしまう。
遊園地でよく見かける極彩色で彩られたピエロの装飾にもフレンドリーとはかけ離れた、どこか空恐ろしいイメージを持っていた。
なぜピエロが怖くなったのかと言われれば、決定的な理由はわからないが、たぶん江戸川乱歩とかその辺の世界観で不気味なイメージを刷り込まれたのだろうと思う。

この辺の感覚はなかなか伝わらないものだが、一番私のピエロに対する恐怖のイメージに近いものが具体的に映像化された物として、スティーブン・キング原作の「IT(イット) 」がある。
これをご覧になっていただければ、たぶんこの恐怖感のようなものを理解してもらえると思う。
この作品を成人してから鑑賞して幼少に受けたトラウマ的な怖さが蘇ってきた。

幼少の頃、真夜中にふと目が覚めて、みんなが寝静まっているときに、外で車が通る音がすると、決まって、ピエロがマツダの自動三輪 に乗ってやってきて私をさらってゆく妄想に怯えていた。
なぜマツダの自動三輪なのかはイマイチ説明が難しい。
しかし、ピエロの乗るそれはマツダの自動三輪でしかも色はベージュと決まっていた。
自動三輪が家の前に止まり、玄関の扉が開いてピエロが私を寝床からさらってゆくのである。
私は恐怖のあまり声も出ずに家族の者は決して目を覚まさない。
ピエロとマツダの自動三輪、それに笑い袋のような甲高い笑い、このコラボは想像するだけで恐ろしい。

だから、いがらしみきおの漫画「ぼのぼの」に出てくる「しまっちゃうおじさん 」を、ぼのぼのがあれほど怖がるのも痛いほどよく理解できるのである。

2006年02月17日

●幼稚園のおもひで

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最近、過去のアルバムをスキャナで通してデジタル化の作業をしている。
そこで、幼稚園のアルバムを見ているうちにそのころの記憶がよみがえってきた。

私の通う幼稚園は商業地のド真ん中にあり、自宅からも遠かった。
そこで行き帰りは車で送り迎えしてもらっていた。
幼稚園帰りに親の買い物につれられて付近の商店街やデパートを歩くのがとても好きだった。

遠くから来ているせいか自宅の付近には幼稚園の友達はおらず、幼稚園以外で会って遊ぶことはなかった。
幼稚園では特に仲の良い女の子が二人いて、よく遊んでいた。
クレヨンによる絵と油粘土の粘土細工が得意で、それらの作品を作っているときは本当にモテた。
先生に怒られて、塞いでいるときも、絵を描いていれば、友達が「SKY(仮名)ちゃんはこういう絵を描くんだから許してあげて」と、とても脈絡のないことだが、先生に嘆願してくれた。
まったく芸は身を助くであった。
粘土細工は一人、少しの量しか与えられず、それでは大作が出来なかった。
そんなときはみんなの粘土を少しづつ持ち寄ってもらってそれで大きな作品を完成させることが出来た。
そのため、1枚の粘土板では間に合わず2枚使用していた。
粘土細工の時間が終わったら各自のロッカーに作品をしまうのだが、私のだけは大きすぎて入りきらず外にさらされた状態のままいた。

大雪が積もったある日、幼稚園のバルコニーで雪だるまを作ることになった。
みんなは普通に雪を転がして雪だるまを作り始めていたが、私のその時のマイブームが「ピノキオ」でその雪像を作りたいとの野望を持った。
そこで普通の丸い雪だるまではなく、なんと2本足の足の部分から作り始めた。
しかし、雪は思いの外冷たく、すぐに手がかじかんで、2本の棒を作った時点で時間切れとなってしまった。
友人達のダルマを尻目に私の2本の棒だけがむなしく立っていた。
構想と理想は高いのだがなかなか時間内に仕上がらないというクセはこの頃からあったようだ。

特に仲の良い二人の女の子の紹介で、一人の男の子とも友達になった。
しかしこの子はパッとしない子で、お遊戯などでも鈍くさかったのでしょっちゅうダメ出しを出していた。
そんなときは決まって二人の女の子はその子をかばって私が悪者になってしまった。
子供ながらに理不尽な気がした憶えがある。
結局、二人の女の子の人気をその鈍くさい子と私の間で行ったり来たりしている感じだった。
何故そんな鈍くさい子がモテたのかは解らない。彼に母性本能をくすぐる何かがあったのかもしれないし、ただ単に二人の女の子のうちが近所で仲良くしてただけかも解らず、今となっては調べようもない。

ある日、「幼稚園にテレビのお兄さんがキターー!!」と友人達が興奮気味に話していた。
「おぉ!ついにうちの幼稚園にもピンポンパンが来たのか!!」と私も期待に胸をふくらませていた。
その当時の私の見ていた番組はなんていっても「ピンポンパン」だろう。
毎日「ピンポンパン」を見ながら、いつかは自分の番が回ってきてあの「ピンポンパン」に出られて、最後にあの木の根っこから好きなおもちゃをもらえるんだ。と信じて疑わず、その日を一日千秋の思いで待ちこがれていた。
それだけに、テレビのお兄さんが来る = 自分のピンポンパンへの出演出番が回ってきた。と考えていたのだろう。
ところが、幼稚園に来たソレは「ピンポンパン」のお兄さんではなかった。
友人達は知っている人らしく「XXXのお兄さんだ!!」とかなりヒート気味であるが、わたしは「ピンポンパン」以外はまったくその手の番組を見ていなかったため、みんなの興奮とは裏腹に、一人冷めていた。
どうせ呼ぶなら、「カータン」とか「新兵ちゃん」とか「お姉さん」とかはたまた仮面ライダー1号の「藤岡弘」とか、そのあたりの知っている人にしてくれればいいのにと園長を恨めしく思った記憶がある。

ちなみに、園長室にも忍び込んだことがある。
園内のたいがいの場所は見て歩いたのだが、園長室だけはいまだ謎であった。
園長が出入りするときにその隙間からチラッと中が見えることもあり、気になって仕方がなかった。
気になり出すともうその事だけで頭がいっぱいになり、お遊戯の時間を抜け出して、園長室に忍び込んだ。
ところが折り悪く園長が居たためすぐに見つかってしまった。
あとで幼稚園から親にも注意が行ったらしく、だいぶ怒られた。
しかし、肝心の園長室の中がどういう物だったかは記憶にないのであまり子供心をくすぐるような物がなかったのだと思う。
一度見学させてもらって好奇心が満たされればすぐに興味が無くなるものだったのに・・・。

同じ理由で帰りに買い物に連れて行ってもらう時に何か心の琴線に触れるようなものがあれば、いてもたってもいられないず、もうまっしぐらである。
そのため、しょっちゅう親元から離れて迷子になった。
迷子になると決まって近くにいる人の中から人相の優しそうなお姉さん(必ずお姉さん)にお願いして母親を捜してもらっていた。
探してもらうだけでなく、足が疲れたと言っておんぶもねだった。
優しいお姉さんなので、おぶってくれてその足で私の母親探しをしてくれた。
その背中から「そっちじゃない、たぶんこっちだとおもう」とかダメ出しを出していたのだから、いまらか思えばとんでもないガキだった。

そんなふざけた園児の私にもやがて天罰が下ることになった。
幼稚園では幼稚園の授業の他に放課後に英語教室をオプションで開いていた。
そこで、私は英会話を習いたい旨のことを親に話したが、父親の一存で、近くの剣道の道場に通わされることになった。
そこがまたとても礼儀作法に厳しいところで、私のようなふざけたガキには容赦なく平手が飛んできた。
周りが騒いでいると全員、その日は稽古付けてもらえず、1時間ずっと板の間で正座ということもあった。
最近で言えば「戸塚ヨットスクール」であろうか、そこは軍隊並みにかなり厳しいところだった。

もともと自分の希望する物ではなかったため、当初から消極的で結局それから10年くらい通わされたがちっとも強くならなかった。
ただ、身体だけは鍛えられたのでこれといった病気もせずに、現在に至るまで、入院した経験はない。
そういう意味では感謝している。
ただ、逆に普通の遊びをすることが無く、当時の流行の野球などの球技はまったく不得意になった。
なによりも、剣道はスタンドプレイなので、そのせいで今でもチームプレイが不得意になったように思う。

●デザインについて

デザインについては20代の最初に就職した企画会社で仕事をするうちにたたき込まれたように思う。
学校で学んだことはあまり役に立たなかったが、仕事をして実際にクライアントとのやり取りの中の方が色々と学ぶことが多かった。
その頃、夏目漱石の小説を読んで自分のデザインの信条のような物を得て、以来それを基本にしている。

久しぶりに当時に書いた手帳のメモを読んだのでそのまま書いておこうと思う。

デザインの本質とは
今まではデザインとは生み出す物と考えてきたが、ここにきてデザインとは掘り出す物と解ってきた。そもそもグラフィックにしても立体にしてもデザインという物はある取り決めがあり、その枠の中で最大限にそれに合う物(形・質・量・色など)を掘り出す作業こそデザイナーのなすべき事であり、それでこそ道理にあったデザインがなされると思う。
それは既に元からそこにあるべくしてある物で、それらを無視した物は所詮、我見の物のように思われる。
経験のないうちは、何でも自分の数少ない得意な土俵に持ち込もうとするがこれは間違いである。
案件ごとにある要素をクライアントとの打ち合わせや分析から、謙虚に見てゆきそこから掘り出すことが大事である。
そこには自分の我見が入る余地などはない。
ミケランジェロの曰く「私は大理石の中から像を見つけ出し、余分な部分を取り除いているだけだ」というものがこれである。
巨匠ですら素材に対し謙虚なまなざしを向け献身的な仕事をしているのにましてや我らの仕事をや。
また、夏目漱石の夢十夜という作品の中、第6夜に

運慶(うんけい)が護国寺(ごこくじ)の山門で仁王(におう)を刻んでいると云う評判だから、散歩ながら行って見ると、自分より先にもう大勢集まって、しきりに下馬評(げばひょう)をやっていた。
山門の前五六間の所には、大きな赤松があって、その幹が斜(なな)めに山門の甍(いらか)を隠して、遠い青空まで伸(の)びている。松の緑と朱塗(しゅぬり)の門が互いに照(うつ)り合ってみごとに見える。その上松の位地が好い。門の左の端を眼障(めざわり)にならないように、斜(はす)に切って行って、上になるほど幅を広く屋根まで突出(つきだ)しているのが何となく古風である。鎌倉時代とも思われる。
ところが見ているものは、みんな自分と同じく、明治の人間である。その中(うち)でも車夫が一番多い。辻待(つじまち)をして退屈だから立っているに相違ない。
「大きなもんだなあ」と云っている。
「人間を拵(こしら)えるよりもよっぽど骨が折れるだろう」とも云っている。
そうかと思うと、「へえ仁王だね。今でも仁王を彫(ほ)るのかね。へえそうかね。私(わっし)ゃまた仁王はみんな古いのばかりかと思ってた」と云った男がある。
「どうも強そうですね。なんだってえますぜ。昔から誰が強いって、仁王ほど強い人あ無いって云いますぜ。何でも日本武尊(やまとだけのみこと)よりも強いんだってえからね」と話しかけた男もある。この男は尻を端折(はしょ)って、帽子を被(かぶ)らずにいた。よほど無教育な男と見える。
運慶は見物人の評判には委細頓着(とんじゃく)なく鑿(のみ)と槌(つち)を動かしている。いっこう振り向きもしない。高い所に乗って、仁王の顔の辺(あたり)をしきりに彫(ほ)り抜(ぬ)いて行く。
運慶は頭に小さい烏帽子(えぼし)のようなものを乗せて、素袍(すおう)だか何だかわからない大きな袖(そで)を背中(せなか)で括(くく)っている。その様子がいかにも古くさい。わいわい云ってる見物人とはまるで釣り合が取れないようである。自分はどうして今時分まで運慶が生きているのかなと思った。どうも不思議な事があるものだと考えながら、やはり立って見ていた。
しかし運慶の方では不思議とも奇体ともとんと感じ得ない様子で一生懸命に彫っている。仰向(あおむ)いてこの態度を眺めていた一人の若い男が、自分の方を振り向いて、
「さすがは運慶だな。眼中に我々なしだ。天下の英雄はただ仁王と我(わ)れとあるのみと云う態度だ。天晴(あっぱ)れだ」と云って賞(ほ)め出した。
自分はこの言葉を面白いと思った。それでちょっと若い男の方を見ると、若い男は、すかさず、
「あの鑿と槌の使い方を見たまえ。大自在(だいじざい)の妙境に達している」と云った。
運慶は今太い眉(まゆ)を一寸(いっすん)の高さに横へ彫り抜いて、鑿の歯を竪(たて)に返すや否や斜(は)すに、上から槌を打(う)ち下(おろ)した。堅い木を一(ひ)と刻(きざ)みに削(けず)って、厚い木屑(きくず)が槌の声に応じて飛んだと思ったら、小鼻のおっ開(ぴら)いた怒り鼻の側面がたちまち浮き上がって来た。その刀(とう)の入れ方がいかにも無遠慮であった。そうして少しも疑念を挾(さしはさ)んでおらんように見えた。
「よくああ無造作(むぞうさ)に鑿を使って、思うような眉(まみえ)や鼻ができるものだな」と自分はあんまり感心したから独言(ひとりごと)のように言った。するとさっきの若い男が、
「なに、あれは眉や鼻を鑿で作るんじゃない。あの通りの眉や鼻が木の中に埋(うま)っているのを、鑿(のみ)と槌(つち)の力で掘り出すまでだ。まるで土の中から石を掘り出すようなものだからけっして間違うはずはない」と云った。
自分はこの時始めて彫刻とはそんなものかと思い出した。はたしてそうなら誰にでもできる事だと思い出した。それで急に自分も仁王が彫(ほ)ってみたくなったから見物をやめてさっそく家(うち)へ帰った。
道具箱から鑿(のみ)と金槌(かなづち)を持ち出して、裏へ出て見ると、せんだっての暴風(あらし)で倒れた樫(かし)を、薪(まき)にするつもりで、木挽(こびき)に挽(ひ)かせた手頃な奴(やつ)が、たくさん積んであった。
自分は一番大きいのを選んで、勢いよく彫(ほ)り始めて見たが、不幸にして、仁王は見当らなかった。その次のにも運悪く掘り当てる事ができなかった。三番目のにも仁王はいなかった。自分は積んである薪を片(かた)っ端(ぱし)から彫って見たが、どれもこれも仁王を蔵(かく)しているのはなかった。ついに明治の木にはとうてい仁王は埋(うま)っていないものだと悟った。それで運慶が今日(きょう)まで生きている理由もほぼ解った。

とある通り、素材の中から彫りすぎず、掘り残さず、綺麗に「物そのもの」を現すことこそ我々の使命なのではないかと思う。

改めて見直してみると当時からあまり進歩していないなぁと反省するこの頃である。

2006年02月16日

●元・アイドル

元アイドルの男性につきまといストーカー行為を繰り返した43歳女を逮捕
元アイドルの男性につきまといストーカー行為を繰り返した43歳の女が、警視庁に逮捕された。
会社員の宮阪康江容疑者(43)は、ジャニーズJr.の元メンバーで、会社員の男性(25)の自宅マンションに侵入し、1月、建造物侵入の現行犯で逮捕された。
宮阪容疑者は「会社の仕事が面白くなく、彼の顔を見て、元気をもらいたかった」と供述している。
2006/02/16 06:58

元アイドルと聞いて先日のエントリーで書いた数少ない「城ミチル系」か?とちょっと期待したのだが、
ジュニアですか...そうですか....やっぱり。

060216

昔、仕事帰りに渋谷のNHKホール前の並木道の石畳を歩いていると、時々左右に女性陣が列をなしていることがあった。
アイドルの追っかけである。
追っかけとは言っても、そこには暗黙(もしかしたら明文化された)了解があるらしく、左右にビッシリと1列に並んでいて、決して中央に群がることはない。
場所取りも序列が決まっているのだろう、争うことなく静かにNHKホールの出口に視線を向けてじっと待っていた。
その静かさがまたちょっと不気味で、そこには期待と嫉妬と他人のフライングに対する警戒とそんな複雑な感情が渦巻いていたように思う。

結構好きな道なのでそんな事情などで回り道をしたくはない(第一回り道をするとかなりのロスになるのだ)で、しかたなく左右の異様なオーラの渦巻く中を歩いた。
その時の私は昔見たアニメの「一休さん」のオープニング、橋の中央を歩くシーンを思い出していた。
しかし小心者の私には一休さんのように「気にしない、気にしない」と楽天的に歩くことも出来ず、ややうつむき加減でいつもより足早に歩みを進めるのであった。

もっとも左右の激しい渦巻きの中を割って進んでゆくのだから、これは一休さんというよりも、むしろ「モーゼの海割り 」かもしれない。

2006年02月15日

●喫煙・禁煙

英名物のパブを全面禁煙にする法成立
イギリスで、名物のパブを全面禁煙とする法律が、14日、成立しました。来年の夏に施行される予定です。

ビールとたばこで語り合う、イギリス文化の象徴とも言えるパブも、世界的な禁煙の流れには、逆らえなかったようです。

政府は当初、食事を出さないパブでは喫煙を許可するなど、例外を認める提案をしました。ところが、与党などから例外を認めるべきではないとの反発が強かったため、ブレア首相は、例外なしの全面禁煙、会員制クラブは例外、食事を出さないパブは例外、という3つの選択肢を提示。しかも、議員による自由投票としました。そして、投票の結果、最初の選択肢、全面禁煙の法律が成立しました。

「喫煙は体に悪いですよ、だから、私には問題ないですよ」「全然構いませんよ。むしろ、たばこを吸えない場所に行きたいですよ」(パブの客は)

喫煙と肺ガンの因果関係は国際的な常識とされており、日本の居酒屋についても全面禁煙を検討する時期に来ていると言えます。(15日10:24)

世界的な禁煙の流れになって、喫煙者には肩身が狭くなってきているんだろう。
私は煙草が嫌いだが、喫煙したい人は迷惑がかからないところで吸う分には個人の自由なので目くじらを立てることはない。

ただ、街で歩いているときに目の前で歩きながらスパスパやっている人を見ると
「おまいは機関車トーマスかいっ!」というツッコミとともに後頭部に斜め35度から蹴りを入れたくなる衝動に駆られる。
おろし立ての服などを着ていた日には臭いを付けられるのが嫌で、急いで追い越してゆく。

また外で楽しく食事をしている最中に、分煙でない所などで近くに座った人がごく当たり前のように吸っているときがある。
こちらの方は逃げ場もなく、早々に食事を済ませてその場を離れるしかない。
知人や友人ならばまぁその人の楽しみをおもんぱかって、不機嫌になることはないのだが、これが全くの赤の他人にとなると、何の権利があって人の楽しい食事に水を差すようなことが出来るのかと正直憤慨する。

私がもっとも嫌うのはこういうマナーの悪い喫煙者だ。
マナーの良い人は嫌煙者がいると言うことを意識して、さりげなく目配りをして気をつけているのがよく解る。
煙草に限らず無神経な人というのは何事において配慮が足りないのである。

実は私は最初から自分には合わない物だと決めつけて、生まれてこの方、一度も煙草を咥えたことすらない。
それくらい縁がないので、喫煙者の気持ちは全く理解できない。
しかし、身内や親しい友人にも喫煙者いるので嫌いとはいえ無理解でもいられない。
体に悪いとは思うのだが、こればかりは縁が切れないと止められないのだろうと思う。

止めて欲しいとは思いつつも、その人の禁煙に際しての苦しみを想像すると同情こそすれ、決して嫌がることはない。
むしろ、こちらに配慮して我慢されている方がよっぽど辛いのである。
結局は喫煙者・嫌煙者の理解と思いやりによる双方の歩み寄りが大事だろう。

したがって、社会的な流れに乗って居丈高に嫌煙を主張する無神経な人間も嫌いである。
喫煙者は「ニコチン中毒」という立派な病気なのだから、国の煙草増税にも反対である。
もし煙草の増税をするのであれば「ニコレット」や「禁煙パッチ」などの禁煙プログラムに補助金を出すべきだろう。
今のままでは片手落ちで単なる税収狙いと言うことが見え見えである。

それにても煙の少ないお線香があるくらいなのだから煙の少ない煙草があっても良いと思うこの頃なのだ。

2006年02月14日

●著作権

漫画をネット送信で著作権違反初摘発、3人を逮捕
著作権者の承諾を受けないまま、漫画をインターネットで送信していたとして、福岡県警生活安全総務課などは14日、著作権法違反容疑で東京都大田区の漫画喫茶経営の男(52)ら3人を逮捕した。

コンピュータソフトウェア著作権協会によると、ネットを利用した漫画の著作権違反事件の摘発は全国で初めて。

県警は男が経営する大田区蒲田の「マンガネット喫茶いちご」「SSKインダストリーカンパニー」を家宅捜索し、パソコンや漫画本などを押収した。調べでは、男らは昨年7月以降、蒲田の事務所で「こちら葛飾区亀有公園前派出所」(秋本治さん作)などの人気漫画9作品を、無断でコンピューターに記録し、男が管理するホームページ「464(よむよ)・jp」にアクセスした利用者に送信した疑い。

会員の申し込みは約1000件、月平均で約330万件のアクセスがあったという。

このサイトは以前に友人から紹介されて訪れたことはある。
たしか登録もしたのだが、一度もまともに閲覧できなかった。
なにかコツでもあるのだろうが、目的にたどり着くまで非常に時間がかかる感じだ。
でも、当初から著作権問題は大丈夫なのだろうか?と心配していたが案の定、捕まった。
聞けば漫画喫茶の経営者だという。
そんな素人じゃないんだから著作権のことなど知らないわけでもないだろうに、無料だからと嘗めていたとしか思えない。

漫画や小説のコンテンツがネット経由で配布されることについては私は賛成である。
すでに音楽については店を介さず、好きな曲だけダウンロード販売も可能になっているし、小説は著作権の消滅した物などを扱う青空文庫 などよく利用している。
音楽でもクラッシックやジャズなどで著作フリーの演奏もあり、時々落として聴いている。
そういうすでに評価の決まっているスタンダードなものであらゆる知識の規範となる物は国や自治体で買い上げて広く配布しても良いと思っている。
図書館が一つの実現例だが、図書館に赴かなくてはならず、人気のある物はしばし貸し出し中になっている。
貧乏だから学習できないという環境ではなく、お金をかけなくても意欲さえあればいくらでも学ぶことが出来るそんな社会が理想的だと思う。

漫画や雑誌もiTunesのような管理の出来るViwerをまず作り、1冊100円程度でネット販売して欲しいくらいだ。
むしろ書籍の形を取らなければ印刷の必要もなく、地球の自然環境にも優しいので大いに歓迎したいところだ。

著作権云々に目くじらを立てるつもりはないが、個人での利用ならばいざ知らず、公の不特定多数が閲覧できる場所での他の著作物の無断公開はまずいと思う。
たとえ個人のサイトでももちろんだが、もしサイトにアフィリエイトプログラムバナーなど設置していたら「お前は他人のコンテンツを盗んで金儲けをしているのか!?」と、穏やかならぬ感情がわき起こってくる。

そりゃ、パクれば楽であろう。
他人が心血を注いで産み出した物をいとも簡単に我田引水で盗んできて、自分のサイトで「さぁ、コンテンツでござ~い」としたり顔で並べさえすればよいのだから。
何の創造性のないヤツでも盗んでくればそれなりに形になるし、(そりゃ他所ではお金を取れるくらいのコンテンツだから魅力的なのは当然だろう)
自分の才能の無さや創造性の無さに対する引け目も上手く隠してくれる。
逆に言えばそんなドーピングまがいの空虚な満足感に浸っているから、いつまで経ってもろくなデザインも文章も音楽も産み出すことが出来ないのだろうと思う。
創造性や才能がないという現実を真摯に受け止められれば、普通ならばそこから一歩でも踏み出そうできるはずだ。

ここまで辛辣に書くのも私自身の著作物に対しても無許可で使われていたり、劣化コピーされていたりすることがあるからだ。
私の場合は別にお金を要求するつもりはないし他人から見れば大したコンテンツでもないのだが、一生懸命作った自分のコンテンツが劣化コピーされて世に出回ることについては許せない気持ちになる。
使用するならば使用するで一言断ってもらえれば、それに合わせた加工もしないこともないのだが、たいがいは事後報告で、しばしば気が沈むほどの劣化がしっかりとなされている。

同じパクるにしても、オリジナルの思想やデザインの肝をちゃんと理解していないとその発展系やさらにはパロディも創り出すことは出来ない。
(パロディに関してはそもそもオリジナルの肝を理解していないと笑いとして成立が不可能なので、これはこれで創造だと認識している。)

しかし、たいがい他人の著作をパクッて平気な人間というのは自らのオリジナルのコンテンツを創造できないたぐいの人が多いように思える。
自分で創造する苦労も経験も無いため他人の作った物の大事な肝やそこに流れている思想も当然理解できず平気で劣化させるし、価値も解っていないから安易にパクって涼しい顔をしていられるのだろう。

ここ10年くらいでネットとPCの普及で沸いてきたこの手のナンチャッテクリエイターにはほとほと閉口させられる。
物の創作とツールの使い方の習得を混同しているため、それらのナンチャッテが吐き出す物を見ると「あぁこのツール(プラグイン)を学習したので使ってみたかったのね」という事がアリアリと見えすぎて、そこにはその必然性も思想のかけらも感じることができない。
それらはツールの能力に振り回された趣味の悪い見るに堪えない物でしかない。

結局はツールなどは物を作り出す道具でしかない。
いくら高性能な物でも、その使い方によっては美しくもなり、見るに堪えないしろものにもなりえる。
私の尊敬する田中一光さんというデザイナーは単純なグラフィックでも色で攻めるときに
「ギリギリまで彩度を上げいって、これ以上やると下品になってしまう、その寸止めで止める。この寸止めの見極めが大事なのである。」とおっしゃっている。
巨匠ですらここまで神経を使いながらギリギリの選択をされているのに、ナンチャッテはツールの爆走するまま、寸止めどころか遙か彼方まで逝ってしまって顧みることはない。
良い万年筆を使ったからといっても誰もが巨匠作家になれるわけでもないのである。

写真でも詞でもイラストでも文章でも何でも良い。
たとえ稚拙であっても自分が一生懸命に創り出した物だけを公開してそれに共感してくれる人がたとえ少数でもいればそれはそれで素晴らしいことだと思う。
そこで自分自身が果たしてどれだけのオリジナルのコンテンツを創り出せるかを客観的に見つつ、他人の著作権に対する敬意と感謝を忘れないことが大事だろう。

それが出来なければ単なる盗人以外の何者でもないと思う。

2006年02月13日

●地下鉄のにほい

おそらく私が生まれて初めて乗った地下鉄は丸ノ内線であろう。
後楽園へ遊びへ連れて行ってもらうときに池袋から乗ったのが最初だと思う。
たいがい電車に乗ると靴を脱いで窓向きに座席に座って(膝立ちに窓にしがみついて)外を飽きもせずに眺めていた。
ところが、地下鉄ではいくら目をこらしてもそこには漆黒の闇の中、ほのかに殺風景なコンクリの壁が見えるだけである。
どうせなら豊島園のトワイライトゾーンのように窓の外に見せ物でも設けてくれれば毎日乗る人も楽しめるのにと子供心に考えていた。

当時の丸ノ内線はボディが妖しいくすんだ紅色であった。
この妖しい紅色を見るとなぜかロッテガムの「イブ」 を思い出してしまう。
このガムは香水の香りを楽しむ女性向けのガムで厚紙で作られたゴールドのパッケージにこの紅色で商品名が印刷されたちょっと普通のガムとは一線を隔てたものだった。
価格も普通のロッテガムの1.5倍程度だったろう、ちょっと背伸びしたいときに買ってもらっていた。
たぶん、後楽園に連れて行ってもらえるという「特別」な行事と、この「背伸び」の晴れがましい印象とが記憶の中に妖しい紅色の共通点で結びついているのだろう。
そのせいか、今でもこの妖しい紅色を見ると胸騒ぎに似た感覚をおぼえる。

地下鉄には路線ごとに独特なにほいがあると思う。
有楽町線には有楽町線の丸の内や銀座線にもそれぞれ独特のにほいがある。
地上で走っている路線では全く気にならないのだが、地下鉄だと強く印象づけられるのは、やはり地下だから、にほいに逃げ場がないためであろう。
しかし、路線ごとに固有のにほいがあるのは何故か解らない。
乗る客層の発するにほいが長年にわたって積み重なったものだろうか?
それともその土地の地盤特有のにほいだろうか?
だが、現在では路線ごとの客層でそんなに識別できるほどのにほいはあるとは思えないし、地盤特有とは言っても路線は長く続いていて場所によっては路線が重なっている。
にもかかわらず路線ごとにどの駅で降りても個別のひほいが存在するのである。
これは不思議としか言いようがない。

ちなみに私は銀座線のにほいが一番好きである。
特に世間で言う良い香りではない。金属が混じったような熱気と湿度がこもったような複雑なにほいである。
最近はあまり利用することがないが、今でもたまに乗っても「あぁ、落ち着くなぁ」となんだか馴染みの場所に帰って来たような懐かしい気持ちにさせられる。
この銀座線のにほいも良い思い出と結びつく物の一つなのだろう。

2006年02月12日

●好き嫌い

前にも書いたが、私は好き嫌いが激しい。
ただ、自分の好き嫌いを他人に押しつける事はもっと嫌いなので、せいぜい何故、好きor嫌いか説明する程度である。
好き嫌いについては極めて個人的な判断領域なのでその人の自由で良いと思う。
ゲイツOSが好きで好きでたまらない人はゲイツOS使えばいい。
ただし身内については楽観視してはおれず、これはかなり腰を据えて「説明」する必要があった。

96年頃、実家でもPCが必要になったとのことで、当時、ソフトウェア開発会社にいた私は実家の家族のために安くてパフォーマンスの良いセットを組んだ。
家庭で使う想定で出来うる限りに利便性を考えた環境も構築した。
我が実家の方はこれで一安心と思っていたが、数年後に訪ねてみると、なんとゲイツOSが台頭しているではないか!
なんでも妹に熱心にゲイツOSを薦める輩がおり、社会的な風潮も手伝って長いものには巻かれろ的に導入を決めたらしい。
導入したばかりなので、今すぐに「説明」したところで解ってもらえるとは思えず、とりあえずそのまま放って置いた。

それからまた数年が経ち、最初はそれなりに快適に使えていたゲイツOSも様々なソフトのインストールやら月例パッチやらを繰り返しているうちに、激重となり、不安定になった。
加えてゲイツOSもVer upするうちにメモリやHDDの容量不足などのマシンの基礎体力の問題が出てきた。
この機だろうと、実家のブロードバンドの導入の時期も合わせて、セキュアな事情やら、そもそものOSの歴史と文化やオープンソースの正当性についてまで、とくと「説明」した。
最初は渋っていた妹も、私が目の前で繰り広げるPCの快適な環境がサクサク動く様を見せつけられるにつけ、今までのゲイツOSの不安定さと画面表示の醜さを思い合わせて自らの誤りを悟ったのだろう。
感涙にむせび泣きながら「もう二度とゲイツOSを使うことはありません!」と誓いを立てたというのはもちろん嘘だが、
普通に決心して、結局マカーノートを購入した。

ようやくこれでまた実家からゲイツOSを駆逐することに成功した。
しかし、これで安心はしてはいられない。
いつ何時またゲイツOSの伝道師が我が家を訪ねてくるかも解らない。
そこで妹にゲイツOSを薦めた本人にも数年かけて「説明」して、見事マカーに改宗させた。
今では彼も立派なマカーである。
銀座のストアーにもよく足を運んで、セミナーなども受講しているという。
人間、誠意を持ってじっくりと話をすればちゃんと伝わるものである。
そして結局、正義は勝つのである。

2006年02月09日

●タイプ その2

男性 が女性に対してタイプを(積極的に)尋ねないのには質問自体が無意味だと解っているからである。
好みのタイプを聞いて答えてもらったとしても、あくまでもその時点での好みでしかない。
「女心と秋の空」と言う例えがあるくらい、移り変わりが激しく定まらないように思える。
なかにはそんなことはないと強く反発する方もおられるだろうが、私が見てきた限り多くはその傾向にある。
ある時はフリオ・イグレシアスだったり、またあるときは光ゲンジの諸星であったり等々。
その当時、ちょっとでも悪口でも言おうものなら激しく反発に会うのだが、時が流れてその話題が出ても当人ですら、そんなことがあったのか。とすっかり忘れた様子でケロッと答える。
それどころか乗り換えた現在のマイブームの「布教」に積極的で、話半分で聞こうものならば「人の話を聞かない」とこれまた罵られる。
そんな物を聞いたところで、今日の天気を詳細に解説してもらっているみたいで「ロシアから来る寒冷前線が南下してうんちゃらかんちゃら...」明日になれば明日の天気の詳細な解説を聞かねばならず、これでは全く不毛に感じてしまう。
これが前のブームと何か一貫した共通点でも見つけられれば、それなりに納得がいくのだが、私の見方が浅いのか、どうしても見つからない。

これが男性の場合だとそうではない。 原節子好きはあくまでも原節子好きだし。吉永小百合好きはあくまでも小百合ストであり続けて全くブレがない。
だからこそ、普遍のデータベースの項目として成り立つわけなのだろう。
女性の中にもそういうブレない人もいるかもしれないが、考えてみて未だに部屋に「城ミチル」のポスターとか貼ってあったりしたら、これはこれで問題アリなんじゃないかとも思ったりする。(あくまでも私見です。)

この基本的な部分での男女の違いとはどこから来るのだろうという疑問に、ある哲学を専攻した先輩が答えてくれた。

そもそも太古の昔に狩猟時代にさかのぼる。
男は獲物を求めて遠くまで何日もかけて狩りに出かけるとき奥さんを想いながら、それを糧に何日も辛い旅を続けて無事に帰ってこようと頑張ったらしい。
でも、狩りには危険がつきもので不幸にして獲物に返り討ちに遭うこともあり、その時は同じ人を想いながら死んで逝ったという。
女の方も同様に想って待っているが、ある期間を過ぎるともう旅先で死んだことを悟り、その時は子孫繁栄のためサッサと身を乗り換えるため別の人をこれまた真剣に想えるようになったらしい。
そんな太古からのDNAに刷り込まれた習性だからどうしても基本的な点で違いが出てしまうんだよ、と教えてくれた。

本当か嘘かは解らないけど、その時は何となく納得した憶えがある。

2006年02月08日

●タイプ

十中八九、知り合った女性から聞かれる質問がある。
「SKY(仮名)さんはどんな人がタイプなの?」
話ののっけから女性にその手の質問をする男は周りに見たことがので、これは女性にとって挨拶代わりのような物なのかもしれない。
もしかしたら、女性の中でのデーターベースの共通フォーマットにこの「タイプ」という項目が重要な位置を占めているのではないかとも考えてしまう。
女性同士の会話で
「○○さんは萌え系の清楚科よ」とか、「××さんはワイルド系のロリ科だったのよぉショックだわ」とか普通に交わされているのかもしれない。

何度も聞かれる質問ながら、私はハッキリと「これ」と説明できる物はなかった。
外見やら仕草やらから説明してもどうもありきたりの回答しか出せずにうやむやで自分としても納得がいかなかった。
5~6年ほど前であろう、同じような質問をされて、何とか正確に答えようと苦慮したのだけど、それでもこれと言って明示できる物が見つからなくてしばらく考えていると
「じゃあ芸能人でこう言うのがタイプという人がいれば」と助け船を出してくれた。
それなら楽なので、日頃好ましいと思える何人かの人を上げてみた。
上げたところで自分自身、この人達の共通点も解らずにこういう感じって漠然とした物だった。
ところが、さすが女性である。
言った本人ですら共通点が解らず苦慮しているのに、すぐさま、たった一言
「結局、SKY(仮名)さんは裏のない女の人が好きなのね」
と言われたのだ。
この一言で私は目から鱗が落ちる思いがして驚愕した経験がある。
それ以来好きなタイプを聞かれると
「裏表のない(なさそうな)人が好きです。」とハッキリ答えられるようになった。

昔から好き嫌いは激しい方で、嫌いな物にはテコでも動かない。
親もそんな私の頑固さにはほとほと手を焼いたようである。
物事についても好き嫌いがハッキリしていて、嫌いなものは身の回りに置かないし、不本意な嫌いな仕事をやらなくてはならないときは体が拒否反応すら起こす。
人物に対しても同様である。
世辞の一言でも言えれば良いのだろうが、思ってもみないことは口に出せないし、嫌いな相手と一緒にいるのさえ苦痛でたまらない。
我ながら損な性格だとは思うが、逆に裏表を使い分けてのうのうと渡ってゆくタイプに私は嫌悪感を感じてしまう。
一緒にいるときには、相手の悪口を口汚くののしる割には、いざ話題の本人の目も前にすると、普通に会話したり、お世辞を言ったりすらする人がいる。
社交上挨拶くらいは仕方がないにしても、世辞まで言うことはないだろうと、その嫌いな相手の嫌な部分が世辞を言う側にまで伝染してくるようで一気に冷めてしまう。
逆に、社会的に不器用でも正直な態度が取れる人には、惚れもするし、出来うる限りの応援もしたくなる。

昔、仕事で直属の人を自らが選べる人事権のような物を持っていたとき、自分を売り込んでくる何人かの人がいたが、それらは全て外した。
経験上、そういう人に任せても口ばかりで仕事の内容が甘かったり荒い事が多かったからだ。
どちらかというと寡黙で目立たないそれでいてコツコツ物事をやってゆく人にお願いした。
おかげで極めて潤滑に回して行けたと思う。
ただし、これは私の部署の問題で、営業など所によっては社交的なタイプが良いこともある。
要は適材適所なのだろう。

2006年02月07日

●仮面ライダーの変身ベルト

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仮面ライダーの変身ベルトをリアルに再現した大人のためのおもちゃが登場

かつて一世を風靡(ふうび)した仮面ライダーの変身ベルトがリアルに再現され、大人のためのぜいたくなおもちゃとして発売されることになった。そのあまりの出来栄えに、初代ライダーも大興奮した。
1971年の放送以来、国民的大ヒットを記録した特撮ヒーロー番組「仮面ライダー」。
変身に使われる仮面ライダーの変身ベルトは、当時の子どもたちのあこがれだった。
この変身ベルトが、仮面ライダー誕生35周年を記念して、リアルに再現され、発売されることになった。
値段は3万1,500円で、ターゲットはリアルタイムで放送を見ていた30代から40代の男性。
開発したのは、自らも仮面ライダーファンという「バンダイ」の斉間伸雄さん。
斉間さんは「技術的なことでいうとLED、光るフラッシュLED。回転する残像で、目の錯覚の残像で風車を再現している」と話した。
この商品を1号ライダー・本郷 猛を演じた藤岡 弘、さんに見てもらうと、「僕の青春のメモリーというか思い出が、青春がよみがえるというか、熱くなりますね、気持ちがね。あの当時は命懸けでトライしていたから」と絶賛していた。
そして、「時代的に親子の会話が少なく、家族のきずなが断たれている...。これをもとに家族のきずなが深まって、会話が増えるといいですね」と話した。

すごいなぁ、実際に撮影に使われていた物は回転するときは手書きのアニメだったのに、こちらはその雰囲気を出したまま本当に光って回るんだもんな。
音まで出ている。
3万1,500円とはこの手の物としては良心的な価格設定だろう。
バンダイ が本気で売り出していることが伺える。
小学時代に売り出していた物は買ってはもらえず、持っている人はクラスでも1人か2人くらいしかいなかった。
そういう当時欲しくても手に入れられなかった層がターゲットなのだろう。
なんだか幼児期のトラウマ克服の精神治療みたいだ・・・。

ただし、私の場合は普段使える実用品でないと欲しいと思わないたちなので、店頭で手にとって光らせて回らせて、ニヤついて終わりだろう。
これが映画「TombRaider 」でアンジュリナー・ジョリーが着けていた髑髏バックルのベルトならば普段でも使える?ので欲しいかもしれない。

2006年02月04日

●服飾

洋服にはあまりお金をかける方ではない。
基本は暑さ寒さがしのげればそれでよいと思っている。
こだわりと言えば、なるべく無地な物で好みの色と生地が丈夫でしっかりした物くらいか。
肌に直接触れるものは化繊はなるべく避けている。
ナイロンは軽くて安くて丈夫なので、肌に触れない上着などでは最近は好んで選んでいる。
あと心がけていることは他人に不快感を与えないようにすることである。
不潔な印象で相手を嫌な思いにさせたり、派手な物で場違いな印象を与える物は避けている。
選ぶ基準と言えばまぁこれくらいだろう。

スーツ系のビッシリした物は少し古くなっただけでみすぼらしくみえるし、少し汚れてもメンテナンスにドライクリーニングに出さなければならず、やっかいな代物だった。
汚さぬように心がけていても、満員電車で擦られ、しわが寄り、街を歩けば煙草の臭いを付けられ、雨に濡れればそれなりに汚れてしまう。
革靴にしてもそうだろう、良い靴は人に踏まれることなど前提に作られていない。
結局、良いスーツや靴は運転手付きの車で移動のできる層でないと割が合わない気がする。

サラリーマン時代のワイシャツ80枚とネクタイ50本くらいあったが引っ越しの時に少しだけ残して後は処分した。
スーツも何点か処分した。
フリーになってから普段からラフな格好になり、全て洗濯機で丸洗いできる物になった。
しかも、少々古びても逆にそれが味になるのだから、ジーンズなどは本当に気が楽な服装である。
さすがに穴が開いた物を着られるほどの勇気はないが、前の501など12年くらい持った。
以前はほぼ毎日スーツを着ていた。
しかも夜の帰宅が遅く、スーツ→パジャマの繰り返しだったと思う。
ワイシャツもクリーニングに出す暇がなかったので次々買い足していた。
その分、普段着でも買っておけば今でも着られたのにと悔やまれる。
今は月平均3日くらいしかスーツを着ないが、着るとやはり背筋がスッと伸びる気がする。

2006年02月01日

●質の低下を憂う

 ここ数年、密かに憂いていることがある。
 一つは従来、品質の良かったの物の質の低下だ。
 安くて質の良い物を売り出していたメーカーが広告に力を入れてメジャーになり、人気が上がるとともに質が落ちるということはよくある。
 たとえば、知る人こそ知るという隠れ家的なお店が、雑誌などで取り上げられて一気に客が増えて、さばききれず、味や接客の質が落ちるということはよく聞く。

 身近な例だが、肌着のメーカーでHanesと言う物がある。
 高校時代に自分で着る物を自主的に選べるようになり、それ以来肌着はこれにしている。
 そこそこの値段で質がよいのが特徴だ。
 しかし最近、トランクスのゴムのヘタリ具合が早くなった気がする。
 それよりも以前に購入した物の方はまだまだ頑張っているのに、新しい物の方が緩くなるのである。
 ただただハズレを引いたと思いたいが、それ以外にも目に見える箇所で、たとえばボタンが隠しだったものが表に出ていたりと明らかに質か低下している。
 同社の看板商品であるTシャツの方はさすがに手を抜いてはいない。
 ちなみに綿100%の赤タグの方が好みだ。洗濯したての物を身につけたときの爽快感が今でも嬉しい。
 タグが縫い付けからコストダウンのプリントになったが、着心地は変わらない。

 もう一つ好きだったメーカーにGAPがある。
 昔は今ほど大々的に売り出されていたわけではなく、値段は他よりちょっと高めくらいの位置づけで、それでいて品質は良かった。
 今でも大事に着ている、ダンガリーシャツなどはきめ細かなデニムの布質と丁寧なステッチで着るたびに心弾む感覚だ。
 いささかほころびが目立ってきたので、近くのGAPで新しい物を買いに行った。
 しかし、これは昔の物とは似ても似つかぬ代物で、きめ細かな布質はどうやら同じらしいが、ステッチが二重から一重に手抜きされていたり、裏に予備のボタンが親切に付けられていたのが無くなっていたりと、全体から受ける趣や風情にスピリット(魂)が感じられない。

 ちょうど無名のボクサーがハングリー精神で頑張っていたのが、チャンピオンになりメジャーになって魂が抜けてしまった「ロッキー3(アイ・オブ・ザ・タイガー)」的な物を見てしまって、とても哀しくなる。
ロッキーはその後自らを戒めて立ち直るわけだが、メーカーという物は一度落ちていった質という物はなかなか元には戻せない。
第一、莫大な広告のおかげで以前より売り上げが上がっているのである。

だいたい盛んに広告を出しているメーカーという物に対してどこか懐疑的なところがある。
食品しかり、OSしかりである。
その高額な広告費用の何割かは購入者が被っているわけだし、そのぶん質の向上に努めてもらいたいと思うわけである。
大量のイメージアップの広告など商品の質とは本来は関係ないはずだ。
しかも、広告でイメージだけ押し売りしながら、実際は体に害を及ぼす素材が使われていたり、バグだらけでそのまま放置という実情が多く見受けられる。

嘘つきほど自己弁護のために多弁になると言うが、私は広告にそういう一面を見てしまう。
また、それに扇動される世間一般にまだまだ、かつて20世紀前半に巧みな宣伝で独裁国家を樹立させた大衆と同じ物を見てしまう。
いつになったら自分の目で判断して、善し悪しを決められるようになるのだろうか?
品質に自信のある物は控えめに慎ましく発言して、それでもちゃんと受け入れられる物である。
名前もあまり知られないけど、しっかりと良い仕事をしていて、それが口コミで広がってゆくような物を応援したいと思う。

2006年01月30日

●音楽その2

 音楽に素養がない原因の一つには家庭の環境があるだろう。
 幼い頃の実家にはステレオで音を再生する装置は存在せず、すべてモノラルのあまりにささやかな機器のみだった。
 両親とも楽器はもちろん、音楽にもあまり興味がなかったようである。
 ポータブルのレコードプレーヤーがあったが、そもそもレコードの数が少なかった。
 特に貧しい思いはしていなかったので、ステレオ装置やレコードが買えなかった訳じゃないだろう。
 音楽よりむしろ両親とも絵を描くことは好きだったし、カメラの方は父親はブローニーの中判(ゼンザブロニカEC)に日コールのレンズを、母親はコニカFPという一眼レフにヘキサノン52㎜/f1.8のレンズを付けてよく写真を撮っていた。
 そのため、自分自身の幼い頃の写真は他の家庭に比べて多いと思う。
 恐らく、左右から別々の音が出ることなどにあまり興味がなく、どちらかというと、レンズの描写とか、色乗りとか、どちらかというよビジュアル寄りの環境だったのだろう。
 そんな環境に育ったので、中学生になって初めてウォークマンで音楽を聴いたときには目から鱗が落ちるくらいの衝撃だった。
 左右から別の音が出るだけで、まるで頭の中で生き生きと音楽が奏でられるような錯覚を憶えた。
それで高校時代にバイトして自分でステレオ装置の購入して我が家にもようやく文明開化となったわけである。
この話は長くなるので今回は省く。

実は私にも一つだけ弾ける楽器がある。
高校時代に縁があってブラスバンドに入ったからだ。
楽譜が読めなくても一から教えてもらえるということで、とりあえずやってみることにした。
楽器を選ぶ段に吹奏楽からいくつか候補があったが、クラッシック音楽が好きだった私にはサックスはちょっと派手すぎるし、かといってフルートは女性の吹く物という印象があって、結局、無難なクラリネットに落ち着いた。
最初は音を出すだけでも一苦労だった。
練習の成果で何とか一番低い音から高い音まで出せるようにはなった。
いまでも唇にリードの感触は憶えている。

音は出たものの音譜が読めないのでもっぱら指で憶えるしかない。
憶えたところでリズム感がなく、周りにもだいぶ迷惑をかけたことだろうと思う。
それでも3年くらいは続いた。
おかげさまで今でもクラリネットなら何曲かはソロで吹ける(と思う。)

でも、クラリネットはお借りした物なので辞めるときに返して今は手元にない。
何か手元に置けて気軽に弾ける楽器が欲しいところだ。
そういえば、前に池袋の西口広場で、たしかドヴォルザークの新世界より「ラルゴ」をリコーダーで演奏していたのを聞いたことがある。
リコーダーと言っても小学校の時に使うような縦笛の高級版ことである。
見事な演奏でしばらく立ち止まって聞き惚れていた。
ああいうお手軽な物でも良いのだろう。

2006年01月29日

●音楽

 残念ながら、私には音楽の素養がない。
 楽器の一つも弾けたらどんなに良いかと考えるのだが、これと言った物も持たない。
 第一、楽譜が読めないのだ。
 その為、ごくごくたまにではあるが、自分なりにはすごく良いロメディーを浮かぶことがあっても、それを記録としてとどめておく手段がない。
マイクロテープはいつも手元にはないし、たいがいの場合は「あぁ、良いメロディだと思うのになぁ」と悶々としながら、やがて忘れ去られてゆく。
 夢の中で実際には存在しない新曲を聴いて「あぁ良い曲だな」と思うことがある。
 実は今朝も浜崎あゆみの存在しない"新曲"を聞いて「なかなか良いじゃん」と感心した夢を見た。
 べつに浜アユのファンでもないし何故、浜アユの夢を見るのかは正直解らない。
 曲自体は実際には存在しない物ということは理解しているし、良いメロディだったという実感はあるのだが、起きてみると曲のメロディはすっかり忘れている。
 別にライブで巧みに楽器を奏でられなくても良いから、自分の頭にふと浮かんだメロディをメモ書き程度でも保存しておく方法とそれをある程度の形に出来るツールが欲しいと思う。
 音を打ち込む37鍵のミニキーボードは手に入れているので、あとはじっくりとキーを打ち込んで、自分のイメージにあったメロディ作りをしてみたい。
 一つは私の持っているデジタルカメラがマイクを備えてあるので比較的、素早く浮かんだメロディなら口笛などでメモは出来た。
後はこれを一応人様に聞かせられる形に加工できる簡単なツールがあると良いんだけど。
 世に出ているいわゆるシーケンサーというソフトはどうも私のような素人には優しくない。
どれも過分な機能満載でそれを学習するだけでもとてつもない労力を要する。
OS9の頃はMIDIGraphyというとてもシンプルなMIDIシーケンサーソフトがあった。
これはQickTime音源を使用してインストールして直ぐに音が出る。
動作も速く、必要十分な機能、そして何よりも嬉しいことにレジストしなくても使えて2000円という低額で配布されていた。
 OSXになってからこの手のソフトはほとんど皆無になった。
唯一、Intuem と言うソフトが存在するが、これは英語版だけの有償でいささか高い。
 MIDIGraphyのカーボン版があればと切実に思うこの頃である。

2006年01月27日

●ゼンマイ仕掛けのコンピュータ

 若い頃、貧乏をして電気代が支払えずに何度か電気を止められた苦い経験があるので、稼働に電力が必要な道具という物にはどこか懐疑的である。
 冷蔵庫も洗濯機もない生活をしていた頃、月の電気代は1200円くらいだったと思う。
 それが、世間並みに冷蔵庫を購入した後、月の電気代が3000円台にふくれあがった。
 なんだか理不尽な気がして「お前のために稼いでいるんじゃない!」と、冷蔵庫を恨めしく思った経験がある。
 そもそも、中に入れるべき食料などほとんど無く、ワインを冷やすくらいだった。

 今でこそ家電製品に囲まれて、便利な生活を送っているが、もし電力が止まったら、という不安感は今でも持っている。
 私のような苦い経験でなくても、趣味のキャンプであえて不便な環境に身を置いたりする人、停電などで不便を経験した人は共感してもらえるのではないか。
 そういう他エネルギーに依存する生活への不安から普段から余計な機能のないシンプルで故障が少なく、そしてあまり電力を消費しない物を選んで購入している。
 メーカー側は商品の差別化に付加価値を付けようと様々な機能を追加していて、これが基本機能にまで悪影響を及ぼす場合がある。
 どうせ使わない(使えない)要らない機能ならバッサリと捨てて、シンプルなものにしたほうが長く付き合えるのである。

 コンピュータに関して言えば、私がデスクトップ型ではなく、ノート型を好むのも蓄電が可能な事と無関係ではないだろう。
 そもそも省電力で動く設計になっているし、とりあえずどこかで電気をもらえば1時間くらいは動いてくれる。このとりあえずという安心感は嬉しい。

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 そこから、さらに考えて、機械式のコンピュータを夢想したことがある。
 時計のような精密機械で動き、ディスプレイはON/OFFのモノクロのみというものである。
 しかし、いくら精密でも機械部品だけでコンピュータを構成することは無理だろう。
 現実的には極小の消費電力で稼働するゼンマイ発電装置を備えたコンピュータとなるだろう。
 あり得ないような話だが、実際に昔、AppleがNewtonというPDAを作っていた頃、電力供給のままならない発展途上国の教育市場向けにこぶし大のゼンマイ発電装置もセットで売り出されていたそうである。
 そのPDAはeMate というキーボード装備のラップトップ型だったので、これこそまさにゼンマイ駆動のコンピュータと言える。

 最近ではMITの Media Lab から教育用に100ドルPC が発表された。
 横のレバーのような物を最初マイク端子かと思っていたが、なんとこれがゼンマイ用のクランクなのである。さらに折りたたむと電子書籍リーダとしても利用できる。

「世界中の子供たちすべてにラップトップを」という壮大にして夢のあるプロジェクト。この取り組みにはとても共感できるし、これについて書きたいことは山のようにあるのだが、長くなりそうなので日を改めることにする。

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2006年01月25日

●見ること

 昔、「見ること」について真剣に研鑽していた時期がある。
 芸大受験時代に課題のデッサンに打ち込んでいたからだ。
 その頃に読んでいた芸大出版会の「素描論」いう本があった。 現在は残念ながら絶版になってしまった。
 私が持っていた本は人に貸して戻ってこなく、今は手元にない。 もう一度求めようと古本屋を覗くが、まず見つからない。

 前置きが長くなってしまったが、その本に「見ること」の大切さを『名人傳』という書に書かれた中国の弓の名人の例を上げて書いてあったので、例によって思い出しながら書いてみる。

 昔の中国の弓の名人が、弟子に弓を教えるときに、まずまばたきをしないことから教える。
 まばたきをすると、その間に雑念が入り、弓の正確さを失うからである。
 それで弟子は2年かけてけっしてまばたきしないよう目を鍛える。
 次に師匠は虱(しらみ)1匹を自分の髪の毛で縛り、南向きの窓に吊るして終日、睨み過ごすことを命じた。
 何日も睨む修行を続けているうちに虱はやがて大きく見えるようになり、3年も経つと馬のような大きさに見えるという。
 そうして鍛えた目でいざ弓を取ると、すでに百発百中の名人になっていたという。

 ここでは見ることの大切さが書かれている。
 弓の名人と呼べる人が、実に5年もの長い間、まったく弓を取らなかったという。
 見ることが大成すれば、後の技術は自ずから付いてくるのである。
 これはデッサンも同じで、見ることはまず物を正確に認識する尺度を身につける訓練である。
 それが過ぎると次は物の本質を見る目が養われる。
 ものを見て理解し、自分が描いているイメージとどこが違うかを見抜くことによって、描くものをよりものの本質に近づけることが可能になる。
 そうしてよく自然を観察することによって、摂理を理解しものを写し取ることが可能になる。

2006年01月20日

●麺好き

 おそらく私を知る誰もが、私が麺好きであると言っても異議はでないだろう。
 それくらい麺好きである。
 たとえご飯を3食きちんと食べたとしても、それ以外に麺類を口にしないとどうも調子が悪い。
 外泊して、決められた弁当などしか口にできないときには3日目になると、もう麺類が食べたくて身悶えるほどである。
 常々「ご飯はライフだが、麺類はマナである」と言っている。
 ゲームなどをしない人には判りにくいたとえかもしれないが、それが実感である。
 仕事がつまって忙しいときほど麺類を口にしたくなる。
 むしろ忙しいときは三度の食事全部麺類で済ませることもある。
 たぶん作業でスキルをふんだんに使う分、消費マナが激しいのだろう。

 実際に、我が家には常に何かしらの麺類が備蓄されている。
 とくに高級なものでなくても、乾麺のお蕎麦とかインスタントラーメンやパスタの類である。
 これらのストックが少なくなると不安にかられる。
 そば好きには評判の悪い乾麺のおそばでも、ゆで加減でだいぶ味が良くなる。
 沸騰した後の差し水や茹で上がった後にしっかりと洗いをすることで、おいしくいただける。
 外食でも麺類をよく口にするが、日本蕎麦はなかなかおいしい店がない。 あったとしてもとても高い。
 もっと気軽に安くておいしいソバが食べられる店があるとよいのにと思う。

2006年01月15日

●本好きの本嫌い

 本を読むことが好きだが、本を大切にする方ではない。

 写真集や貴重本ならばともかく、普通に読む本は買ってすぐに腰巻き(帯)をはずし、カバーをはずし、これ以上もうはずす物がないといった状態になってからやっと読み始める。
 どうも日本の本は過剰包装の感があって読むときの気障りになって仕方がない。
店頭で表紙に汚れが付いて、出版社に返品になっても、カバーだけ換えればそのまま売りに戻せるというリスク回避の考え方なのだろう。
 まぁそれだけ日本人は本の表紙のささいな汚れを気にする向きが多いのだろう。

 洋書などはたいていカバーを付ける代わりにほんの表面にPP張り(ラミネート加工のようなビニール張り塗装)を施してある。
 こちらの方が私のように読むときに気障りな人にとってはありがたい。
 だから仕事で自分の作る本の体裁に係われるときは、「表紙PP張りの断ち落としでお願いします。」とお願いしている。

 だいたい、本の内容が知識となって頭に入ればよいという考えなので本自体を大切にコレクションするという考え方はない。
 高い本はさすがにやらないが、安い文庫本などは平気でお風呂に浸かりながら読んでしまう。
 湯船に浸けはしないが、風呂釜の蓋の上で湯気に晒され、多少濡れた手でも平気でページをめくるので、もちろんシナシナになってしまう。
 本は消耗品であると割り切って、入浴の時間を有意義に過ごす方を優先してしまう。

 生来の貧乏性なのだろう、もし何も手にせずに入浴したら、ゆっくり風呂に浸かっておれず、他が気になってすぐに風呂場から出たくなる衝動に駆られる。
我ながらせっかちな性格だと思うのだけど仕方がない。
 これがもし。草津の奥地の秘湯なんかに浸かっているときは、その場の雰囲気を十分に楽しんでリラックスできるとは思うのだけど。どうも私は日常においてはリラックスすることは不得意らしい。

 本に話を戻すと、真新しい手の切れそうなものより、古びてボロボロのものの方に美しさを感じてしまう。
 これが端なんかがボロボロになってポストイットなどがたくさん挟まっていて、あちこちに書き込みがしてあったりすると「あぁ、読み込んだなぁ」と我ながら惚れ惚れしてしまう。

 ノートや手帳にして、新品よりも使い込んだ物の方が美しいと思う。
 たとえば映画「インディー・ジョーンズー最後の聖戦」でショーン・コネリー扮するインディの父親の持っている聖杯手帳などを見ると「おぉ!! 美しいなぁ」と感動してしまう。

060115

 ここまで来るともう美術品の域である。
 ただし、古本屋の中途半端に汚れた本は余り好きではない。
 消耗品の場合は安いのを選んで割り切って買っている。
 ごくごくたまに新刊の雑誌で気に入った特集があると積んである上から2冊目か3冊目を引きに抜いて買うのだから、我ながら身勝手だとは思う。
 たぶん他人が汚した中途半端な汚れは嫌いなのだと思う。 やはり私にも日本人の血が流れていると言うことなのだろう。

2006年01月10日

●オペラ座の怪人

今日ニュースで流れていたがミュージカル「オペラ座の怪人」が、このほど「キャッツ」を抜いて、ブロードウェイのロングラン記録を更新したという。

以下は記事の抜き出し。

18年前に公演が始まった「オペラ座の怪人」。パリのオペラ座の地下に住む怪人が、ソプラノ歌手、クリスティーヌをスターに育て上げるというストーリー。これまでの観客動員数は1100万人。興行収入もブロードウェイ史上最高の、およそ6億ドルを稼ぎ出す大ヒット作となりました。
これからブロードウェイの記録を塗り替える7486回目の公演が始まるところです。
「こんなに長くヒットするとは思いもしませんでした」(作曲者、アンドリュー・ロイド・ウェバー氏)
なぜ「オペラ座の怪人」だけがこれほどの人気を集めるのでしょうか。映画やDVDの販売を組み合わせた広告戦略の巧みさを指摘する声もありますが、実は2度3度と劇場に足を運ぶリピーターの存在が、この記録を支えているのかもしれません。

思えば私が最初に観に行ったときからもう18年も経っているのね・・・。
リピーターがロングラン記録の要因の一つとの指摘があるが、それはとても納得がゆく。

なぜなら私自身、のべ3回ほど観に行っているからだ。
本当は数年前に4回目を見に行きたかったのだが、ブロードウェイと違って、常に上演されている演目ではなく、その時は「美女と野獣」だったのでそちらを観に行った。
しかし、これは1回見に行けばもう十分だと思えたし、「美女と野獣」にかぎらず「レ・ミゼラブル」や「キャッツ」その他多くのミュージカルも誘われれば2度目を見に行くけど、自ら見に行く気にはならなかったので、やはり「オペラ座の怪人」は作品そのものに魅力があるのだろう。

昨年公開された映画版「オペラ座の怪人」はミュージカル舞台の雰囲気を忠実に再現しているし、役者も良いし、とても良い出来だったけど、いささか時機を逸した感は否めない。
18年前に映画が作られていたらクリスティーヌ役にはサラ・ブライトマンが抜擢されて美声を聴かせてくれたことだろう。
ロンドンオリジナルキャストを堪能したくても現地までゆけない私のような者にとっては至福の作品になったに違いない。
それでも、やはり撮影されて時間を隔てた映画は劇場の生で感じる迫力には遠く及ばないんだけどね。

過去の記録を紐解くと、1988年6月に日比谷の帝国劇場で1回、次の年の5月に1回、さらに翌年の9月に新橋演舞場1回と計3回に観に行っている。
最初に観たときの衝撃が強かったので、ロンドンオリジナルキャストのレコードと、劇団四季の市村版のCDを買ってしばらくはそれを聴いていた。

若い頃に聴いた音楽は一生、耳に焼き付いてしまうものだし、数少ないCDを何度も何度も繰り返しかけていた物だから、もうそれで頭にすり込まれちゃって、市村正親の怪人役で「怪人の声とは、こうあるべきだ。」という基準が頭の中にできあがっちゃった感じだ。

それで最初の2回はまだ劇団四季に市村さんがいて、怪人役をやっていたんだけど、最後の1回は退団して、いままでラウル役だった山口祐一郎さんが怪人役になったので、だいぶ違和感を感じて、「さすがにもういいかな?」って感じで止めてしまった。

何にしてもそうだけど頭の中で一度基準が出来てしまった物はあとで崩すのがとても難しい。
しかも10代の頃に衝撃を受けて骨の髄まで感化される感覚って年を取ると、なかなかというか、滅多にというか、むしろ全然無い。
一度そういう風に骨の髄に刻み込まれた物だからちょっとやそっとでは揺るがないんだけど、逆にそれが頑固につながるとしたら考え物だ。
新しい物でも感受性豊かに感動できる柔らかい頭を持ちたいと思うこの頃だ。

それにしても一度で良いから当時のロンドンオリジナルキャストを生で観てみたいな。

2006年01月09日

●しゃべる猫

060109

 猫とは縁である。
 以前飼っていた猫は私の勉強部屋の押し入れの上で生まれた。
 母猫の名はサンボ。純粋なシャム猫でうちに貰われてきたときにすでに孕んでいて、数ヶ月後に勉強机に向かっている私のすぐ隣で1匹だけ子猫を生んだ。
 母がその子猫の名前を付けた。名前はダイアナ。もちろんシャム猫だった。
 
 たしかダイアナ妃の挙式があった頃だったと思うが、母は赤毛のアンの親友のダイアナから取ったという。
 私はあまり気に入らない名前だったが、仕方がなくディアナとやや発音を変えて呼んでみたりしていた。
 ディアナを生んだ母猫は間もなく手術をすることになり、しばらく入院していた。
 私は生まれたばかりで手間のかかる子猫を相手に暖めたミルクを綿棒で湿らせて食事を与えたり、寒くないよう保温に気を付けたり細々とした世話を焼いていた。

 母猫も無事退院してきて普通の生活に戻るが、その後はその子猫とは別段、親しい間柄になったわけではなく、相手の気分次第ですり寄って来たり、こちらもそれに応えて撫でていた程度だった。
 むしろ私の方は部屋に置いてある油絵の道具(中には毒物になる樹脂などもあった)やら、大事にしているオーディオ装置を荒らされたくないので、どちらかというと邪険にしていた。

 ディアナは生まれつきのやや寄り目で、近眼の人がそうするように鼻を押しつけんばかりに近づいて確認するところがあった。
 時折、眠っているときに上に乗ってきて、私の鼻に自分の鼻をすり寄せて臭いを嗅ぐ仕草をしたり、じぃーと私の顔を眺めていることもしばしばあった。
 ウトウトしながら私はその様子を薄目で観察し「何を考えているんだろうな?」と思いながらも構うこともなかった。
 これは余談だが、夜中に隣りに寝ている子に、鼻筋や口などを指でなぞられ、頬の面を確かめるようにして触られたこともある。そんな時はまるで自分がブロンズ像かデッサン用の石膏像にでもなった気がしたが、その時も寝たふりをしたままやり過ごした。

 母猫のサンボは外出好で、玄関先でいつも常に外へ出ようと機会を伺っていた。
 誰かが出入りするたびに隙をうかがってパッと外へ飛び出すことが多かった。

 それでも最初はマンションの廊下あたりで済んでいたが、だんだん範囲を広げるようになり、やがて帰ってこなくなった。

 ある日のこと、家族が全員が出かけて私とディアナだけの時があった。

 ソファーに座って頭や背中を撫でながら、ふと私は猫に言葉を教えてみようと思い付いて、ディアナを顔が向き合うように抱えて簡単な単語「おはよー」と何度か言い聞かせるように声をかけてみた。
 15度目くらいだろうか、ディアナはふと意志(あるいは意味合い)を持った目の色になり、舌で口の周りの舐めながらまるでのどの調子を確認するかのように「お、おはよー」とハッキリした口調で発音した。
 今から考えれば滑稽だが、その時の私は「おぉ!やればできるんじゃないか!世間で猫がしゃべれないのは努力が足りないのかもしれないな」と、妙に納得してさらに言葉をしゃべらせようと再度「おはよー」と呼びかけた。
 しかし、言葉を発したのは後にも先にもこれ1回きりだった。
 帰宅した家族に早速そのことを話したが、まるっきり信じてもらえなかった。
 そりゃそうだろう、私だって他人から聞いただけではまずは信じられない。

 しかし、後年に読んだ本の中で村上春樹氏が同じような経験をしたことが書かれていた。

 ある日、村上氏とシャム猫のみゅーずが昼寝をしていると、誰もいないはずの家で、すぐ隣から「だってそんなこと言ったって…ムニャムニャ」と言う声を聞いたのだという。
 驚いて、周りを確認したが誰もおらず、どう考えても隣に寝ている猫の寝言としか考えられなかった。
 確認しようと猫を起こして「今言ったのはお前か?」と問い質したが、猫の方は「何を言っているんだろう?」という目つきでその場からそそくさと逃げていったという。
 村上氏はその様子から何かを隠している印象を受けたと書かれていた。
 

 私は経験があるのでこの話を信じることができる。

 さらにそのみゅーずは村上氏に手を握ってもらいながらお産をしたと書かれていた。
 みゅーずは陣痛が始まるとすぐに村上氏の膝にとんできて「よっこらしょ」という感じで座椅子にもたれるような格好で座り込み、両手をしっかりと握ってやると、やがて一匹また一匹と子猫を生み出したという。

 お産ではないが、ディアナは私の手を握ったまま逝った。

 その日は、すでに実家を出ていた私は久しぶりに実家へ戻っていた。
 その頃は実家に帰ること自体が滅多になかったが、不思議な事にたまたま帰ったその日にディアナは亡くなった。

 その時、リビングでくつろいでいると、突然隣の部屋から妹が「ダイアナがが死んじゃう」とベソをかきなながら飛び込んできた。
 急いで向かうと敷かれた布団の上で息絶え絶え絶えに苦しそうなディアナがいた。
 その姿に何をしたらよいか判らない私は手を差し出した。
 その差し出した手の人差し指に肉球を重ね、ディアナは大きく目を見開き、必死に私の手(指)に爪を立ててしがみつき、最後の一息を吐くとあの世に旅立っていった。

 結局、この猫は揺りかごから棺桶まで私が見届けたことになる。
 よほど縁のあった猫だったのだろう。

 村上氏は話せるはずの猫が普段は話せない振りをしていると考えているようであるが、私の考えは少し違う。
 深い縁の者と一緒にいる時に、折に触れて瞬間瞬間に前世の記憶が蘇るのだろうと思う。
 それもよほどの縁のある者と一緒の時のある瞬間にだけだろう。
 前世が存在はまだ証明されていないが、仮に存在するとした方が色々な物事の筋が通りやすく、また存在した方が楽しいのでそう思うことにしている。

 結局のところ猫とは縁だと思う。
 今、妹のところで飼われているサラという猫は私が家を出た後に飼われた猫で。全く縁がないらしく私が近づいても懐かず、むしろ怯えさえする。
 別段いじめた記憶もないのにこうも嫌われると「縁のない猫なんだな」と一人納得している。
 猫を飼いたいとは思いつつできない私は、
ひょっとしたら現世では縁のある猫がもう居ないのではないかと危惧しているのである。

2006年01月08日

●傷

 洗い物をしていてちょっと手を滑らせて備前焼の小皿の端を欠かしてしまった 。
 傷はくさびのように鋭角に削がれていた。
 滑らせたのは数ヶ月前に買った白磁の小皿だが、こちらの方は何ともない。
 20年以上使ってきた物だけにこちらの不注意で傷を付けてしまったことにショックは大きく、後にも思い起こすたびに気が滅入る。
 それはまるで靴下に紛れ込んだ異物のように折に触れチクチクと気になるあの違和感に似ている。
 いっそ白磁の小皿の方が砕けてくれたほうがこんなに落ち込むことはなかっただろう。
 それが重ねた年月の重さというものだ。
 20数年身近に完きの形であった物が、ちょっとした気の緩みで傷物にしてしまう。
 なかなか、悔やんでも割り切れるものではない。

 欠かしたかけらを探したが、全部見つからないので見た目を元に戻すことはできない。
 かといって多年の情が移っているので捨てるに忍びない。
 そこで、時間がある時に欠けた部分をパテで埋めて金漆で仕上げようと思う。

 昔住んでいた家の近くに、小さなフランス料理のレストランがあった。
 家族で経営しているらしくテーブル数も少なく、値段も安いこともあっていつも満員だった。
 こじんまりとしてはいたが、中の調度品は店主の趣味の良さを伺わせる物だった。
 スッキリとしたアンティークの木製テーブルや椅子、BGMを奏でるロジャースのLS3/5Aという小型スピーカーでアンプもクォードの44と405のセパレートだった。
 皿は温めてから料理をのせて運ばれてくる。
 その皿を見ると物はよいのだが長く使ってきた物らしく端が所々欠けていてそこを金漆で繋いでいた。
 客に出す物に修繕したとはいえ欠けた物を出すなんて、と考えようによってはケチくさいと思うが、その時私は大事に物を使っている店主にとても好感を持ったことを思い出した。

 傷を過失ではなく新しく思い出が刻まれたものとして受け入れられればそれは素晴らしいことだが、傷つけて日が浅いだけに未だにそこまでは達観できない。

2006年01月07日

●行き場のない、にほい

 和室を開けると甘いリンゴの香りが漂う。
 年末に頂いたリンゴを仏前に供えているからだ。
 この時期、暖房効率を良くするためになるべく各部屋の戸は閉めておく。
 時々、部屋に入ると閉ざされて行き場のない香りが漂ってきて「あぁリンゴがあったんだなぁ」と気付かされる。

 果物という物はよい。
 見てよし、食べてよし、そして嗅いでよい。
 母が入院中はよく夏みかんを買ってくるように言われた。
 大分で生まれ育った母は柑橘系の果物が好きでよく食べていた。
 内蔵系の手術の後だったので、もちろん食べられないが、せめて香りを楽しみたかったらしい。
 買ってくると手に取り、鼻を近づけてにほいを嗅いで「良い香りだね」と嬉しそうにしていた。

 たばこを吸わないせいか、にほいには敏感である。
 忙しくて、洗い物がたまって、異臭を放つとそれだけで気が滅入る。
 かとおもえば洗い立ての洗濯物を身につけるとそれだけで晴れがましい気分になる。
 エレベーターに乗ったときにタバコのにほいが残っていると腹立たしくなる。
 にほいでその時の気分が左右されることも多い。

 食べ物は基本的に好き嫌いはないのだが、にほいで食べられないものがある。
 マトンの肉はなんだか脇の下のにほいのようで、たとえカレーでも鼻をつまんでしか食べられない。
 経験はないが、たぶんクサヤもドリアンもダメだろう。

 結局のところにほいとは、好き嫌いも含めて過去の思い出につながっている気がする。
 街ですれ違う人の香水のから、楽しい思い出がありありとよみがえることがあり、いつかその香水の名前を調べようとしているが未だにできていない。
 良いにほいだけでなく雨の後のアスファルトの湿ったにほいも思い出につながる。雨上がりの夜の公園のにほいもなぜか好きだ。
 ただし、季節によって微妙に臭いが違うらしく、「これだっ!!」と納得できるものは年に数回しか訪れない。
 似たような物とか好ましい物とかは身近に置くようにしているが、ダイレクトに思い出にアクセスする物はやはりその物でないとダメなのだろう。
 母にも夏みかんの香りでよみがえる何かの思い出があったのだろう。
 いまでも、仏前に柑橘系の果物は絶やさない。

2006年01月04日

●宝くじ

 年末になると年末ジャンボ。夏にはグリーンジャンボ。ニュースで見るたびに「あぁ、今年もこの季節が来たなあ」と感慨深い。
 特に年末は出費が多く、金欠で気弱になる時期なので、もし1等に当選したら・・・などと想像力をたくましくすることは多いのだが、実は一度も買ったためしがない。
 これは宝くじに限らず、パチンコ・競輪・競馬など、およそギャンブルというものには縁がない。
 「他力本願が嫌い」などという高尚な思想を持ち合わせているわけではなく、むしろ「他力本願大好き」なのだが、ギャンブルだけは一切しない。
 「もしかしたら当たるかもしれない」という"淡い期待"より、「当たるわけがない」という"信念"の方が強いのである。

 私がこのような傍目から見れば夢も希望もない、ある意味冷め切った思想を持つに至った経緯には、実は幼少の頃に受けた深く哀しいトラウマがある。

 子供の頃、近所の公園の近くに駄菓子屋があった。
 そこは子供好きな老夫婦の経営している、ごく小さなありきたりの店であった。
 そこにボードに賞品がホッチキスで留められ、のり付けで袋とじされた紙製クジが置かれていた。
 1~5等には幼い私をい魅了してやまない、(今見たら実にちんけで安っぽい物だろうが)金属製のモデルガンが腕に巻き付けるホルスターベルトとセットになって輝いていた。
 その1~5等の賞品がど~しても欲しかった私は、1枚50円という当時の私としては身悶えするような大金を支払って、普段は1枚、時には2枚とドキドキしながら袋とじのクジを破き、そして挫折していた。
 1~5等の豪華な賞品と比べて、それ以下のハズレは悲惨な物だった。おそらく10円のコストもかかっていないだろう、紙テープの火薬で、本体無しにどうしろっていうような代物だった。

 その日、私はとても"お金持"ちだった。
 お正月にお年玉を貰って、その足で駄菓子屋にお大尽様気分で入ったのである。
 私はすぐにそのクジの前に立ち、1~5等がまだ当てられていないことを確認した上で残り23枚のクジを全部買うことにした。
 今の自分なら「全部のクジを購入したのだから賞品を吊り下げたボードごと頂いてゆくぜ!! 」ぐらいは言えるだろう。
 しかし、幼少の素直な私はそこのおばちゃんが「一応、クジを開けてごらん」という言葉にそのまま従った。
 23枚のクジは開けれども開けれどもスカばかりで、どうしたことか1~5等のクジはなかった。
 途方に暮れている私におばちゃんは「だれかのいたずらでクジがなくなっちゃたみたい」と言い訳した。
 しかし、いたずらでないことは明白であった。1~5等とあと中堅をいくつを残したままボードは綺麗になっていた。
 そうである、もともと「当たりくクジ」などという物は存在せず、私はスカのみを引かされていたのだ。
 不思議そうに立ちすくむ私に対して、少し気の毒になったのか、それとも口封じのためか、おばちゃんは中堅の賞品の一つを渡し、クジを作り直すよと言ってボードごとそそくさと奥へ持って行ってしまった。

 幼少の私はその日に悟ったのである。 およそギャンブルという物はそれを管理する者がルールを決め、たとえ小勝はあったとしても結局は必ず負けることが決定付けられているだということを。
 その日以来、ギャンブルというもの全般にどこか疑いの目を持つようになり、自ら進んでやることは全くといってない。

 その昔、伊丹十三監督の「マルサの女」という映画の一シーンで、山崎努扮する脱税をしているホテル経営者に怪しい男が(どーでもいい話だが、あれは宮本信子の変装のだと思っていた)1等1000万円の当たりクジを1500万円で売りつけるシーンがあった。

 当選クジは非課税なので隠し資産のマネーロンダリングとしては格好なアイテムなのだろう。
 実際にそのようなことがあるかどうかは判らないが、あるとしたら、そのような抜け道をみんなで提供している形になるのだろう。

 ギャンブルに冷ややかな私にクジを買う熱い友人は言う「そもそもクジを買わなければ当たるわけがない」と。
 確かにそうだろう。しかし、幼い私その日に得た悟りを裏付けるように現在も駅前の一等地にはパチンコ屋がそれこそ「お城」のような外観で日々繁盛し、増殖し、そして決して減少することはない。

2006年01月03日

●福袋

 昨日のニュースで、デパートの初売りの様子が流れていた。
 人気は福袋だという。景気回復を反映してか、1万円クラスのものが一番売れるらしい。
 自分の好きなブランドで、内容も福袋の値段のおよそ4~5倍のものが入っているのだろう。
 並んでいる人の先頭は大晦日の夕方5時から並び始めたという。
 見ながらとても自分にはできないなあと感心した。

 いくら好きなブランド物でお買い得とはいえ、やはり好みのデザイン・色・質感・大きさがある。
 袋を開けてサイズは合うとして、色やデザインがいまいち気に入らなかったりしたらどうするのだろうか?
 我慢して使うか、人に差し上げてしまうのだろうか?
 ただ、自分で気に入らない物を人に贈る気にもなれないので、中身のわからない物にたとえ1000円でも出したくはない。

 通販でも同じである。消耗品やすぐに買い換えの利く物ならいざ知らず、しばらく手元に置いて使う物に関しては実際に手に取って確かめてみなければ購入する気にはなれない。
 サイトの写真で見るよりも実際は大きかったり、細部の作り込みが甘かったり、店頭で実際に触れてみてイメージが違うことはよくある。
 実は買う気満々で店頭で手にして、作り込みや質感に納得できず、購入には至らないケースも多い。
 実物を見てもし気に入ったら、その後に、サイトで一番安い店を探して、そこで実際に購入するというケースがほとんどだ。
 要するにケチなのである。

 ただし、これらの好みは長年の経験や試行錯誤から真剣に吟味して得られた物とはいえ、あまりにも限定的な好みを持つことは他への非寛容にもつながりかねないので、十分に注意が必要だとは思っている。
 限定的な好みの主張は社会生活を送る上でしばしば角が立つ物である。
 手頃なワインで楽しめている相手に、そんなものは邪道だと言ってヴィンテージワインの味云々を語るのは野暮であり無粋であろう。
 結局、福袋に入っている物を選り好みせずに素直に使うことができれば、それはそれで幸せなことなのかもしれない。

 中身のことはさておき、大晦日から並び始めたお父さんは子供のブランド服の福袋を買うためだという。
 5~7歳くらいの自分の娘の喜ぶ顔を見るために一生懸命だったのだろう。
 (実際に購入後、福袋を開ける娘2人の姿が写されていたがとても喜んでいた。良かったですね。)
 でも、5歳の大晦日からお正月は5歳にしか味わえないと思う。
 普段ならまだしも新年を迎える晴れがましい日にデパートの外で1日半も待つ気持ちには私にはどうしてもなれない。
 その分、子供と一緒に楽しく新年を迎えた方がよほど良い思い出になる気がするが、所詮価値観の問題なので私がとやかく言うことではない。

 結局、人気の福袋は一日で売り切れ、デパートはその日だけで18億円の売り上げが見込めるというのだから、これからも続いてゆくことなのだろう。

2005年12月27日

●冷え性

 自慢ではないが冷え性である。
 それも、半端ではない。
 昔、「自称冷え性」の女の子と素足を重ねたとき「何っ!これ!冷たぁぁい!」って思わず叫ばれたほどの冷え性である。
 生来の低血圧に自律神経系が追い打ちをかけているのだと思う。

 毎年この時期は辛く、床に入ってからも足が全然温まらず寝付けないこともある。
 親はそんな冷え性を心配してか「意識を集中すればそこに血が通って自ずと暖かくなる。」と教えてくれたが、足先にいくら意識を集中しても一向に暖まる気配がない。
 きっと理力(フォース)の力が弱いのだと思う。
 だが長年の訓練の甲斐もあり、ようやく手の指先までは温めることをマスターできた。
 しかし、問題の足の指先は未だに無理である。

 仕方がないのでまず手に意識を集中して暖め、その暖まった手を使って足を温めるという自分の体のことなのに、各パーツごとに別々にメンテナンスするへんてこな状態になっていて、何だかなぁ~と思う今日この頃である。

2005年12月26日

●キャベツ猫

 HotLineのチャットでの話の流れから昔、読んだ向田邦子さんのエッセイを思い出した。
 「無名仮名人名簿」という本に収められていた「キャベツ猫」という題名の短編で、読み直したいと探したが、引っ越しの時に消えてしまったらしい。
 しかたがないので、内容を思い出しながら書いてみようと思う。
 キャベツ猫は向田さんのところで飼われたシャム猫でキャベツが大好物で、キャベツを見るともうたまらなくて身悶えして啼くのだが、そんな滑稽な仕草の背景にはこんな哀しい話があったという。
 その猫が、ペットショップで売られていた時、餌として茹でたキャベツを肉にまぜて与えられていたらしい。
 猫は生後2カ月から3カ月で売らないと新しい飼い主に懐かない。それで売れ残りそうになると肉を減らしキャベツを混ぜて発育を遅らせ、血統書の生年月日を偽って売っていたらしい。

 この短編には、この猫のその後のたくましい生き方が書かれていた。また、それと対照的な存在のアイス犬も書かれていた。

 この犬は金持ちの家に生まれて大事に育てられたそうである。
 ほかの家に引き取られたときも乳母、身の回りの品々のひと揃いも添えられて来たというからその甘やかされぶりが窺い知れる。
 それで、別の家に引き取られた後も大好物のアイス売りの鈴の音を聞くと鳴いてねだるのだそうだ。
 この犬にはたくましさがなく、生きることに対しても執着がなかったらしい。
 やがて病気になり、周りが一生懸命になって飲ませようとした薬も吐き出し、「もう、いいじゃないですか」という風にこちらを見ていたという。

 結局、キャベツ猫の方はたくましく長寿に生きて、アイス犬の方は短命で終わったらしい。
 どちらが幸せだったかそれは判らないが考えさせられる内容だった。
 ちなみに「キャベツ猫」の書き出しは、「犬や猫にも食物の好き嫌いがある。」だった。

2005年12月25日

●子供の時間、大人の時間

 年始に向けてちょっとずらして我慢していた整髪をした。
 最近では、ちょっと伸びると気になって仕方がない。
 今でこそこうだが、子供の頃は床屋に連れて行かれるのがとても嫌だった。
 なんせ、1時間もあの床屋の椅子に縛り付けられて頭を動かさないなんて苦痛この上ないことだった。
 今なら1時間くらいはあっという間に過ぎてしまうが、子供の頃は、好きなテレビ番組が始まるまでの1時間などは今の1日くらいの感覚だったように思う。
 親からは「落ち着きのない子だねぇ。何で待てないの?」とよく注意された。
 そういえば、小学校の通信簿の先生の記入欄にも「もうすこし、おちつこう」と書かれていた。
 そのせいもあって「落ち着かなくちゃ」と中学・高校で物事に動じないよう心がけて、その甲斐あって、二十代になると実際の年齢よりも老けて見られるようになった。
 当時はそれはそれで嬉しかったのだが、今、振り返ってみると、だいぶ損をしたように思う。
 はじけて一生懸命何かに没頭するときは、そうすればよい。若いうちの恥はかいてナンボ、それを怖れてこそこそおとなしくしていれば、せっかくの伸びしろの機会を失うことになる。

 話がそれたが、子供の時間の感覚と大人の時間の感覚ではだいぶ違うと思う。

 いささか話しが大きくなるが、宇宙の話題でビックバーンの初期段階では非常に高温で高速で広がり、伸び切るにつれて温度が下がり広がるスピードが落ちると聞いたことがある。
 人間も同じような感じなのだろうと想像する。
 生まれたばかりの時の大きく伸びようとする時期は脈拍数も体温も高く、そのときの時間の感覚も密度の濃いものなのだろう。
 そういえば小動物の寿命は短いが、その時間の密度の感覚は我々とは比較にならないのだと思う。
 おそらく過去の数十年生きてきた感覚と、これから生きるであろう数十年の感覚では全然違うのだろう。 
 きっと10年くらいならあっという間にすぎてしまう気がする。
 これから40年くらい生きる目算が実際の感覚では15年いやもっと短いかもしれない。
 そう考えると、少し悲しくなる。
 もう、周りの目を気にして落ち着いた風を装わなくてもいいだろう。
 物事に変に慣れず、子供のような新鮮な感受性で真剣に充実した生活を送りたいと思う今日この頃だ。